昨晩のこと。
21時頃オフィスにいたら、胸ポケットの携帯が鳴った。
画面を見ると家からである。
何となく、嫌な予感がした。
普通なら子どもたちはもう寝ている時間だ。
こんな時間に家からの電話なんてよほどのことがないと掛かってこない。
出てみると案の定、妻からで下の娘の具合が悪いという。
夕方から「おなかがいたい」と言い出してずっと泣いているという。
「スグに帰る」といって電車に飛び乗ったがオフィスから家まで一時間はかかる。
タマタマ階下に住む母のところに姉が遊びに来ており、その間に姉が病院に連れて行ってくれた。
私は家に一回戻ってから母の車(ウチの車は車検中でなかった)でスグに病院に駆けつけた。
病院に着くと娘の症状は幸いにも落ち着いており大過なくてホッとした。
しかし会社から家、病院までの約1時間半の道のりの長く感じられたこと。
苦痛に歪む娘の顔が頭に浮かぶ。
大丈夫だろうか。
苦しんでいるのではないだろうか。
何か悪い病気ではないだろうか。
あんなに小さいのにどんなに心細くて苦しい思いをしているのだろう。
入院、なんてことになったらどうしよう。
「替わってあげたい」というよく聞く子を持つ親の言葉が胸に染む。
本当に替わってあげたい、と思うものだ。
特に昨日の場合、私は状況を想像するしか出来ないので余計に心配だ。
むしろ、そばにいて抱きしめてあげられたら気持ちとしては楽なのに、なんて思ったりもする。
上の娘にも思いを馳せる。
ババの許で待って先に寝ていればいいものを、一緒に車に乗って付いていったという。
彼女なりにただならぬ気配を感じていたのであろう。
眠いだろうに・・・
私が病院に到着して、姉が帰宅しても私と一緒に車でふたりきりになっても彼女は寝ようとしなかった。
ところが妹と妻が戻ってきて、車が動かした瞬間、流石にホッとしたのかコテっと寝てしまった。
帰る道すがら思った。
家族の健康って本当に大事。
私がこうして毎日を充実して過ごせるのも、家族が健康でいてくれるからだ、と。
妻でも、娘でも、体を壊したらと思うと・・・
一方で昨日の昼間、私は知人のお父様の葬儀に参列していた。
長い間闘病した末に他界なさったという。
告別式で目を真っ赤に腫らしながらも気丈に挨拶する知人を見て、私が両親を見送る立場になったとき果たしてああも気丈に挨拶できるだろうか、とフと思った。
フーテンの父と口性のない母ではあるが、やはり親は親。
最小の社会単位といわれる家族の他界に際しては流石に涙を流すかも知れないな、と思った。
なんて『家族』というものを強く意識した一日だった。
・・・病院から戻ったら、もう十二時を回っていた。
ぐったりと寝てしまった子どものずっしりとした重みが、ある意味で幸せの証拠かもしれないと思った。
21時頃オフィスにいたら、胸ポケットの携帯が鳴った。
画面を見ると家からである。
何となく、嫌な予感がした。
普通なら子どもたちはもう寝ている時間だ。
こんな時間に家からの電話なんてよほどのことがないと掛かってこない。
出てみると案の定、妻からで下の娘の具合が悪いという。
夕方から「おなかがいたい」と言い出してずっと泣いているという。
「スグに帰る」といって電車に飛び乗ったがオフィスから家まで一時間はかかる。
タマタマ階下に住む母のところに姉が遊びに来ており、その間に姉が病院に連れて行ってくれた。
私は家に一回戻ってから母の車(ウチの車は車検中でなかった)でスグに病院に駆けつけた。
病院に着くと娘の症状は幸いにも落ち着いており大過なくてホッとした。
しかし会社から家、病院までの約1時間半の道のりの長く感じられたこと。
苦痛に歪む娘の顔が頭に浮かぶ。
大丈夫だろうか。
苦しんでいるのではないだろうか。
何か悪い病気ではないだろうか。
あんなに小さいのにどんなに心細くて苦しい思いをしているのだろう。
入院、なんてことになったらどうしよう。
「替わってあげたい」というよく聞く子を持つ親の言葉が胸に染む。
本当に替わってあげたい、と思うものだ。
特に昨日の場合、私は状況を想像するしか出来ないので余計に心配だ。
むしろ、そばにいて抱きしめてあげられたら気持ちとしては楽なのに、なんて思ったりもする。
上の娘にも思いを馳せる。
ババの許で待って先に寝ていればいいものを、一緒に車に乗って付いていったという。
彼女なりにただならぬ気配を感じていたのであろう。
眠いだろうに・・・
私が病院に到着して、姉が帰宅しても私と一緒に車でふたりきりになっても彼女は寝ようとしなかった。
ところが妹と妻が戻ってきて、車が動かした瞬間、流石にホッとしたのかコテっと寝てしまった。
帰る道すがら思った。
家族の健康って本当に大事。
私がこうして毎日を充実して過ごせるのも、家族が健康でいてくれるからだ、と。
妻でも、娘でも、体を壊したらと思うと・・・
一方で昨日の昼間、私は知人のお父様の葬儀に参列していた。
長い間闘病した末に他界なさったという。
告別式で目を真っ赤に腫らしながらも気丈に挨拶する知人を見て、私が両親を見送る立場になったとき果たしてああも気丈に挨拶できるだろうか、とフと思った。
フーテンの父と口性のない母ではあるが、やはり親は親。
最小の社会単位といわれる家族の他界に際しては流石に涙を流すかも知れないな、と思った。
なんて『家族』というものを強く意識した一日だった。
・・・病院から戻ったら、もう十二時を回っていた。
ぐったりと寝てしまった子どものずっしりとした重みが、ある意味で幸せの証拠かもしれないと思った。
すごい、私も共感しました。普段は、いて当たり前になっちゃってる家族の大切さにふと気づく瞬間ってあるよね。う~ん、ほんと、え~はなし。
上のほうで、せかちゅーの話でてたけど、あんまり妹が勧めるので半分バカにしつつ観てみたら、号泣しましたわ~。いい時代だったね~