フリーターが語る渡り奉公人事情

ターミネイターにならないために--フリーターの本当の姿を知ってください!

県庁所在地でプレカリアート・オフを!

2006-05-20 16:36:37 | 未来
別のサイトで見たのだが、毎日新聞のネット版でフリーター+ニートたたきの企画があったそうな。もう、あきれてものが言えない。後藤和智さん、深夜のシマネコさん、非正規労働組合ぼちぼちさん、LENAZOさんなどいろんな若い世代が声をあげている。なのに、また・・・・。後藤さんや深夜のシマネコさんたちがおかしな報道のファイルを作り上げてくれているので、いまさらわたしが加えることがあるのものか。(基本的にここは労働・失業問題のサイトとしてやっているんだし……。ま、ブログって何書いてもいいんだけど。)

正直言って、このブログは暗い、あるいは痛い話が多い。ここでひとつ暗くない話に挑戦してみたい。

ささやかでもいい。未来の夢について話してみたい。ただし、不安定雇用の人々にとっての夢だ。

ひとつはプレカリアート・オフがありふれた集まりになること。

今は、たった1度、大阪の梅田で開いただけだ。これが、月一度くらいの間隔で、日本の都道府県の県庁所在地で開かれている状態になってほしい。さらに、大阪でもキタで集まるオフ、ミナミで集まるオフというふうに、何箇所かで開かれればいい。サーヴィス業の人が集まりやすいように、週末だけではなく、火・水・木曜日に集まるのもいいことだ。
きっとそこではいろんな情報が飛び交うだろう。あそこの会社はヒドイ、ここの会社は結構マシといった話。組合活動家による近況報告。ブロガーによるサイト案内。労働や失業、若い世代の問題に関するイベントの宣伝または報告。興味をもっている組合主催の集会にあなたは行きそびれたとしよう。だけど、近所のオフに参加すると、他の参加者がいて、集会の時に配られた資料を見せてくれたり、集会で話し合ったこと、主催者の背景などについて話してくれるはずだ。
また、そこでの会話のなかで、実務的な観点から労働基準法や派遣労働者法やILOの条約について学ぶことができるだろう。そうすれば、前後左右がわからずに一人立ちつくすこともない。仲間とパーティーを組んで、困難あふれる冒険の旅に出る決意も固まるはずだ。

会社では、会社がおかしいと思っているのは自分ひとりだと思っていた/思いこまされていた。だけど、偶然同じ会社で働いた人も、実は同じように思っていたことを知り、あなたは驚くだろう。そうすれば、主観的な孤立が消えるだろう。
同じように非正規雇用で苦しんでいる他の会社で働いた人間を知って、あなたは自分がたったひとりこの世で苦しむわけではないと分かるだろう。となりに座っている人も、労働力商品として扱われたり、信じられないひどい条件で必死に働いている同じ人間だと知るのは大切なことだ。


このオフ会は、プレカリアートと名乗る必要はない。非正規雇用の会でも何でもいい。
できれば労働組合・労働行政・弁護士と連携しつつ、非正規雇用者の友愛団体が各地にできるといいと思う。
歴史的に見て、そういった*1友愛団体や、クラブの役割を果たす*2パブやセツルメントハウスが、組合のストライキを助けてきた。また、独自の文化を育む母体にもなった。

今日の日本にも、プレカリアート・オフ、あるいはそれと似た労働者&失業者&半失業者のたまり場ができないだろうか。
それほど費用はいらない。駅前の広場、公園などで集まればいい。たった数名とか十数名の集まりでも、0と1では大違いだ。
全共闘世代のように、声高に演説をしたり、えらそうに説教をしたりしなくてもいい。わたしたちも、梅田の待ち合わせスポット・ビッグマンに集まり、近所のドトールでコーヒーを飲みながら盛り上がった。小さいテーブルに4人で陣取り、最近の組合の近況、これまでやってきた/今やっている仕事、どこの会社がムチャや明らかな違法行為をやっているかについて情報を交換した。ちょっとブログでは書ききれないうちわだけの話も出た。たとえば、ひどいことをやっている会社や部署の名前は、ブログでは書けない。対面したときだけに言えるものだ。
なお、こうしたネットワーキングが、結果として労働組合に近い役割を果たすかもしれない。だからといって組合と敵対するわけではない。そこから組合に入る人もいれば入らない人もいるだろう。それでも、そこの参加者が、組合に以前よりも親しみを抱き、ふだんは批判的なことを口にしながら、いざというときには味方になってくれる可能性はあるだろう。
組合の下請け、というのではなく、労働者または失業者相互の親睦や情報交換や孤独つぶれ防止のための機能を、プレカリアートオフは果たすだろう。

なんとか、県庁所在地で、プレカリアートのネットワークを作れないだろうか。そして、ひとつひとつの集まりが連絡をとりあい、引越しをしたり、遠くに出稼ぎにいくときに、オフ会関係者に連絡をするとどこの会社がひどいかひどくないかを教えてくれる。そういうネットワークを作ってみたい。
たいへん苦しい状況の中で、それでも少しでも余裕のある人たちが音頭を取って、各地でプレカリアートオフをやってほしい。それが今の自分の夢だ。



*1 森 たかし(一文字で上半分は日、下半分は木) 「アメリカ職人の仕事史ーーマス・プロダクションへの軌跡ーー」中公新書 1996 PP256-257
19世紀までの20年あまり、アメリカでははげしく労働争議が行われた。連邦軍、資本の施設軍が出動し、死者が出たにもかかわらず、ストライキはやまなかった。スト破りが大量導入されたにもかかわらず、1880年代を通じてストライキ勝利は47%、敗北は39%、スト中止は14%と、労働運動側の勝利が多い。その要因としてひとつめには地域住民の支持、もうひとつは労働騎士(ナイツ・オブ・レイバー)という働く人々の雑多な欲求をもちよった組織ーーただし、地域によっては黒人排斥だったり、禁酒運動のこともあったーーによるものと指摘しておられる。

*2 松田 裕之 「メーデー発祥の地 シカゴ 労働者文化の胎動ーー精肉都市の光と影ーー」 清風堂書店1991 PP101-110 第二章 精肉町の労働と生活 ジェンダー的な空間の役割 

19-20世紀にかけて、シカゴの精肉町のなかには、男の空間と女の空間があった。男の空間はウイスキー横丁という居酒屋街。女の空間はセツルメントハウスという女性向き社交クラブ。そこで男たち、女たちは、民族の違いをこえて、下層労働者であることの労苦をわかちあった。
ウイスキー横丁の居酒屋の経営者はしばしば労働争議でクビになった元労働者だった。
かたや、セツルメントハウスは、中産階級の社会改良家たちによって設立された、教育・慈善事業、工業地区の条件の調査・改善の拠点だ。スラムの人々のための食事の提供、職業訓練、働く母親のための育児サービスなどを行った。
(なお、こうした男の空間、女の空間を破壊するのが、フェミニズムの唱えるジェンダーフリーである。労働者または失業者として、こうした空間をつぶすフェミニズムには警戒的でありたいと著者は願っている。)