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イリアーデの言霊

  ★心に浮かぶ想いのピースのひとかけら★

紅蓮に対する迫害はいつやむのか?

2008年06月28日 02時02分15秒 | 小説

 TVアニメ版『少年陰陽師』は原作どおり、真の主人公・紅蓮(騰蛇)が“人柱”にされるといういう最悪な形で葬り去られ、中途半端に幕を下ろされました。それにしても、天狐編の序盤にされている「真紅の空を翔けあがれ」は、風音編と天狐編を繋ぐ紅蓮復活編とすべきではないでしょうか?

 紅蓮が真の意味で復活する「真紅の空を翔けあがれ」では高龗神の口車に乗せられて紅蓮を殺した揚げ句、《紅蓮》としての彼を殺した術を掛けたのは他ならぬ昌浩なのに、皆が寄ってたかって騰蛇を罵倒し、騰蛇を唯一気にかけていたとされる勾陣までもが騰蛇を悪者扱いしたのには呆れました。他にも数多の紅蓮に対する酷い仕打ちがそこかしこにあるので、結城光流先生の紅蓮に対する悪意は疑いようがありませんね。青龍の一方的な紅蓮に対する敵意は結城先生の心の反映なのです。

 アニメで終始“もっくん”だけで紅蓮は出番なしのお話が幾つかあり、原作でも紅蓮よりも“もっくん”の方が出番が多いのが私は不満です。アニメの続編が制作され、アニメ&原作で紅蓮だけしか出ないエピソードが描かれることを切に願っています。紅蓮ファンの私としては、是非とも紅蓮だけというのが欲しいですし、紅蓮の心の具現である“もっくん”の心の声は小西さんであるべきだと思います。これは、アニメ版のOPナレーションで“たった1つの真実見抜く、見た目は子供、頭脳は大人、その名は名探偵コナン”とある、体は小学生くらいでも心は高校生「工藤新一」である『名探偵コナン』の主人公・江戸川コナンとてコナン役の高山みなみさんではなくて新一役の山口勝平さんんであるべきなのと同じことです。


花鳥風月-本当の優しさに気がついてね

2008年06月02日 21時18分10秒 | 小説
 今頃になって気付いたのですが、少年陰陽師のファン・サイト《花鳥風月》で描かれる『沈滞の消光を呼び覚ませ』で14歳(満13歳)までの昌浩と記憶を消されて3年を経た昌浩のもう1つの人格“煌”を巡る紅蓮たちの苦闘が描かれています。2人の昌浩を別個の存在として考えると、煌は数え年4歳(満3歳)の幼児です、あまりにも幼稚すぎる言葉と容赦なさ過ぎる攻撃は子供ゆえの残忍さの現われだと漸く理解できました。

 無責任な優しさが混乱と深刻度を増してしまった『沈滞の消光を呼び覚ませ』を読む度に、原作の昌浩がよく描写されているなと思いました。原作でも紅蓮達の苦労を増やしているのは昌浩ですからね。昌浩の誰彼構わず無闇に同調し、天狐編で“藤壷の中宮・彰子”という偽りの名と偽りの人生を強いられ父・道長の権勢欲と末孫である昌浩の伴侶として彰子を引き取った晴明の犠牲にされた章子を誑かし冷たい仕打ちでふるという呆れた言動に主人公はもう1人の主人公である紅蓮に統一しろ、と言いたいくらいです。

 原作の天狐編の完結巻での章子との最後の対面での冷たい言動は彰子に対して取るべきモノであり、彰子は窮奇の死後も消えぬ呪詛を刻まれることなく入内し、昌浩には別の女性を伴侶とすべきだったのです。完全にそこで結城光流先生は失敗しています。

 ところで、『孤絶な桜の声を聴け』の桜の精の“慶桜”が紅蓮に見えます。昌浩の死に殉じて欲しいと思うけれど、原作はどうやら昌浩の死にさえ置き去りにされるらしいと遠い先(紅蓮達にとっては明日も同然)が透けているようで、そんな紅蓮の胸を突かれるような哀しみと寂しさが…その痛みに耐えて彼の死後に昌浩が守った京の都を守ると思われる(私は昌浩の後を追って欲しい)紅蓮の姿が“慶桜”に重なって見えます。

