(これは11/9に投稿しました。その後、メンテナンス中ややたらと重いなどの滋養によって投稿しそびれたり、途中で消えてしまって書き直したりしていました。11/26に再投稿したものです。)
最近、図書館で本を借りた。
「動物たちの自然健康法--野生の知恵に学ぶ」シンデイ・エンジェル 羽田節子訳 紀伊国屋書店2003/11(原著は2002)。
野生生物が、けがや病気などにいかに対処しているかを紹介した一冊だ。また、出産や老いへの対応も書かれている。
世界各地の伝説や伝統的な薬草医による野生動物の観察、それに動物行動学者の報告等が本書には並んでいる。そして彼(女)らの証言をもとに、動物たちがいかに自然界にある薬草を利用したり、ミネラルを摂取したりしているかを整理している。時に科学的な根拠を示し、時に著者の説としてたくさんの事例が書かれている。
専門家に教えられずとも、その土地その土地に生まれ育ったものの知る知恵、年長者から受け継がれた文化としての「健康法」を著者は紹介してゆく。著者の言う「自己治療」は、かつて文明批評家イリイチの主張した「自律的な癒す行為」の動物版とも受け取れる。
もちろん、安直な「自然」や「野生」への崇拝は避けるべきだ。また、何を持って「自然」とするかの概念定義の問題は残る。ここでは大雑把に、今日の文化のなかで形成された自然概念によるものでいいのだろう。PCBとかDDTとかによって汚染されていてもアザラシもペンギンも「野生」生物なのだし、ゾウなどの動物もまた文化を持っている。それが「自然」なのだ。
その本の中で、フリーズしてしまう時の動物の対処法が紹介されていた。以下はワタリが内容を要約したもの。
大部分の動物たちは、精神的消耗に対する対処法をそなえているようだ。獣医のピート・クライスラーによると、対処法は4つ。問題から逃げる、問題を退ける、解決を探る、問題を消えるのを待つ。これら4つの対処法は、精神病を避けるために重要だ。
心理学者のピーター・レヴァインは、野生動物のトラウマ対処法を考えた。野生動物は命にかかわる状況であっても外傷性ストレスによって参っているように見えない。多くの種は危険がせまるとフリーズした状態になる。レヴァインの言う「意識が変化した状態になり、痛みを感じなくなる。レヴァインは、ある人はフリーズ状態で動けなくなり、この反応が外傷性ストレス障害をひきおこすのだと見ている。彼によると、動物はそれを避けるために、体をゆすってフリーズ状態から抜け出すという。
動物行動学者がはじめて野生動物を観察しはじめると、その動物が眠り込んでしまうことがよくある。グドールによると、これは動物がリラックスした状態なのではなく、非常な不安を示している場合が多いと言う。買われているチンパンジーは解けない問題を出されると、床の上で体を丸めて眠ってしまう。ハンターの報告によると、わなにかかった動物はほとんど昏睡状態のようだ。
変化がおこるのを待つ戦略は、無感動行動とか学習された当惑と呼ばれる。それが嵩じるとうつ病といわれ、物憂げな態度、食欲不振、無気力、他人や物事への無関心、衛生観念の減衰、反応の欠如などが見られる。
野生のチンパンジーでは、うつは離乳期とか親や友達をなくしたときにみられる普通の反応だ。実験室ではチンパンジーは、生存の危機にぶつかって解決法がないときにうつに陥る。この場合うつは、うつは状況が変わるのを待つしかない場合の対処法だと考えられる。ダーウィン主義医学の支持者たちはうつを、うまくいかない行為を動物が続けなくていいようにする手段だと考えている。うつもやはり精神的問題そのものというよりむしろ対処法なのである。
ダーウィン主義への賛否はさておき、興味深い指摘だ。
そういえば思い当たるフシがある。
たとえば、面接に行くときに、足が動かなくなった。駅の休憩室で休む。道端で倒れた時に警察に助けられれ、最寄の警察署で休憩をする。緊張が強く、なめらかに話したり大きな声を出したりしにくくなる。
そうしようとすると、絶叫しているような、おおげさで悲壮な印象となる。以前は軽く散歩できた距離が数倍の道のりに感じられる。自宅から最寄り駅に行くまでに数回も休まないとたどり着けない。
