幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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「構築された仏教思想 一遍念仏聖の姿、信仰のかたち」長澤昌幸著 "南無阿弥陀仏と称えることで救われる”

2021-06-21 01:24:00 | 本の紹介
・一遍が勧めていた念仏は「南無阿弥陀仏」と称えるものであった。これを称名念仏というが、本来の念仏は仏や菩薩、浄土を観想するものであった。中国・唐代に活躍した浄土教家のひとり善導は、人間を「凡夫」としてとらえ、永遠の過去から輪廻を繰り返してきた迷いの存在であるとした。その根底には、「この世にあっては誰もが罪を犯さないで生きることなどできない」という見方があるのである。そのため、「凡夫である衆生が救われる教えは、阿弥陀仏の本願にかあんった称名念仏しかない」と説いた。

・「南無阿弥陀仏と称えることで誰もが救われる教え」として、この称名念仏を弘めるため浄土宗を開いたとされる。これこそは、成仏を目指すさとりの仏教から、救いを願う仏教への転換であった。

・身をすつる すつる心を すてつれば おもひなき世に すみぞめの袖

・身を観ずれば水のあは きえぬるのちは人ぞなき
 命を思へば月のかげ いでいるいきにぞとどまらぬ
 人天善処のかたちは おしめどもみなとどまらず 
 地獄鬼畜のくるしみは いとへどもまたうけやすい

・別願超世の名号は 他力不思議のちからにて
 口にまかせて唱(ふ)れば 声に生死の罪さえぬ

・一遍が在世中に念仏札を配った数、250万2,724人であり。

一遍の往生観
はじめに称えた南無阿弥陀仏の六字名号がもとより往生そのもの(無生)であるから往生は、生死の迷いのない世界である。過去・現在・未来の時間の流れを断ち切り、その時を超越した六字名号に帰入してしまうと、始めも終わりもない永遠の往生であるとし、六字名号には、臨床と平生の別がなく、三世常恒の法門であるため、一遍は、一念一念に往生がある、つまり、「当体の一念」が永遠の今にあるのである。

感想
一遍聖絵
が国宝になっています。
一遍上人が地域に普及した活動が絵になっています。

時宗は一遍上人が開祖といわれています。

念仏を称えることは祈りでもあり、信じる信念が称える人の心を確かなものに、そして癒してくれるのでしょう。

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