前回に引き続き、ラスベガスのお話。
それは、今の仕事に就く前、通訳や翻訳の仕事をしていた時のことです。ある日、受付係の人から、「急ぎで翻訳をお願いします」と渡されたのは、3ページの英文でした。まずざっと目を通そうと読み始め、内容が分かってくると全身に鳥肌がたちました。それは、ラスベガスのとある大型ホテルでJackpot を当てた顧客への手紙だったのです。
その手紙は、公証人を探すことを促し、必要書類の説明がされていました。受け取る金額はあまりにもゼロが多すぎて今となってははっきり覚えていないのですが、ドリームジャンボなんて目じゃない額だったと思います。受け取り方は二つの選択があり、一度に全額受け取る方法と、毎年何千万という金額を3~40年に渡って受け取るという方法でした。いずれにしろ、「もうこの人は一生働かなくても十分ぜいたくに生きていけるお金を手にしたんだ」と思ったことを覚えています。
受付の人に「どんな人が来たの?」と尋ねると、「某会社の作業服をきた若いサラリーマンだった」とのことでした。翌日書類をとりに来るというので、のぞいてみると確かに20代前半くらいの若者が来ました。でも作業服ではなく、私服で、おまけに女連れでした。きっと彼の人生は大きく変わったのでしょう。
手紙を読んでいるだけでも相当興奮しましたが、この彼はいったいどれほど興奮したのかと思うとまるで想像もつきません。この仕事を終えて、こんな人って本当にいるんだなーと思いました。
人気ブログランキングに登録を始めました。どうぞ応援よろしくお願いします!
人気ブログランキング、ココをクリック
それは、今の仕事に就く前、通訳や翻訳の仕事をしていた時のことです。ある日、受付係の人から、「急ぎで翻訳をお願いします」と渡されたのは、3ページの英文でした。まずざっと目を通そうと読み始め、内容が分かってくると全身に鳥肌がたちました。それは、ラスベガスのとある大型ホテルでJackpot を当てた顧客への手紙だったのです。
その手紙は、公証人を探すことを促し、必要書類の説明がされていました。受け取る金額はあまりにもゼロが多すぎて今となってははっきり覚えていないのですが、ドリームジャンボなんて目じゃない額だったと思います。受け取り方は二つの選択があり、一度に全額受け取る方法と、毎年何千万という金額を3~40年に渡って受け取るという方法でした。いずれにしろ、「もうこの人は一生働かなくても十分ぜいたくに生きていけるお金を手にしたんだ」と思ったことを覚えています。
受付の人に「どんな人が来たの?」と尋ねると、「某会社の作業服をきた若いサラリーマンだった」とのことでした。翌日書類をとりに来るというので、のぞいてみると確かに20代前半くらいの若者が来ました。でも作業服ではなく、私服で、おまけに女連れでした。きっと彼の人生は大きく変わったのでしょう。
手紙を読んでいるだけでも相当興奮しましたが、この彼はいったいどれほど興奮したのかと思うとまるで想像もつきません。この仕事を終えて、こんな人って本当にいるんだなーと思いました。
人気ブログランキングに登録を始めました。どうぞ応援よろしくお願いします!
人気ブログランキング、ココをクリック