松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

ぶどう狩りの季節

2007-08-17 23:16:59 | 美しい風景
巨峰開植の地田主丸はぶどうの季節になりました。
今年は巨峰開植50周年にあたるので、
私も多少ながら記念誌に関わらせていただきました。
そこで、ちょっとだけ巨峰の歴史をかいつまんで
ご紹介したいと思います。

巨峰は昭和17年静岡の伊豆で、
民間の実践的な農学者・大井上康氏によって生まれました。
粒が大きく、甘いぶどう。
石原早生とオーストラリアから取り寄せたセンテニアルという品種を
交配させて生まれた巨峰は、
まさに大井上氏の夢のぶどうでした。

太平洋戦争のさなか、必須の食物ではない果樹が伐採される中、
敷地の片隅で、巨峰は細々と生命を繋いでいました。

田主丸町の稲作農家が、少しでも収穫をあげようと、
試行錯誤の末、行き着いたのが巨峰です。
昭和32年、最初はたったの5人から始めた巨峰の栽培ですが
大井上先生の弟子越智通重氏を招き、
「九州理農研究所」を設立し、栽培技術を深めていきます。

民間学者が巨峰を開発したということで、
国は巨峰を敵視し、「実が落ちやすく育てる価値はない」と
「奨励品種」に入れなかったおかげで、
巨峰栽培農家は設備投資の融資を受けられず、
市場の卸値も冷ややかでした。

農家はなんとか消費者に巨峰の魅力を知ってもらおうと
町役場や有志の協力をもとに、
活発に試食会や宣伝活動を行います。
消費者からは、巨峰の粒の大きさと甘さに驚かれ
「こんなぶどう食べたことない」と
大きな反響を巻き起こるようになり、
ついに旅行会社の団体客が、バスを何台も連ねて
田主丸へ「観光ぶどう狩り」に来るようになります…。

…というわけで、もっと詳しいことは
こちらのサイトへどうぞ。

実のところ、私自身は巨峰は好きだったかというと
小さい頃シーズンになるといつも巨峰が食卓に上がっていたので
少々食傷気味の時期もありました。

でも、巨峰のことを知るにつれ、
あらためて巨峰が栽培される風景の近くで暮らせることと
この季節になると巨峰を食べられることに
感謝の気持ちがわいてきます。

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