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図書館から借りた本

2007-08-19 21:57:54 | 映画&本
今回は京都府立図書館から労働関係の本を2冊借りました。

「定点観測 釜が崎 定点撮影が明らかにする街の変貌」
定点観測「釜が崎」刊行会 葉文館出版 凸版出版 1999.7
http://www.amazon.co.jp/%E5%AE%9A%E7%82%B9%E8%A6%B3%E6%B8%AC-%E9%87%9C%E3%82%B1%E5%B4%8E%E2%80%95%E5%AE%9A%E7%82%B9%E6%92%AE%E5%BD%B1%E3%81%8C%E6%98%8E%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%81%99%E3%82%8B%E8%A1%97%E3%81%AE%E5%A4%89%E8%B2%8C-%E5%AE%9A%E7%82%B9%E8%A6%B3%E6%B8%AC%E3%80%8C%E9%87%9C%E3%82%B1%E5%B4%8E%E3%80%8D%E5%88%8A%E8%A1%8C%E4%BC%9A/dp/489716088X/ref=sr_1_1/503-4922635-1997557?ie=UTF8&s=books&qid=1187529863&sr=8-1

「偏見から共生へ 名古屋発ホームレス問題を考える」藤井克彦・田巻松雄著 風媒社2003.4
http://www.amazon.co.jp/%E5%81%8F%E8%A6%8B%E3%81%8B%E3%82%89%E5%85%B1%E7%94%9F%E3%81%B8%E2%80%95%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E7%99%BA%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%AC%E3%82%B9%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B-%E8%97%A4%E4%BA%95-%E5%85%8B%E5%BD%A6/dp/4833110598/ref=sr_1_1/503-4922635-1997557?ie=UTF8&s=books&qid=1187529944&sr=8-1

一冊目は1930年代と1990年代の釜が崎の同じエリアを撮影したものを、見開き2ページで比較検討できるつくりの写真集。
経済成長・進歩によって貧困・格差の問題は解決できる、とするアダム・スミス流のトリクルダウン・エフェクトを疑いたければ、まずこの写真集をおすすめしたい。

ところで、印刷所の凸版出版というのは、かつてわたしがグッドウィルから派遣された会社だ。ハガキ製造の仕事だった。ベルトコンベアを流れるハガキの塊がまるで豆腐のように見えて、ベルトコンベア酔いを起こした。また、社員食堂の利用が派遣アルバイトらには認められず、コンビニで購入したカップラーメン等を食べることになった。
せっかく貧困問題に取り組む写真集をつくるのなら、もう少しマシな非正規雇用従業員への取り扱いをする企業を選んでほしかった。


二冊目は、名古屋で長年日雇い労働者・野宿者らへの支援活動をしてきている活動家による報告と問題提起。
実は以前、予備校の関係で名古屋に住んでいた。そのおり、予備校で名古屋駅西口の笹島という日雇い労働者の街で医療相談等のボランティアをしている看護士(当時は看護婦)さんをゲストに招いてお話をうかがったことがあった。
その後、この著者のひとり藤井克彦さんも予備校にお見えになり、炊き出しや医療相談、それにヤクザとのにらみあいについてもお話していただいた。
さらに、そのあと個人の選択により自主的に医療相談や炊き出しの手伝いに行っている時期があった。
図書館でこの本を見て、そのころの記憶がよみがえった。

正規の雇用・福祉・保障の中から排除されつづけている日雇い・野宿の人々が、いかに社会全般から「あってはならないもの」とされ、怠けや物好きだと非難され、その存在を粗末に扱われているかを本書は知らせてくれる。
支援をする側の偏見や同情という問題にも正面からとりくんでいる。
とりわけ、ホームレスに対するまなざしがもっと寛大なものであったほうがいいとの問題提起は貴重。p303-306の小見出しを記しておこう。
「自立の意思のない人を切り捨ててよいのか」
「『野宿者をなくす』という発想の問題点」
「『社会復帰』でいいのか」
一部の労働組合も、なぜか「反貧困運動」に走ったりする前に、こういった論点(特に2番目)を考え直したほうがいいと思う。

困難な環境、栄養不足等によってヤル気のなえた状態の人を切り捨ててよいのか。
野宿を絶対悪とみなすことによって、息苦しい窮屈な社会を作ってしまう。
また、本人の尊厳を尊重しないでシェルターに「入れてあげる」、それはいいことだ、決して人権問題ではないという議会での発言もある。施策があるから野宿するなというより強い排除を、「野宿者をなくす」という好意的な発想が作り上げる危険性もある。
社会復帰というときに、今の主流社会のあり方が絶対なのだろうかと問い直す。

そうした視点が多分弱いから、反六本木ヒルズ運動ではなく、貧困者の権利運動でもなく、反貧困運動なんていう社会運動に乗ってしまうのではないだろうか?
反貧困運動によって、「これほど貧困に反対しているんだから、貧困者の排除はOK」ということになって、失業者が収容所のようなところに強制的に入れられたり、安いアパートや銭湯のとりこわしも許容されたり、ストリートカルチャーにこれまで以上の規制がかかったりすることを、反貧困運動側は望むのだろうか?
反貧困運動にもいろいろな団体・個人が関わっている以上、反貧困という言葉の解釈も多様なのだろう。
それにしても、なぜ反閨閥でもなく、反六本木ヒルズでもなく反貧困なのか。
貧困者が自ら貧困を差別する運動など、前代未聞だし、かえって六本木ヒルズ族の思う壺なんじゃないかとも思うのだけれど…。自分たちの生き方・価値観をまったく問い直さずにすむ反貧困運動という社会運動は、本当に分からない。
この著者たちがやっているのは、少なくとも反貧困運動ではない。100%それをなくすことができないのなら、貧困があることを前提として貧困とつきあう技術を探る試みである。
日々地道にボランティア活動に励む著者らの姿は、明らかに貧困者の権利擁護運動であり、反六本木ヒルズの価値観を示している。
そういう意味で、上質の本である。





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