ギデンズの「第三の道」路線による、(1)welfer queen 批判への回答:「動機のある者に福祉・職業訓練を」の前提は妥当なのか? 福祉を受ける人がナマケモノ化するのは、環境への適応であり、ほかに職場がない/落ち着いた暮らしのできる職にありつけない場合、精神障害から身を守るフリーズ行為は合理的な反応である。ならば、それへの批判と治療自体が、生産性による身体の自律性の収奪に当たる。
(結論)うつは、個人の自己責任ではない。また、普段の生き方・考え方・人への接し方が悪いことへの天罰でもない。うつへの社会的偏見、うつだと生き難い社会環境こそ、改善すべきだ。
ギデンズの「第三の道」路線による、welfer queen 批判への回答:「動機のある者に福祉・職業訓練を」の前提は妥当なのか? 福祉を受ける人が「ナマケモノ」化するのは、環境への適応であり、ほかに職場がない/落ち着いた暮らしのできる職にありつけない場合、精神障害から身を守るフリーズ行為は合理的な反応である。ならば、それへの批判と治療自体が、生産性による身体の自律性の収奪に当たるからである。
<2004/12/26付記>報告します。ブラックワールド今日の出来事 のカテゴリー政治の記事の中に、ブッシュ大統領が遠まわしに黒人批判をするために言い出した語との指摘を見つけました。http://blog.livedoor.jp/yfujinag/archives/914083.html#comments
最近、図書館で本を借りた。
「動物たちの自然健康法--野生の知恵に学ぶ」シンデイ・エンジェル 羽田節子訳 紀伊国屋書店2003/11(原著は2002)。
野生生物が、けがや病気などにいかに対処しているかを紹介した一冊だ。また、出産や老いへの対応も書かれている。
世界各地の伝説や伝統的な薬草医による野生動物の観察、それに動物行動学者の報告等が本書には並んでいる。そして彼(女)らの証言をもとに、動物たちがいかに自然界にある薬草を利用したり、ミネラルを摂取したりしているかを整理している。時に科学的な根拠を示し、時に著者の説としてたくさんの事例が書かれている。
専門家に教えられずとも、その土地その土地に生まれ育ったものの知る知恵、年長者から受け継がれた文化としての「健康法」を著者は紹介してゆく。著者の言う「自己治療」は、かつて文明批評家イリイチの主張した「自律的な癒す行為」の動物版とも受け取れる。
もちろん、安直な「自然」や「野生」への崇拝は避けるべきだ。また、何を持って「自然」とするかの概念定義の問題は残る。ここでは大雑把に、今日の文化のなかで形成された自然概念によるものでいいのだろう。PCBとかDDTとかによって汚染されていてもアザラシもペンギンも「野生」生物なのだし、ゾウなどの動物もまた文化を持っている。それが「自然」なのだ。
その本の中で、フリーズしてしまう時の動物の対処法が紹介されていた。以下はワタリが内容を要約したもの。
大部分の動物たちは、精神的消耗に対する対処法をそなえているようだ。獣医のピート・クライスラーによると、対処法は4つ。問題から逃げる、問題を退ける、解決を探る、問題を消えるのを待つ。これら4つの対処法は、精神病を避けるために重要だ。
心理学者のピーター・レヴァインは、野生動物のトラウマ対処法を考えた。野生動物は命にかかわる状況であっても外傷性ストレスによって参っているように見えない。多くの種は危険がせまるとフリーズした状態になる。レヴァインの言う「意識が変化した状態になり、痛みを感じなくなる。レヴァインは、ある人はフリーズ状態で動けなくなり、この反応が外傷性ストレス障害をひきおこすのだと見ている。彼によると、動物はそれを避けるために、体をゆすってフリーズ状態から抜け出すという。
動物行動学者がはじめて野生動物を観察しはじめると、その動物が眠り込んでしまうことがよくある。グドールによると、これは動物がリラックスした状態なのではなく、非常な不安を示している場合が多いと言う。買われているチンパンジーは解けない問題を出されると、床の上で体を丸めて眠ってしまう。ハンターの報告によると、わなにかかった動物はほとんど昏睡状態のようだ。
変化がおこるのを待つ戦略は、無感動行動とか学習された当惑と呼ばれる。それが嵩じるとうつ病といわれ、物憂げな態度、食欲不振、無気力、他人や物事への無関心、衛生観念の減衰、反応の欠如などが見られる。