 昌浩は本当に紅蓮に優しいのか?と言いたくなるような冷たい言葉が『孤絶~』でも隠し事(と言うほどでもなくても)をしていたことがわかった後の「もっくん(紅蓮)」に対して発せられていました。そんな姿が、原作の窮奇編で彰子に掛けられた窮奇の呪詛をこっそり晴明に願い出て肩代わりをし、そのことを紅蓮と彰子自身に隠し、呪詛の苦しみにのたうちまわって露見した後に紅蓮に助力を請うた昌浩みたいで、情が深く誰よりも優しい紅蓮の心を傷つけたのが他ならぬ昌浩だったので哀しいです。

 この苦しみは彰子が無事でいる証だから耐えられると昌浩は言っていましたが、紅蓮だけでなく当の彰子も自分に掛けられた呪詛を昌浩が肩代わりしたと知って傷ついていました。せめて、紫陽さんにはそんな優しさは間違っていると気づいた昌浩を書いて欲しいですね。動機は優しさからでも、昌浩の言動は紅蓮と彰子を傷つけました。昌浩は自分が傷つけば心を痛める紅蓮を含めた昌浩を大切に想う心を慮ろうとはしません。

 黒昌浩の幾つかの小説の中の1つの『器に込められたものは…』は「もっくん(紅蓮)」を大切に思い彼に優しい眼差しを向けていた昌浩が良かった。黒くても紅蓮に優しければ私は癒されます。

紋白蝶の佳人

2008年05月29日 03時12分25秒 | 小説
 三十路だろうが儚く嫋やかな男を欠片も感じさせぬ主人公・沙内深(さうち・しん)のような人間はいると思います。『月に濡れる蜜約』の主人公アレクシス・藍のように。但し、アレクは猫のようにしなやかでじゃじゃ馬ですが。

 深は僅か10歳の時に主家・広瀬家の跡継ぎである6歳年上の秋信(あきのぶ)に凌辱され、それ以降、夜昼問わず伽を秋信に強要される内に周囲に知れますが誰も深を救おうとはしませんでした。それどころか、広瀬夫妻は子を孕むことのない同性ならば図々しく妾の座を要求することもあるまい、そして、思春期の秋信が性の捌け口を求めるのは仕方のないことだと深を秋信の性の玩具として与え、深の両親も我が身可愛さに深を守るどころか差し出してしまいます。幾ら、主人の命令は絶対であり使用人は逆らうことを許されないのが当然の時代でも酷すぎますね。

 しかも、我が子を守るべき両親が自分たちと下の子供たち(深の弟妹)が生きていけなくなるからと、同じ我が子である深を人身御供に差し出した挙げ句に母は良心を持っていたらしく深を案じて他界しますが、父親の方は次期当主たる秋信を誑かす淫売だと深を侮蔑し見捨ててしまいます。自分たちが人身御供にしたくせに何という身勝手すぎる、醜い輩か!人の心を深の父親は持っていなかったのです。

オモチャ遊びの間違いでは?

2008年05月24日 11時02分35秒 | 小説
 オマケの「恋する誕生日」は題からして間違っていないか?と疑問を抱かずにはいられません。

 ロバートに半ば脅されて(自覚を促すためのお芝居)漸くアレクに対する恋心を自覚し己の想いを認めて受け入れたジェイルは、自分の罪を悔い改めてアレクと今度こそ共に幸福に生きていきたいと願いますが、ジェイルを愛してはいても身も心も捧げたジェイルは自分を道具として利用しただけだと、藍家の牢獄で自分に献身的に尽くし激しい情熱を傾けて恋い焦がれて求めてくれた姿は激しい情熱で自分を求め、深く慈しんでくれた心はアレクを篭絡するための虚偽でしかなかったと知ってしまい、ジェイルを信じられなくなっていたアレクはなかなかジェイルが自分を愛してくれているとは信じられませんでした。

 甲斐甲斐しく世話を焼き愛していると必死に掻き口説いて漸くジェイルの想いはアレクに信じて貰えて良かったですね。しかし、おまけの「恋する誕生日」は最初はラブラブだなぁと思ったのも束の間、お前、本当にアレクを愛しているのか?道具扱いして楽しんでいるだけだろうが。と突っ込みたくなる辱めのオチになっていたのは残念でした。プラチナ文庫・あさひ木葉先生の『虜は愛に身を焦がす』のオマケの「はじめて」みたいに夫婦(めおと)の営みを始める求婚と2人だけのベッドの中の結婚式&真の意味での初夜をきちんと描いて欲しかったです。

