79km関門を通過。
すぐ横にある公園のトイレに駆け込む。
下痢。
急に胸焼けがひどくなる。
吐きそう・・、我慢して走るのはとても辛い。
口の中に指を突っ込んで嘔吐。
(酒飲み高知県人の得意技でもある)
すぐには立てない。
上下の第2波がないのか様子をみる。
手洗いで口をゆすぎコースに戻る。
トイレ時間17分。
これはヤバい。
もうキロ8分で行けるところまで・・
とりあえずスッキリしたがペースが上がらない。
歩かないように心掛ける。
トンネルをくぐると80km地点。
「11時間8分」
まだゴールは見えていると思うが、お腹に力が入らない。
脚だけでは思うようには走れない。
とりあえず歩かない。
「鵜ノ江地区」に入る。
恰幅のいいおじさんが大声でランナー達を冷やかしている。
「おい!ゼッケン○○○○番!お前は何処から来たー?!」
「静岡です!」
「おお!静岡かあ!あそこのワサビは旨かったな~!」
なんじゃそりゃ。
「おい!○○○○番!お前は何処から来たー?!」
「沖縄です!」
「メンソ~レーー!」
やるやんけ・・
ついに自分、
「おい!○○○○番!お前は何処から来たー?!」
「中村ー!!(四万十市の旧地名)」
「・・・、(後ろを振り返り)おい!中村言いようぞ!誰か知り合いおらんのか!」
果たして「鵜ノ江の名物オヤジ」になれるのか・・
鵜ノ江の集落に突入。
飛脚応援隊が現れる。
今度は嫁と合流している。
応援隊はここではランナー達の脚に冷却スプレーを振りかけている。
例年の事で手慣れた感じで冷却してくれる。
「どう?」
「下痢したで~、かなりヤバいね」
「まあ諦めずに行けるところまで行くけん」
最近はこの言葉を吐くことが多い。
「頑張れー!」
珍しい嫁の大声エールで送り出される。
「勝間の沈下橋」が見える。
冬に病気で死んだ親父を思い浮かべる。
ガン、糖尿、透析、肺炎、
入院中にぶっきらぼうな親父が1日だけ饒舌に喋った。
話は一方的で、何かを伝えたいのか・・必死に喋った。
今思うと、あの時すでに自分の死期を悟っていたのだろう。
親父が趣味で集めていた土佐寒蘭。
仕方なく引き継いで水やりをしている。
鉢に刺された札に「勝間」と書かれているものが花芽を付けて、
今にも咲きそうな蕾を付けている。
親父はこの勝間地区のどの山に入っていたのだろう・・、
トンネルを潜る。
田出ノ川地区に入る。
2年前に死んだオフクロの里である。
数年前にパーキンソン病と診断されたオフクロ。
普段弱気な姿を見せないオフクロが息子の前でオイオイと子供のように泣いた。
それからは日に日に手足の自由が奪われていく恐怖との戦いだった。
ウエストポーチには両親の写真を忍ばせてある。
旅行嫌いだった親父。
仕事が忙しくて旅行に行けなかったオフクロ。
結局家族旅行なんて一度も出来なかった。
せめてもの思いで100kmの旅を共にする。
辺りは早くも暗くなった。
川登地区に入る。
関門を「1分前」に通過した。
膝に手をついてうなだれた。
川登の関門が閉鎖された。
「最終ランナー」となった。
2年前はゴール付近で最終ランナーと告げられた。
来年は「最終ランナーTシャツ」作るか・・
給水をとって走り出す。
腕に書かれた子供達からのメッセージは暗くて見えない。
ゴール地点では3人の子供達がボランティア参加している。
せめて「あきらめない姿」だけは見せたい。
最終関門を目指して走る。
三里地区に入る。
真っ暗。
おそらくボランティアの車だろうが、
キロ9分のランナーに併走して道を照らしてくれる。
申し訳ないが随分助かる。
歩くランナーをどんどんと交わす。
90km地点通過。
ボランティアさんに問いかける。
「最終関門閉まるまであと何分ですか?」
申し訳なさそうに答えがかえる。
「残り4kmであと20分です・・」
「キロ5分か・・くそ~」
悔しいけど走る。
諦めない。
エイドで蛍光スティックを渡される。
もう走っているランナーがいないのか、応援がアツい。
大声で叫んでくれる。
「お兄さん!その調子ー!!」
「絶対にゴール出来るけん!頑張ったよーー!!」
心に突き刺さり涙が出そうになる。
ここにきてまだ「頑張れ」と言ってくれる・・
ここまでたくさんの応援を頂いてきたのに・・、