野生のチンパンジーでは、うつは離乳期とか親や友達をなくしたときにみられる普通の反応だ。実験室ではチンパンジーは、生存の危機にぶつかって解決法がないときにうつに陥る。この場合うつは、うつは状況が変わるのを待つしかない場合の対処法だと考えられる。ダーウィン主義医学の支持者たちはうつを、うまくいかない行為を動物が続けなくていいようにする手段だと考えている。うつもやはり精神的問題そのものというよりむしろ対処法なのである。
ダーウィン主義への賛否はさておき、興味深い指摘だ。
そういえば思い当たるフシがある。
たとえば、面接に行くときに、足が動かなくなった。駅の休憩室で休む。道端で倒れた時に警察に助けられれ、最寄の警察署で休憩をする。緊張が強く、なめらかに話したり大きな声を出したりしにくくなる。
そうしようとすると、絶叫しているような、おおげさで悲壮な印象となる。以前は軽く散歩できた距離が数倍の道のりに感じられる。自宅から最寄り駅に行くまでに数回も休まないとたどり着けない。
ギデンズの「第三の道」路線による、(1)welfer queen 批判への回答:「動機のある者に福祉・職業訓練を」の前提は妥当なのか? 福祉を受ける人がナマケモノ化するのは、環境への適応であり、ほかに職場がない/落ち着いた暮らしのできる職にありつけない場合、精神障害から身を守るフリーズ行為は合理的な反応である。ならば、それへの批判と治療自体が、生産性による身体の自律性の収奪に当たる。
(結論)うつは、個人の自己責任ではない。また、普段の生き方・考え方・人への接し方が悪いことへの天罰でもない。うつへの社会的偏見、うつだと生き難い社会環境こそ、改善すべきだ。
ギデンズの「第三の道」路線による、welfer queen 批判への回答:「動機のある者に福祉・職業訓練を」の前提は妥当なのか? 福祉を受ける人が「ナマケモノ」化するのは、環境への適応であり、ほかに職場がない/落ち着いた暮らしのできる職にありつけない場合、精神障害から身を守るフリーズ行為は合理的な反応である。ならば、それへの批判と治療自体が、生産性による身体の自律性の収奪に当たるからである。
<2004/12/26付記>報告します。ブラックワールド今日の出来事 のカテゴリー政治の記事の中に、ブッシュ大統領が遠まわしに黒人批判をするために言い出した語との指摘を見つけました。http://blog.livedoor.jp/yfujinag/archives/914083.html#comments
私のブログにトラックバックと共に
コメントを残してくださって
どうもありがとうございます。
まだワタリさんのような方が
共感してくださって、
「りんごさんは一人じゃない」
「一緒に苦しみを乗り切っていきましょう」
と言ってくださって、
どんなに嬉しかったか・・・
ほんとうに、どうもありがとうございます。
今はまだ、うーん、言葉を探すとしたら、
「彼への怒り、もしくは、失望・絶望」
の気持ちでいっぱいで、
ブログの更新ができないでいますが、
良かったらまた時々遊びにいらしてくださいね。
私もワタリさんの文章を読ませていただいて、
もっともっと勉強したいし、
いろいろ考えてゆきたいです。
これからもどうぞよろしくお願いします。
ワタリさんがコメントしてくださった記事を
トラックバックしておきますね。
本当にどうもありがとう。
文章が変な風になってしまいました、、、
「まだ今はブログの更新ができないでいますが」
と書こうとしていた文の冒頭の「まだ」が、
「ワタリさんのような方が共感してくださって」
という文の前にくっついてしまいました・・・
分かりにくい文章になってしまって
本当にごめんなさい!!!
こんな私ですが、今後とも、
どうぞよろしくお願いいたします・・・・。
苦労して人間不信が強くなったり、体がフリーズしたりすると、文章がうまく書けないことってありますよね。実は、自分にもあります。
そういえば、カン・サンジュンていう在日朝鮮人の東大の先生が、「在日」という本の中で告白していました。彼が十代のころ、アイデンティティとか社会との関係に悩んでいたころに言葉がどもっていたんだそうです。
言葉って人と人とをつなぐ道具ですよね。だから、関係のことで深く傷つくと、言葉もゆがむことがあるのではないでしょうか。
ブログは短距離走ではなくマラソンみたいなもの。りんごさんもあまり無理なさらないで、末永くブログを作ってくださいね(^^)。