 それにしても、長衫(チョンサン)とか香港人(って何?)らしい装いとかをしていると書かれていますが、チャイナらしさが皆無です。敢えて、舞台を香港に設定する必要があったのかしら。

結びの神は香港マフィアに義兄

2008年05月24日 10時38分16秒 | 小説
 アレクは何も悪くない。それなのに復讐と憎悪にとり憑かれたジェイルの恋の罠に嵌められて捨てられ、その挙げ句にジェイルの密告で駆けつけたエドモントに“他人のお古なんぞ要らん!”と暴行を受け、その手下どもに輪姦されて場末の売春宿に売られ、望まずして男娼に身を堕としました。しかし、売春宿で用心棒がその役を兼ねたか、ともかく味見をした後か、それより先かは不明ですが奴隷調教の凌辱をされて男娼の技巧と媚態を仕込まれなければ不自然でしょう。何も知らない男娼とは名ばかりの素人でも好きな客はいるでしょうが、経験を重ねるだけでは足りないモノがあるだろうから。

 魔窟に堕ちたアレクは春をひさぐ日々を過ごしていました。しかし、ジェイルの激しく情熱的な恋の迸りを真実だと信じて囚われ、恋の奴隷に貶められた我が身を気づかずに一時の幸福に酔いしれたアレクを絶望のどん底に叩き込むための悪逆な罠でしかなくても、アレクの生涯ただ一度の恋になるかもしれなかったジェイルへの想いはアレクだけのものであり、ジェイルにもエドモントにも、いいえ、誰にも理解できる筈もないし、されたくもないでしょう。アレク自身にしかわからないのですから。

 欠片も罪のないアレクが魔窟に堕ちた元凶のジェイルは意気揚々とかねてからの計画通りに猗グループ買収劇を成功させ新会長として大々的にメディアに取り上げられ晴れ舞台にのぼり、時折、アレクのことが心を痛めてもその痛みの正体から目を背けて我が世の春を謳歌していたなんて最低ですね。自分もアレクに恋していることを、それに気づいていたのは義兄弟の契りを交わした義兄であり黒社会(香港マフィア)のロバート・費(フェイ)だけでしたが、さり気なくアレクが男娼になっていたことを知らせたりするなんて、いい兄貴ですね。

 しかし、油断は禁物です。ロバートはたとえボスに背いても義弟であるジェイルとその最愛の伴侶アレクの幸福を守ってくれるでしょう。しかし、ロバートのボスがジェイルの手腕を利用しようと企んだり、ボスがアレクを自分のスケにしようと画策したり売春させない保証は何処にもないのです!ましてや、兄弟分や兄貴分、そして舎弟たちがアレクに欲望を抱かないとどうして言えるでしょうか。

偽りの恋の果てに苦界に堕ちて…

2008年05月21日 23時50分19秒 | 小説
 アレクは崇め奉られるのは上辺だけの虜囚でしかない《藍家の巫女》の宿命から我が子だけでも救いたい、幸福に生きて欲しいと願った先々代の巫女である母によって日倉家の息子ジェイルとすり替えられ《日倉朋之》として日本で生きてきましたが、或る日、《アレクシス・藍》として飼育されていたジェイルが実はすり替えられていたことを彼の怪我が元で発覚し、アレクの実の両親である先々代の巫女とその後継たるアレクを儲けるためだけの種馬の夫は処刑され、アレクは拉致監禁されてしまいました。アレクの実母の願いも虚しく13年目にアレクは《藍家の巫女》として贅沢な部屋と衣装と食事etcの物理的には裕福で傍目には至福の境地に見えるかもしれないけれど、所詮は牢獄でしかなく幽閉され虜囚にされ、以降、12年の時を猗家の繁栄のための託宣を告げる巫女という名の道具として利用されていました。

 贅沢に囲まれても拉致監禁を歓ぶ人間はいません。アレク自身もジェイルも幽閉されてからの12年間、アレクは何もしなかった、逃げるという形でも闘おうとはしなかったと蔑んでいますが、アレクは幾度となく脱獄を図っているではありませんか!自分を卑下するようなことをアレクに言わせないでよ!!12年間も籠の鳥だったのも娼婦に堕ちたのもアレクに咎は一つとしてない。脱獄して日本に還ろうとしたけれど失敗しては連れ戻され監視は厳しくなるばかりで日倉の両親を殺すぞと脅迫され、唯一の心の支えであるアレクの養父母は既に惨殺されていたことを隠蔽されて自由を諦めざるを得なくなり《藍家の巫女》として託宣を告げる日々を強要されていたのに。何故、非難されなければいけないの?