ゴールを約束した子供達がまだ待っているのに・・、
頑張れなかった情けない父・・。
真っ暗な山道を走りながら涙が出た。
最終関門が見えた。
94km佐田最終関門。
「10分オーバー」
悔しいがちゃんと走ってここまで頑張れた。
気持ちを切り替えてバスに乗り込む。
バスの中はすでに満員。
最終関門のバスの中はみんな明るくよく喋る。
悲壮感というよりも頑張った満足感のほうが感じられる。
5kmのバスの旅はたったの5分で終わる。
ゼッケンの端をちぎられたランナーは、リタイアタオルを片手に最後の難関に向かう。
体育館までの下りの階段。
ギットンバッタンと体を揺さぶって下る。
飛脚応援隊と合流。
「残念やったね~」
「来年も挑戦するで!っていうか来年はみんなで走るぞー!」
嫁に聞く、
「子供達は?」
「お父さんダメやったらしいで、って言うたら、ふ~んって」
「ふ~ん」か。
娘は表彰式のボランティア。
息子は体育館内の荷物班。
次男はゴールしたランナーのレーシングチップを外している。
応援隊・完走飛脚ランナーと記念撮影。
「ウルトラマン家族」と「チーム飛脚」の四万十川ウルトラマラソンは
来年へと続く・・。
【終】
~あとがき~
長文失礼しました。
しかもかなり私的な奮闘記で申し訳ありません。
第19回四万十川ウルトラマラソンは無事に終了しました。
おおかた「曇り」というのは初めてではないでしょうか。
完走したランナーの皆さん、「おめでとうございます」。
私は残念ながら完走できませんでしたが、
それもまた語り草で、頑張った武勇伝でもあります。
10月20日の携帯電話の歩数計が「13万5480歩」を記録しました。
やっぱり100kmマラソンってすごいですね~
私は地元のランナーですが、走るたびに四万十の良さを再発見します。
四万十の景色、四万十の人、
やはりこの大会は「四万十市が全国に誇れるもの」の一つだと思います。
来年は第20回の記念大会でもあり、
何とか定員を増やして、多くの人に走ってほしいものですね。
~四万十川ウルトラマラソン~(数年前のRUNNETより)
ウルトラマラソンは『旅』である。
山を登り、川を眺め、橋を渡り、人とふれあう。
その全ての要素を十分に堪能させてくれる当大会。
もちろん長い道中は楽しいことばかりではない。
辛くて痛くてしんどくて、辞める理由ばかり考え出した時、
四万十川の美しい景色と、地元の心温まる声援が、
折れそうな心に深く染み渡る。
「何故100kmなんてとてつもない距離を走るの?」
という質問をよく聞くが、
その答えはこの大会の中にあるのかもしれない。
最後の1時間、
フィニッシュ会場に帰ってくる選手達を見れば、不思議なくらい誰もが
『私もこんな風になりたい』
という気持ちになるのだ。
そしてまた一人、四万十で新しいウルトラランナーが生まれていく。
後日、立派に咲いた親父の「勝間の寒蘭」。
何かを語り掛けてくれているようです・・。
62km「カヌー館」
100kmの部は1度だけこのカヌー館で荷物を受け取ることが出来る。
ボランティア中学生がゼッケンで確認された荷物を渡してくれる。
事前に送られてきた封書に入っていた応援メッセージは、
西土佐中学の女の子からだった。
きっとこの中の誰かに違いないが、探して声を掛ける勇気などない・・。
心の中で感謝する。
(後で偶然知ったが、バレーボールのエースさんらしい)
カヌー館はランナー達にとっては「楽園」である。
天国のように敷かれた芝生が青く眩しい。
昆布のおにぎりやお味噌汁が本当に美味しい。
楽園に捕えられたランナーはそこでレースを終えてしまう。
楽園はトラップゾーン。
過去の経験からここでの時間が後半の後悔につながる。
そのまま走り出してもよかったが、
濡れたシャツは不快だったんで急いで着替えた。
家のご近所さんでもある知り合いランナーが偶然傍にいた。
「さっき聞いたけどここからキロ9分でゴール間に合うらしいよ」
「え~!ホンマですか!?」
「キロ9分で完走できる!」
絶望の淵から光が差すような感じがした。
早く蜘蛛の糸を辿ってこの楽園を抜け出さねば・・
ボランティアの知り合いを見つけたが、
手を振っただけで先を急ぐ。
まだ蜘蛛の糸はゴールへと繋がっているのだ!
