intoxicated life

『戦うやだもん』がお送りする、画日記とエッセイの広場。最近はライブレビュー中心です。

juvenile fight

2005-08-23 | opinion
普段そこまで仲良くしているわけではないのですが、最近母親と週一回だけ必ずといっていいほどテレビの前で顔を合わせる時間がある。


女王の教室」だ。



巷ではスポンサーが提供クレジットで社名を出すのをやめさせたり、各メディアが「子供に悪影響」と騒ぎ立てたりしているようですが、正直、これほどまでに「おもしろい」(interesting)ドラマはなかったように思う。



ネット上にもいろいろ意見が出回っているようですが、あえてそういった意見に関して言及することは避けて、僕の考え得る限りで書いてみます。



まずこのドラマが第一義的に伝えたいことは「これが現代社会の縮図」ということは誰にでも容易に読み取れるでしょう。連帯責任、個人主義と責任、事なかれ・見て見ぬふり、いじめ、「テスト」志向、再教育センターなどの更生施設…もっと論点はあるでしょう。しかし、これをあえてゴールデンタイムのドラマにして放映することに対する批判は大きいのではないでしょうか。


もちろん、製作者側はこのような反論が出ることも含めて、視聴者の中で論じさせることに狙いがある。この点では彼らの目論みは成功していると言えるでしょう。それ故に、民放キー局として視聴率を取るためにはどうしても後回しになってしまうのだが、どこかで「落とし前」をつけなければならない。つまり、監督はじめドラマそれ自体が何らかの結論を示す責任がある。ただしここでは、これ以上製作者側の論理について話すより、我々視聴者がどう考えるかについて述べたい。


ではこのドラマをどう捉えるか。


僕なりの結論は、ウチみたいな家庭にもこういった会話が興ることが最大の功績だと思う。善し悪しは個人によって変わるのは当然で、ドラマを見てそれを自分で考え、感じ、話し合うことが生まれれば十分放映された意義を果たしている。


ここで、自分と違う感想を持つ人に自分の感情に任せてあれこれ言うことはナンセンスだ。たとえ「個人」所有のホームページ、ブログというツールであっても、いち「公」の場としては決して適切ではない。


「言論の自由」など、ろくに勉強していないことを大きな声では言えないけれど、ドラマの製作者も不毛な論争は望んでいないはずだ。ドラマそれ自体に関する僕なりの意見は上で述べたつもりですが、我々論じる側の姿勢・態度形成、モラルに関しても同様の配慮が求められる。そのことを忘れないようにしたい。



追記:

ところで、単なるリスナーとしての感想を言えば、本当におもしろい。「進藤さん」がお気に入り。クールでかっこいい。