 そんな或る日。新しい世話役兼監視役として近づいたジェイルの腹黒い思惑も知らずに一族とは違って思い遣りのある優しい男で、そして、自分と同じように愛してくれるとアレクは騙されてしまった。一緒に逃げようと駆け落ちした先の安宿でも結ばれて漸くアレクは幸福にと思ったら、ジェイルは《本物の日倉朋之》であると明かして醜い本性を現しお前は藍家と猗家を滅ぼすための道具だ。騙されるお前が愚かなのさ!その淫乱な体を群がる男どもにくれてやれば立派に娼婦として食っていけるぞ!!むしゃぶりつく男どもを名器で弄べば稀代の毒婦にさえなれるだろうよと憎悪と侮蔑を叩きつけて猗家の次期当主でありアレクを愛玩動物として嘗め尽くそうとしていたエドモント・猗に居場所を密告し、そいつに引き渡してしまった。ジェイルが教えてやらなければエドモントはアレクが何処にいるのかさえ、わかる筈もないですよね。

 ジェイルはただ既定路線だったエドモントの愛玩奴隷に囲われるだけだと軽く考えていたようですが、当のエドモントは他人のお古なんぞいるか!と殴る蹴るの暴行を加え、アレクはエドモントの手下どもに輪姦されてしまった。しかし、エドモントの手下どもは、ただ、フェラチオを強要し秘孔の抽挿を繰り返すだけの欲望を叩きつけて貪るのではなく、乳首を捏ねたり男根を嬲り睾丸を揉みしだいたり擦り合わせたりして、アレク自身にも性の快楽を湧き上がらせ、そんな自分を嫌悪するのも含めて感じたアレクの“名器”を味わったのです。阿呆のエドモントの手下にしては頭の回転が良いような…欲望を満たすのにどうすれば良いか、本能が働いた結果に過ぎないのかはよくわからないけれど。

聖娼から女神へ

2008年05月21日 23時49分14秒 | 小説

 B-PRINCE文庫・いとう由貴&絵/杉原チャコ(イラストレーター失格の下手くそ)月に濡れる蜜約の主人公カップルの片割れ、日倉朋之としての13年間がいまいちハッキリしない主人公、アレッサンドラちゃんと呼びたい《深窓の姫君》アレクシス・藍<藍英芳>は後の生涯の伴侶となる「ジェイル・真<真践蠡>の罠に嵌められ愛玩動物にしようとしていたエドモント・猗に場末の売春宿に売られて男娼になりますが、体を壊しても医者に診て貰えずにのたれ死んでいたかもしれない」という設定が弱いように感じられます。どうにも場末の売春宿にしては自由に外出できたりして待遇が良いような監視役の売春宿のボスに雇われた用心棒とか、そういう奴らがいそうなのに影も形もありませんし、体調が悪くても客を取らされたと書いてあっても本当にそうか?と突っ込みたいくらいに実体がないようなので。売られてきた直後に洗脳セックスというか、性奴に仕立てあげるために“売春宿の用心棒たちが味見をし、複数の調教係が男娼の技巧や媚態を仕込む調教を兼ねた凌辱をした”とかがあれば、もう少し説得力があったように思います。

 但し、アレクはロスト・バージンと輪姦と数知れない男の欲望に奉仕する性奴となっても、巫女としての力を失ってはいませんでした。その証拠にエドモントが逆恨みから爆弾でジェイルを殺そうとしたのをメモ一枚を見ただけで漠然とした予感を心を研ぎ澄まして永生銀行の通用口という心に「通用口」という言葉が浮かびジェイルを狙った爆弾からジェイルと実行犯にされかけた売春宿で自分を買った客を救い、爆殺が失敗して今度は自らの手でジェイルを殺そうと拳銃を手に現われたエドモントの凶弾から愛するジェイルの盾となって守ったのですから。古代シュメールの聖娼のように「処女ではないことは性の営み(性の道具としての売春であっても)をすることは、巫女の力の有無とは無関係」ではないのでしょうか?私にはアレクが聖娼に見えます。誰のものでもないのが聖娼ですが、アレクは嘘偽りのない愛の契りを交わしたことにより、ジェイルのためだけにしか力が発動しない彼の女神になったのだと

