フリーターが語る渡り奉公人事情

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いつまで生きてもいい社会を

2006-01-10 22:26:06 | 政策
 労働は、人の時間をとる。企業は、人の時間を奪う。もともと狩猟・採集をしていたころの人類は、好きなときに食べていたと考えられるとサル学者の河合雅夫は述べている。(「森林がサルを生んだ」朝日文庫)

 いまどきの人類は、企業に時間をささげているようだ。もとは平等であったはずの人の時間は、労働時間や利子の時間によってどこかに過ぎ去った。というのが、80年代にはやったエンデの「モモ」のテーマ、すなわち「時間」だった。

 現代日本の企業社会は、すさまじく時間を奪う。時間がブラックホールに吸い込まれるみたいに。
 年功序列は、特定の組織への隷属を促進する。不安定・低賃金雇用は、残業をことわれない人々を生み出す。個人の「私だけの時間」は、どこかへ押しやられている。沖縄やインドネシアあたりに行けば、かなり余っているというウワサを聞くこともある。その旅費のために体を壊しかねない労働をするという逆接をはらみながら。
 私事で恐縮だが、わたしの父は、50代初頭であの世へみまかった。「さあ、これから教育投資や年功序列で組織に忠誠を誓ったぶん、お金を返してもらえる。」そう言って妻と笑いあっている矢先のガン発病と死亡だった。
 たった一度しかない人生のなかで、将来のためといって、たくさんの学校教育を受け、若いころは給与以上の労働をもって、組織に奉仕をする。けれど、死神は死神のルールで動いている。人間の限りある予想や計画や戦略とは別のルールがあるのだ。よって、人はいつまで生きられるか、言い換えればいつ亡くなるか分からない。
 常日頃わたしたちは、そのことを忘れている。なるだけ考えないようにしている。でなければ、生活できない社会を作っているからだ。そうして、勉強や仕事や家事や雑用に逃げている。現実に向かって逃避する。思考停止は、不安をやわらげてくれる。
 だけど、そんなことでいのだろうか? 苦痛に満ちた、あるいは実存に違和感の強い何かのための準備ーー教育・訓練・下積み労働ーーは、「今、これだけのことだから」「いつか将来抜け出すぞ」ということで正当化できるかどうか。
 できない、というのがわたしの答えだ。いつまで生きるか分からない、だから退職金とか年金とか保とかいったシステムをわたしたちは考案し、使っている。それはそれで賢明なことだ。
 おまけに同時に、「いつ亡くなってもそれなりに満足できるシステムを整えよう」というのはぜいたくすぎる欲求だろうか? つまり、そのとき働いた分を、ちゃんとそのときに返してもらう仕組みだ。もちろん、一瞬・一瞬にそれはできない。しかし、一日・一週間・一ヶ月といった単位で、稼いだ分を現金その他の手段(日曜日はちゃんと休みがとれるなど)の方法で、そのつど還元するというのは、不可能なのだろうか。
 人は、いつまでも生きていられるとは限らない。ならば、死神と妥協をする謙虚さもまた、人の社会に求められるのではないだろうか?

 遠い未来のことを完全に予測できるとするのは、あまりにも大雑把で、楽観的で、傲慢な考えだ。そんなものに対していったい誰が「責任」をとれるというのだろうか。突如として現れた鳥インフルエンザウイルス発生に、誰が責任をとれるのだろう。もちろん、感染した家禽の処分などはやるべきだし、実際にやっている。だが、ほぼ確実に見通せるのは、ここ数日とか数ヶ月の範囲のことなのではないだろうか。
 自分たちの予知能力をあまり過大視せずに、素直に今日生きていることを喜ぶセンスは、どうすれば取り戻せるのだろうか。それは、「ニート」や「パラサイト」を排除できない社会になるだろう。
 


 

 


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3 コメント

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資本主義のルールは死後の世界をふくむので・・・ (お役立ちさん)
2006-01-11 13:48:07
死神と折り合いをつけて「生」きる時間を調整できる社会。それは狩猟で生計を立てていた時代のように魅力的なんだけれど、この世を「住みにくく」しつつも、犠牲のうえの「発展」をせしめているシステムの資本主義が、キリスト教の原理であるので、私たちは、「神」の持ち駒にすぎず、「神」たるものに気に入られることで、死しても「復活」が約束されるというような、人生のペース配分で、いきてゆかにゃならんのですよ。



聖書の神のルールで、立派(勤勉とか隣人愛とか)に脅迫神経症的に生き抜いたら、死んだあとで、ご褒美が約束されているような。



白人の理屈です。



資本主義は採算が、死生観まで含めなければ、取れないシステムになっています。



社会学の前提です。





・・・でも、ここは、アジアなんだよね。

(゜Д゜≡゜Д゜)? 日本人、なんで資本主義すきなん?小泉とかに投票すると?
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Unknown (muse)
2006-01-11 21:12:25
はじめまして。狩猟をしてた頃の人間って仕事も楽しかったんじゃないのかなって思います。そりゃあ空腹で死にそうな時もあったかもしれないけど、仕事自体に「燃える」ことができたんじゃないのかなって。必死に動物を追いかけて、とうとうしとめた時ってものすごく嬉しかっただろうと思うんです。

将来のために頑張るっていうのは資本主義よりも古くて、農業が始まってからのような気もします。

うーん、コメントちょっとずれていたらごめんなさい。
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恐縮です (ワタリ@管理人)
2006-01-23 22:34:54
お役立ちさん、museさん、いらっしゃいませ。あまり明るくもない、コミュニケーション能力の低そうな記事にわざわざコメントいただき恐縮です。

まとめレスで失礼します。



>お役立ちさん



>資本主義のルールは死後の世界をふくむので・・・



ああ、社会学の教科書ではそうでしたっけ。

キリスト教の教義については、家父長的で窮屈な部分と、たいへん解放的な部分とがごっちゃになっていています。そのなかでリベラルな部分を自分の原理にしたいと考えています。



>ここはアジアなんだよね



ええ。ですから仏教・儒教・道教などが強い。小泉流のネオリベ改革路線は、それらに抵触する要素をはらんでいます。たとえば、階層格差拡大政策は、すbてての人は平等だとする仏教に反する。福祉切捨ては、お年寄りを大事にしないので儒教に反する。やたらと改革をしたがる傾向は、老子の「無為自然」に反する。といった具合です。



アメリカとは別のアジアの価値を、開発独裁以外にどんなふうにやっていけばいいのか、考えてゆきたいと思っています。



>museさん



コメントをありがとう。



>狩猟をしてた頃の人間って仕事も楽しかったんじゃな>いのかな



そうですね。目の前の食料を採取したり、追っかけたり。もちろん大変なこともあるけれど、それはどんな仕事もいっしょです。

日雇いの仕事を長らくやっていた関係もあって、月に一度とか、年に二度給料が支払われるのは不思議な気がします。

安定度では月給が勝りますが、日々生きている実感、働き甲斐という意味では日給のほうがいいかな、と。

ただし、その生きている実感とか生きがいというのが、低賃金長時間労働をごまかすために利用されている側面もあります。それはキチっと批判してゆかないと。だまされて終わりたくないから。

日給であっても簡単にクビにならない仕組みさえあれば、日雇いでも決してみじめな感情に襲われないと思います。そうなるように社会改良するにはどうすればいいでしょう? 今すぐ答えの出る問題ではないので、じっくり取り組みたいです。







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