カヌー館を出発。
滞在時間が短かったおかげで脚が固まらずにすんだ。
ここからの道は先月自分の脚で試走している。
粘れば何とかなる。
まずは江川崎の赤い大橋を目指す。
脚は疲れて遠く感じるが土地勘もあるので粘る。
1km毎にキロ8分を刻む。
江川崎の赤橋に到着。
ここからは車と合流する。
息子の担任先生が赤い顔をして歩いている。
白いゼッケンからすると60kmの部に出場らしい。
「先生走れ~!」と喝を入れる。
出来る事ならみんな完走してほしい。
過去のレースではたくさんのランナーからも励ましを頂いた。
ランナー同志の励ましはかなりの効果がある。
後ろからくる車の気配を感じながら端を走る。
狭い道幅はやはり危ない。
網代の休憩所のトイレに入る。
試走で確認済みで時間のロスもほとんどない。
次は「岩間の沈下橋」を目指す。
少し長いのは知っているがキロ8分をひたすら刻む。
長い直線の後に「岩間の沈下橋」に到着。
ランナーはまばら。
沈下橋独占、と思ったら後ろから車が・・。
せっかくの写真ポイントなのに自衛隊のジープに追われた。
沈下橋を渡ってからの少しの上りが登れない。
相当脚を酷使している。
70kmの看板を目指す。
自分自身の2つ目のチェックポイント。
70km地点をちゃんと走れる走力が残っているか・・。
残っている。
キロ8分台で進む。
私設エイドで梨を頂く。
大声で叫ぶ。
「ここが楽しみで、ここを目指して走ってきましたー!」
おじさん達がドッと湧く。
瑞々しい梨が美味しい。
芽用大橋を渡る。
橋のたもとは関門所。
2年前は関門25分前に通過して、結果時間外完走だった。
今年は関門35分前に通過。
やっと取り戻してきた。
粘ればまだ完走できる。
75km地点、
エイドでの時間がロスとなって襲い掛かる。
この5kmはキロ9分を超えてしまった。
ここでアクシデントに見舞われる。
急にお腹が痛くなった。
これは下痢の痛み。
下腹に力が入らない・・
普段の長距離走でもたまにあること。
我慢して走っていたら直るときもある。
下を向いて進む。
中半地区は本当に長い。
我慢との勝負、
そこに看板の「となりのトトロ達」が現れた。
メイちゃんが心配そうにこちらを見ている。
トトロは超笑顔だ。
今はトトロよりも本物の「猫バス」に会いたい・・。
下痢の波を何回も耐えながら走る。
長い中半地区もやっと終わり、口屋内地区に入る。
「旅館せんば」の前で大きな声援を受ける。
ここの応援はアツい。
凄く嬉しいが、でんでん太鼓の音が下腹に響く。
バス停付近では、
並んで応援するお年寄りをテレビクルーが撮影していた。
そのお年寄り達の前を通過する。
一斉に声援をくれるお年寄りのみなさん。
ここぞとばかりに気合い十分のカメラマン。
まさかそのランナーは下痢に耐えているとは思いもしないだろう・・。
賑やかな口屋内地区を通過すると次は久保川地区を目指す。
久保川には公園のトイレがある・・
36.6km、昭和大橋第一関門
関門タイムは1時間あるが、過去一番遅い。
この昭和大橋は応援の声援が多い。
声援は元気をもらえる。
橋の向こうの車道の直線にランナーが連なる。
昭和大橋を渡ると長い直線の車道。
若干上り気味だが応援バスの皆さんからの声援が温かい。
過去は晴天でこの直線は暑さとも戦うが、
今年は風も無い曇り空で走りやすい。
トンネルを潜り小野大橋に向かう。
個人的にはこの長い直線は調子のバロメーター。
峠で脚を使いすぎるとこの直線はキツい。
ペースは上がらないが、しっかりと走れる。
前半セーブした甲斐があったのか・・、
明るい兆しが素直に嬉しい。
小野大橋を渡るとエイドがある。
5回目ともなるとエイドの位置も把握できている。
「レース経験」、これを味方に頑張るしかない。
40km地点通過。
「4時間56分」、
救いは脚が動く事。
その先の十和の赤橋は「60kmの部」との合流地点。