 赤児のすり替え事件(片方の母親による)により2人の日倉朋之である主人公カップルのアレク&ジェイルの2人ですが、ジェイルは老けていますね。10代の乙女のような老けていない方の25歳は1人は腰よりも長くしなやかな黒絹の髪と奥底に深い藍色が沈んでいる蒼みがかった夜の泉のような黒い瞳と処女雪のような白い肌のアレク、オールバックの短い黒髪と深く暗い森の瞳と浅黒い体躯の老けたジェイル。赤児の時にすり替えられたのですから同じ誕生日で同い年でしょうが、5~7歳くらい年齢差をつけた方が良かったのでは?ジェイルは少し老けすぎですよ。幾ら、同い年でも身長や体格、その他もろもろに個人差があるとはいえ。ところで、本来ならば、復讐の対象になり得ぬ筈のアレクの心を奪い、その身を犯して純潔を穢して捨てたのは坊主憎けりゃ袈裟まで憎しだけでないのは明白です。

 13年目にお互いがすり替えられていた事実が発覚するまで、日本でアレクはごく普通の家庭で育ちましたが、ジェイルは「あの」藍家の牢獄で巫女としての力のないことに白い目を向けられながらも傲慢で人を人とも思わぬ巫女そのものだったがゆえに、あと数年もすればエディスも感情もなく他人を塵芥のように見下し何の感慨も抱かぬ人形に成り果てていた筈だったので人間らしいと言うよりも感情そのものがなく、初めて芽生えた感情は自分自身も知らなかった素性が露見して自分を殺そうとした藍家と猗家に対する憎悪だった。先々代の巫女であったアレクの実母を含めた一部を除いて、藍家で生を受けて飼育された者が辿って当然の人形ゆえにジェイルは愛を知らなかったのでしょう。

 ジェイルはアレクの身も心も弄び踏み躙った挙げ句に安宿でアレクを捨てました。しかし、アレクの後継として育成されていた8歳のエディス・藍をアメリカの在る夫婦の養女とすることで《藍家の巫女》の1人を排除したのは、殺してしまったら猗家や藍家と同じになってしまうからだと言いましたが、巫女という名の道具を骨の髄までしゃぶり尽くして悪用する奴らと同じようにアレクをロスト・バージン(処女喪失)により巫女の力を喪失させ、復讐の道具に利用したことでジェイルは自分が復讐する敵と同じ穴の狢でした。


銀のレクイエム(5) どう転んでも玉座は不動の暴君

2008年05月05日 02時08分21秒 | 小説

 ルシアンはどう転んでも玉座から落ちない設定で、そんな男が暴走すると恋人のキラは誤解でも逆鱗に触れればボロクズのように放逐され、とことん嬲られるという仕打ちを受ける吹けば飛ぶような存在でした。ルシアンにはキラの幸福の要因として以外の価値を感じないので、最後は壊れてくれて良かったと心から思いました。

 肉体は生きているけれど心は死んでしまったルシアンキラの死と共に心だけはキラの後を追ってルシアンは現世を去ったのだと思うと、救われました。なにしろ、嘘で塗り固めたモノは必ず崩壊することから眼を背け、キラを踏み躙った罪を償おうともせずに嘘を貫き通して罪を重ねる腐れ外道どもばかりしか、ルシアンの周囲には存在しないのですから。

 「教えて!goo」“帝王”についてと言うか、『銀のレイクイエム』思い込みで勝手に嫉妬し裏切られたと思い込み被害者ぶったジオ皇帝ルシアンに石もて追われ命を削って必死に生きて来たけれど心の臓を患い死期を悟って故国の地に舞い戻り静かに眠りたいと願うキラを「これでもか!これでもか!!」と散々にいたぶった末に漸く誤解による罪を犯し近習のサマラや重臣どもの傀儡と化していたルシアンの罪と、その周囲の輩たかが国ごときのためにキラを闇に葬り去った大罪が明るみに出たことにより、作中にあるような“ルシアンは稀なる逸材”というのは間違っていると思ったので質問しました。

