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いいピアノを弾きたい

アンドラーシュ・シフとべーゼンドルファー

2008年04月19日 | 演奏会
「昨夜のシフ聴いた?」で始まった今日のレッスン。
3月10日のリサイタルを教育テレビで放送していました。
ご覧になった方も多いと思いますが、シューマンの蝶々ではじまった時は想像通りでうんうん と聴いていましたが、テンペストで想像以上に(失礼いたしました)素晴らしくて つい聴いていてほしい人にメールしてしまいました。(当然のようにお聴きであった・・)

何がそんなに素晴らしかったのか・・・。
勿論好きなピアニストのひとりでした彼のバッハもモーツアルトもシューベルトもたくさん聴いて ベートーヴェンを弾かないなあ 路線がちがうのかなあ?と思っていたら50歳になってやっと準備ができた・・・とおっしゃるのではないか。そうなんだ、あのシフにしてそういう作品なんだと。その言葉だけで、もう充分でしょう。
テンペストもワルトシュタインも今までの巨匠のものとは別に、彼の入念なテキストの読みと作曲家への深い尊敬と節度ある姿勢が隅々に行き渡っておりました。
縦線の音のバランス絶妙なコントロールとダイナミックなフレーズ取り。
そうかそうなのか。とアドレナリンがどくどくと流れ出て 茂木先生流に言えば今まで長く死んでいたなあと思える演奏でした。
しかもべーゼンドルファーの良さが出ておりました。
べーゼンはスタインウェイに比べて倍音が浮き出る音なのかなあ?
奥行きというか裏側が存在するような音でした。実際その場オペラシティにいたらもっとぶっとんだことでしょう・・・。

テレビの前に釘付けになりながら シフは「ベートーヴェンと会話をしている。」「シューマンと議論しているみたい。」と思いました。
ピアノを弾く(音楽を演奏することは)という行為は作曲者と会話をすることなのかもしれません。それを子供たちに伝えていきたい。と思いました。
楽譜を記号どおりに弾くことなんかじゃない・・・。
でもシフのような天才でも50歳でやっと準備ができたと考えるのだから、簡単にベートーヴェンと会話しよう!なんて無謀な挑戦です。

でも彼の演奏で会話の仕方がなんとなく・・・道がすうっと見えてきたようです。

ワルトシュタインの2楽章から3楽章の移り変わる箇所はピアノを弾いて幸せを感じる代表的な場所ですが、テレビでもそこでシフのアップが写っていて 「ああ彼もしあわせをかみしめている」ように私は見ました.(笑)あそこは至福です。ピアノが弾けて良かったと震えながら弾くところです。聴いて見ていてその至福までも共有させていただいた。

まだ54歳なんですね。
昔ムズィークフェラインのブラームスザールでESのオクターブを左手で鳴らしながら高音部でGBの音をのせ天上を見ていて その響きに酔っているかのように誰もいないホールのべーゼンをいじっていたところを24歳の私は間違えて扉を開けてしまい見てしまったのです。
その光景は忘れられない。
そしてその時のES,G,Bの和音も。
見てはいけないものを見てしまったと思ってすぐ扉を締めてどきどきしてブラームスザールを後にしたのですが、(きっとぼーっと歩いて迷ったかなにかだったのでしょう。)いま44歳の私なら警備員みたいなおじさんか、または彼、シフ本人に追い出されるまでその場にいるだろうなあと苦笑しています。