残念だが「60kmの部」はもうとっくにスタートしていた。
41kmエイド到着。
2回目のおにぎりエイド。
飛脚応援隊と合流。
応援隊「調子はどう?」
「いや~、峠が今までで一番キツかった・・」
今回、十和での応援隊は友人2名。
この応援隊はこの後2時間かけて窪川まわりで中村に帰る。
山道は車の行き違いが困難な細道。
渋滞でランナーの脚を止めてしまうこともしばしばある。
何より足元もおぼつかないランナーのすぐ横を車が通るのは危険。
その為車での移動応援は禁止事項。
飛脚応援隊はランナーでもあり、(抽選漏れた)
その辺のことは心得ていて遠回りしてゴール地点に帰る。
しかもこの飛脚応援隊の素晴らしいところは、
「ランナー全員に全力応援」。
「チーム飛脚」自慢の応援隊である。
応援ボードは応援隊長娘さんの手作り。
(今回は受験生のために応援不参加)
「じゃあ頑張るけんね~!」
応援で元気をもらい再スタートする。
きっと応援隊はこの後、道の駅十和で美味しいもん食べるはず・・、
ちょっと羨ましい。
42.195km地点、
ちょうどフルマラソン。
ご丁寧にも看板が立てられてあった。
これからもう1本フルマラソン走ってもまだ足りない・・、
いやいやこれは危険な考え。
100km目指して走るのみ。
キロ8分台に落ちる。
とりあえず走れるんでキープ。
キロ9分台にならないように気を付ける。
「ライダーズイン四万十」が見えてきた。
普段はライダーのための宿泊施設だが、
ウルトラの時だけトイレを使わしてくれる。
ここは個室で洋式トイレ。
100kmの道程の中で最も贅沢な空間だろう。
走れるうちは寄り道せずに前に進む。
もうあまり時間に余裕が持てない。
50km地点、
ちょうど半分。
沿道の人に後ろから袖を引っ張られた。
振り向くとSさん。
Sさんは飛脚Tシャツ製作でお世話になった。
今回は手作り応援旗まで用意してくれていた。
「飛脚さん結構この前を通ったけど誰も気付いてくれん!」
「スイマセン!僕も気付きませんでした!(笑)」
100km完走歴もあるSさん、
とんだサプライズ応援がうれしい。
少し走ると四万十ウルトラの有名人、
「オカリナ奏者」登場。
今回も優しい音色でランナーの心を癒してくれます。
毎回楽しみにしているオカリナの演奏。
何の曲か耳を傾けた・・。
おお、これは「光ゲンジの100%勇気」やん。
メロディーに乗せて歌詞が頭の中をよぎる・・
「♪がっかりして メソメソして どうしたんだい~」
「・・・」
53km半家沈下橋。
この沈下橋は往復。
写真撮影ポイントでもある。
沈下橋にランナーが少ない。
完全に出遅れたと感じる。
沈下橋の上は何回走っても気分がいい。
これは全国のランナー達は喜ぶだろう。
美しい四万十川、川のせせらぎ、圧倒的な風景、
リフレッシュすること間違いない。
沈下橋でリフレッシュした後は気を引き締めなくてはならない。
第2の峠、「半家の峠」があるのだ。
この峠は短い割には斜度がキツイ。
「全員歩きなさい!!」
そんな号令が出ているかの如く、
ほとんどのランナーが歩いて登る。
残念ながら歩いても脚への負担が大きい。
同じ歩きなのに数人に追い抜かれる。
堂ヶ森でもそうだったがお腹に力が入らない感じ。
もしかして2日前に下痢したのをまだ引きずっているのか・・
山から引かれた水で顔を洗い頂上に到着する。
この峠は下りの方がはるかに困難。
疲労激しい脚が悲鳴を上げる。
(スラロームするランナーさえいる)
半家の峠を越えるとエイドがある。
そこは関門所でもある。
ボランティアの知り合いに冷やかされる。
「あら~?あら~?いいんですか~?ここで関門1時間前ですよ~」
「ハハハ、やっぱり厳しいかね~?」
エイドで給水。
疲労が激しいけど、ここには水しか置かれていない。
気を入れ直して進む。
ここからはひたすら「カヌー館」を目指す。
同じ風景が続き、脳も疲れてくる。
