松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

朝倉三連水車

2007-08-23 23:27:23 | 美しい風景
ゴトゴトと回っていました。
この朝倉三連水車、
動いていない時は、冴えない感じなんですが
動き出したら、それまでのぼーっとした表情が一変し
活発に元気よく水を運んでいます。

以前は、この水車を見て、
「だから、何?」と思っていた私ですが、
最近は見に行く度に愛着がわいてきます。

朝倉三連水車は、江戸時代、度重なる筑後川の洪水と、
それに伴う飢饉の中で生まれました。
1663年に田畑を潤すように筑後川から水を引き
堀川を作ったのですが、
堀川より北側の土地は高いので、
せっかく引いた水の恩恵を受けることができませんでした。
そこで登場したのが水車です。

朝倉三連水車の揚水量は一日7.892トン。
13.5ヘクタールを潤しています。
水の力を利用して自然とくみ上げられ、
水が導かれる様子を見ると、
その驚異の技術力に
ただただスゴイとうなるばかりです。

なんとなく中学・高校で習った
江戸時代の農民のイメージは
因習的で身分差別があり、
虐げられた暗い生活って感じなんですが
実際のところは、どうだったのだろうと思います。

世界を見ると、西洋から搾取されるだけ
搾取され続けたアジア・アフリカの植民地は
当然ながら知識を得る機会もなく、
技能が培われる芽もむしとられ
ただただ白人のために働き、
日々の糧をしのぐ生活を強いられてきました。

日本の場合、確かに洪水や台風、飢饉に干ばつと
苦しい生活だったのだろうとは思いますが
水車を作るには、数学ができないとまず無理なわけで
食べるものに困る生活で
農民はどうやって数学を学ぶのか?

ほの暗い無知蒙昧の世界で、
どうやったら三連水車を作る技術力の高さは
培われたのか?

そう考えると、農民達の驚くべき知識と能力の高さは
日本が独立国として過ごしてきた
その歴史のおかげともいえます。
特に内戦の終わった平和な江戸時代は、
そう暗い時代ではなかったんじゃないかと
思われてなりません。

案外、今と変わらない感覚だったのかも。

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