 2人の回答してくれた内の1人である「looknyan」さん曰く“帝王というと、「偉大な王」という良いニュアンスも含まれると思いますが反面、「暴君」「傍若無人」「強引」といった悪い印象も持ち合わせているのではないでしょうか。一代で国を築いた王様が「帝王」と呼ばれることがありますが、国を築く過程では相当強引な政策(戦争、革命)などがあったでしょうし部下も王様を敬いながらもどこか「恐れて」いたとも思います。(あくまでも、わたし個人の印象ですが)ルシアンの、「恋に盲目で忠言を聞かなかった」「思い込みで、恋人を切りつけた」などのいささか「賢人」とは言い難い性格に対する皮肉が、「帝王」という言葉に表れているのかもしれませんね。”とのことでした。

 悪い意味も含まれた「帝王」と呼ばれるルシアンは「賢人」とは無縁のボケですね。確かに、サマラディランといった側近たちは忠誠を捧げながらも怖れる部分が強すぎて、重臣どもに言われるがままにキラを見捨ててしまったのですから、当たっていると思います。


紅蓮<騰蛇> - 紅の武将神

2008年02月12日 11時29分55秒 | 小説
 黒褐色(セピア)の肌、肩に付くくらいのざんばらな髪は漆黒と見紛う深い紅の赤銅色(黒味がかった暗い紅)、切れ長の双眸は鮮やかな黄金の瞳、外見年齢は20代の青年。嬰児(みどりご)の昌浩に邂逅した折より情愛を注いで育て、悪しき輩に取り込まれぬよう晴明が《見鬼》を含めた陰陽の才を凍結させ己の存在を認識されずとも、その成長を見守り続けてきました。それゆえに心情は既に父親で昌浩を溺愛しており、文字通り我が子への愛に溺れています。

 その愛し児に欺かれ主に裏切られても最愛の人間である彼らに尽くす姿が愛おしくも哀しいですね。

六合<二つ名☆彩> - 舅&小舅の攻撃に耐える旦那

2008年02月12日 11時29分43秒 | 小説
 六合(りくごう)は今や、勾陣(こうちん)と共に“三闘将”と呼ばれる紅蓮(騰蛇)と心を合わせ共闘する闘将であり、紅蓮の次に昌浩《晴明の後継》であると認めた木将(もくしょう)です。異国の甲冑に似た衣装の上に夜色の霊布を纏い、普段は左腕に嵌めている腕輪が戦闘時には槍に姿を変える《銀槍》を携え闘います。鳶色(赤褐色)の長い髪を腰の辺りで一つに括り、夜明けの光のようだと評した晴明に《彩(さいき)》という二つ名を与えられた黄褐色(トパーズ)の瞳だけれど、激昂すると燃え上がる炎の緋色に変わります。

 紅蓮を筆頭とする十二神将の中の《四闘将》の中で四番手です。しかし、私個人の願望でもあるけれど如何に青龍が三番手でも根性の腐ったコイツと対峙して、通力の差があるのは確かでも果たして負けるのかは疑問だと思います。第1部の窮奇編晴明“この儂と騰蛇が後継と認めたのだ”と告げられた折、晴明よりも厳しい眼を持ち昌浩の父・吉昌伯父・吉平、そして、昌浩の長兄・成親次兄・昌親吉平の子供たち“後継の器”を有さぬがゆえに“晴明の子”“晴明の孫”と誰一人として呼ばなかった紅蓮がと悟り、昌浩の護衛を務めるようになったのが始まりです。しかし、護衛する内に心から昌浩《晴明の後継》だと認めました。

 窮奇編の後半で晴明に対して“泣き落とし返し”の逆襲を試みて玉砕した昌浩の姿に堪えきれずに肩を震わせて笑い紅蓮を唖然とさせ、第2部の風音編の冒頭では紅蓮と漫才を繰り広げて昌浩の怒りを買うけれど、寡黙というよりも沈黙の塊であり主の晴明に対しても返事の有無などのコミュニケーションは気配で応えるのが殆どで喋るのは稀という口数の少なさだったので“紅蓮はともかく、あの六合がよく喋る”晴明は大爆笑を心の中に押し込め堪えるのに大変だったようです。