沿道の声援とエイドでの掛け声が嬉しい。
少しの拍手、手拍子がランナーの脚を動かす。
60km地点通過。
「7時間51分」
過去最遅ペース・・。
遠くからアナウンスが聴こえはじめる。
カヌー館が近い。
4.8km、最初の給水所が現れる。
少し迷ったが水を口にする。
給水所にはコーラもある。
たぶん今回から初登場の魔法の水「コーラ」。
約5km地点では魔法も効かないだろう・・
9km地点竹屋敷の集落を通過。
辺りはもう随分明るい。
10km地点通過。
ちょうどキロ6分。
自分の走力ではこれ以上突っ込んではいけない。
山道になり徐々に登り始める。
エイドで給水。
曇り空なのにやたらと喉が渇く。
普段のジョグでは調子の悪いときに多い。
15km地点通過。
まだキロ6分台。
ヘアピンカーブから急坂に入る。
「堂ヶ森の峠」スタート。(標高600m)
峠の頂上付近を見上げる。
若干空が明るい感じ。
エイドで雨用のポンチョを脱ぎ捨てて戦闘モードに入る。
峠中盤から早くもキツくなる。
どんどんと健脚ランナーに抜かれる。
抜いていくランナーのふくらはぎが凄い。
ふくらはぎの中で違和感を感じ始める。
「攣り」の前兆なのか・・、
恐怖を抱えながら峠を登る。
タイムがどんどん落ちる。
「堂ヶ森」、この峠は四万十ウルトラの醍醐味でもある。
困難が多いほど攻略する喜びも大きい。
これは「M」的な考えでもある。
100kmもの長い道程の中に標高600mの峠、
これを喜んで走るランナー達は「ドM」の集団なのか・・・、
「四万十ウルトラ」=「M1グランプリ」。
頭の中で妙な事を考えながらひたすら登る。
しかし体が重い。
20km地点通過。
「ピーーー」
20km毎に設置された計測ポイントで音が鳴る。
靴紐に装着したレーシングチップから通過速報がWebにアップされる。
「2時間16分」
やはり今までで一番遅い。
どうやら今回の不調を自覚しなくては・・
21km峠の頂上。
ランナー達にとってはオアシス。
やっと峠が終わった安堵感が辺りに広がる。
エイドでおにぎりを食べる。
エネルギー切れも致命傷になりかねない。
救急車が待機している。
2年前にはハチに刺される騒ぎがあったらしい。
今年は何もなければいいが・・
軽く屈伸して下りに向かう。
この下りは9㎞。
リズムを取り戻すチャンスであったが、やはり体が重い。
雨がポツポツと落ちてくる。
すぐにしっかりとした「小雨」になる。
ポンチョを捨てたことを後悔する。
しかしシューズの中が濡れるほどの雨でもなく、たいして気にはならない。
長い下りは脚の負担が大きい。
スピードに乗りたいけれども不調。
不調な時に無理をすると後半に潰れる。
自重してキロ7分台で走る。
この区間をキロ7分台は相当にヤバいのは承知している。
「お~い」
後ろから友人女性Mさんが飛脚Tシャツで現れる。
「追いついたね~」
余裕さえ感じられる彼女。
「袖のロゴマーク、宣伝頼むで~!」
「了解、でもこっちの袖も見てホラ!」
右袖にはアンパンマンのバッヂがついている。
「追悼やけんね~」
先日お亡くなりになった「やなせたかし」さん。
高知県を代表する漫画家でもあり「詩人」でもあった。
【何の為に生まれて 何をして生きるのか】
【答えられないなんて そんなのは嫌だ!】
去年も100kmを完走した彼女は足取りよく前に消えた。
背中の「飛脚」の文字がよく目立つ。
「チーム飛脚」
Web上で起ち上げた同級生のランニングチーム。
勢い余ってお揃いのTシャツを製作した。
今回は同級生以外にも知人を通じて沢山のランナーに着てもらった。
「60kmの部」には面識のない飛脚も多い。
「監督」としては何としても追い付いて合流するつもりだったが・・。
30km地点、
やはりキロ7分台。
「お~い」
再び後ろから友人女性Mさんが飛脚Tシャツで現れる。
「え?何で後ろから?」
「ああ、トイレトイレ~」
