intoxicated life

『戦うやだもん』がお送りする、画日記とエッセイの広場。最近はライブレビュー中心です。

全体主義は普遍化した!

2006-01-12 | opinion
カウントダウンジャパンフェス2005-2006公式HPより抜粋。



『1月2日(月)

すべての参加者の皆様へ

 COUNTDOWN JAPAN 05/06、出演者のキャンセルや、大きな事故やトラブル等なく、全行程無事終了しました。大成功と言っていいと思います。出演者のみなさん、このフェスを主役として作り上げてくれた参加者のみなさん、本当にありがとうございました。感謝しています。

 ただし。昨年までなら、ここで「これも参加者のみなさんのおかげです」とか「みなさんがフェスの主役であるという意識を持って行動したからです」とか「みなさんの主体性とモラルがどうのこうの」とか、喜びやら興奮やらで毎回毎回暑苦しいことを書いてきましたが、今回に関してはどうもそういう気分になれません。そういうのはもうちょっと違うなあ、というのが、3日間を終えての実感です。


成功に終わって、うれしくなかったわけではありません。元旦の夕方以降現在に至るまでひっきりなしにBBSに書き込まれ続けている、みなさんの「楽しかった」という声を読むと熱くなりますし、感動しますし、「もう終わっちゃったんだなあ」としみじみもします。が、今回そこで、「参加者のみなさんの主体性が!」とか言って興奮できないのは、なんだかもう、声を大きくして言うべきことでもないくらい、いちいち感動したりするまでもないくらい、それがあたりまえのことになっていたからです。それが「普通」だったからです、あの3日間では。(以下略)』



ああ、またマジョリティたち、善人なファンたちの声だけが闊歩している!このスタッフの言うことが正しいと仮定すれば、ではなぜBBSに「つまらなかった」「意外にゴミ落ちてました」などと書き込まれないのか。いや、書き込まれていたとしても、推測するに取るに足らない(つまりフェスに来なくても収益に支障のない程度の)ごく少数の批判に彼が目をつぶっているだけか、マイノリティはその絶対的な圧力、雰囲気に抑圧されて自分をただただ押し殺すしかなかったか、それだけのことである(そう願いたい)。前回の記事で僕の友人がストーンズのライブの時の出来事で語ってくれたように、もはや我々にはロッキンオン全体主義を批判することはできない、ということになる。いや、むしろそういった権利を持ち合わせてはいけないものなのかもしれない。


やや話はそれるが、一目この記事を見て思ったのは、小泉純一郎が争点を郵政民営化(モッシュ・ダイブの是非)に争点を絞って批判を封じ込めた手法と瓜二つだ。所詮日本的な集団主義ということなのだろうが、首相の強権政治よりも透明度が低い(メディアの槍玉になっていない)という点ではこちらの方がよっぽど悪質で、狡猾で、傲慢だ。嫌悪感を示したい。


前回『ロッキンオン的~』を書いたときにはロッキンオン社及びその雑誌自体に大してはそこまで反感はなかったのに、これで一気に興ざめした。「普通になった」という発言もさることながら、「主体性が!」とか言ってるところでもうすでに宗教化し始めている。信者も、教祖も、とことん気に食わない!


ここに絶対的に社会的弱者を封じ込める構造が存在していることが理解できないのであれば、あなたはこの全体主義の信者である。