女性ランナーは少ない仮設トイレに列を作る。
大幅なタイムロスは間違いない。
山道が多いんでどうしても仮設トイレには頼らないといけない。
仮設トイレの増設は何とかならないものか・・
そういえば今年は男性ランナーの立小便が例年よりも少なく感じた。
これは大変いい傾向だと思う。
山道が終わり四万十川と合流する。
川の景色は癒しの効果がある。
「何の為に生まれて 何をして生きるのか・・」
疲労度が増した頭では全く考えられない・・。
一体何時間寝られただろうか、
途中目が覚めてからはなかなか寝付けなかった。
毎度のことなんで気にはならない。
AM3時、動き出す。
朝食は餅・バナナ・ウィダー・梅干し、など。
洗顔後、脚にテーピング。
主に練習で痛めた右股関節を保護。
摩擦予防のためのワセリンを体中に塗る。
裸になって気付いたが今年は寒くない。
室温で20℃。
カーテンを開けたが、とりあえず雨は降っていない。
迎えに来た知り合いの車に乗せてもらい、
スタート地点である蕨岡に向かう。
スタート会場付近は既に渋滞気味。
手前で降ろしてもらって歩く。
オレンジ色の街灯に照らされたランナーが列をなす。
すぐ傍では松明の炎がメラメラと闘争本能を掻き立てる。
前方にはライトアップされたスタートゲートが浮かび上がる。
開会式会場は蕨岡中学校。
学校へ向かう細道の途中、小屋の鶏がバサバサと動き回る。
「コケーッ、コケーッ」
普段の静けさからするとパニックだったに違いない。
中学校校庭は多くの仮設トイレが設置されていて、
既にランナーの列が出来ている。
グラウンドは水が浮いていて、
足元を汚したくないランナー達が牛歩で荷物を預けに向かう。
開会式はまだ始まっていなかったが、
さっさと荷物を預けてスタート地点の車道に出る。
ストレッチ開始。
市長が何やら喋っているが、ここはストレッチに集中。
近くで恒例の一条太鼓がドンドコと鳴り始める。
開会式を終えたランナー達が続々とやってきて、
スタートゲートを埋め尽くす。
友人を見つけて一緒に並ぶ。
今年は早めに車道に出たせいで列の前方にいるのは間違いない。
「こんなに前の方で大丈夫かね~?」
「いや~これはヤバいかも・・」
そんな不安をよそに有名ランナーが紹介され始め、
そのたびに拍手が沸き起こる。
「スタート1分前!」
カウントダウンはあるのだろうか・・、
そんな事が頭に浮かぶ中、
「パンッ!!」
と、いきなりスタートした。
慌てて時計のボタンを押し、
「じゃあお互い頑張ろう!」と固い握手で検討を誓う。
スタートゲート付近はカメラのフラッシュが眩しい。
しばらくはバンザイポーズのまま走る。
(前回2年前は足元ケーブルに足を取られ派手に転んだ)
「いってらっしゃーい!」
沿道の声援が背中を押してくれる。
しばらくは松明が並ぶ。
勢いを増した炎がメラメラと立ち上がる。
その横にボランティアの友人の姿。
「おーい!行ってくるぞー!」
大きく手を振って元気いっぱいに出発する。
この松明班はこの後夕方のゴール地点に移動するらしい。
本当に頭が下がる。
やはり今回も出来るだけ「ありがとう」をちゃんと口にする決意をする。
松明が切れるとキャンドルが並ぶ。
暗闇の中、幻想的に揺れるキャンドルが足元を照らしてくれる。
今回で5度目の出走。
いつもスタート地点の雰囲気は最高。
四万十市民の「オモテナシ」の心意気がしっかりと伝わる。
キャンドルの列が切れると
灯りはボランティアスタッフの自家用車のライトに変わる。
一定の間隔で自家用車のライトが道を照らしてくれる。
その頃になるとランナーの列も縦長になり、
それぞれのランナーが自分のペースを確認し始める。
約1500人の一斉スタート。
周辺の民家ではランナー達の足音が「地響き」するらしい。
まだ暗闇だが、雨もなく水溜りも少ない。
少し体が重いが調子も悪くなさそう。
周辺のランナーと歩調を合わせ様子を伺う。
さあ頑張らなくては・・