https://shuchi.php.co.jp/article/5454?p=1
2018年08月10日 公開
野中郁次郎(一橋大学名誉教授)/田村潤(元キリンビール株式会社代表取締役副社長)
数値目標だけを追った結果、現場が機能しなくなった日本企業
野中 田村さんが45歳で支店長として赴任し、最下位ランクだった高知支店の業績を反転させる軌跡を描いた『キリンビール高知支店の奇跡』(講談社+α新書)を、わたしもたいへん興味深く拝読しました。
田村 ありがとうございます。ローカルな高知の話で、無名の著者が営業のセオリーを記しただけなのですが、予想外の反響があり、本人がいちばん驚いています(笑)。
野中 当たり前のことを成し遂げるのが、もっとも難しいんです。多くの読者が本書に共感を示した背景には、日本企業全体が共通の問題意識を抱えていることがある、と考えられます。
その問題を一言でいえば、アメリカ型の経営モデルを次々と導入したことへの反動として、「日本的経営は本当に時代遅れで陳腐化したのか」という疑問です。
ホンダの創業者の本田宗一郎さんは、「つくって喜び、売って喜び、買って喜ぶ」という「3つの喜び」をモットーとしてかかげました。しかし、ここではアメリカ的経営で語られる株主については触れられていません。
3つの喜びを達成すれば、結果的には利益が生まれ、株主も喜びを享受できますが、事後的なものにすぎない。本田さんの言葉は、企業は株主のために存在しているのではないことを如実に示しています。
ホンダに限らず、日本企業は本来、「世のため、人のため」という利他の目的を達成するために存在していたはずです。
しかし近年のROE(株主資本利益率)やPER(株価収益率)重視の近視眼的思考に陥りやすい四半期決算の導入により、数値目標が企業の目的にすり替わっている傾向があります。そこでは企業のもつ永続性や社員の「生き方」は不問とされていく。
しかし、数値自体に会計以外の意味はありません。同時に「なんのために働くのか」「会社の存在意義とは何か」という、主観的価値観を含んだ生き方を問うものでもありません。
京セラ名誉会長の稲盛和夫さんの経営哲学である「売上最大、経費最小」、そうすれば利益はついてくるという考え方は、数値至上主義の発想ではなく、働く社員が具体的に行動に移そうと思えるスローガンです。現場に「ROE8%」という目標を与えても、本社の意図は伝わりにくく、高揚感も生まれません。
田村 本書を読んだ読者からの感想を読むと、企画部門の上から目線による表面的な数字を追求されている営業マンの現状が痛いほど伝わってきます。
大事なものが置き去りにされて、かたちさえ整えればいいという形式的な仕事をしていると、業績は悪化します。
「わが社では成果が上がらず、会社の士気が下がっている」「本社からの要求が厳しく、若手から社員が次々と辞めていく」といった残念な声もあり、企業が抱える問題の根深さを痛感します。
それは、根本が間違っているからです。野中先生のおっしゃるように、結果にすぎない数値を最初に追い求めると、対策のための会議が続き、現場への指示が増えます。
やることが刹那な 的になるばかりで、末端の社員は次第に疲弊し、組織に閉塞感と苛いら立だ ちが漂い始める。
日本企業が陥ってしまった三大疾病。現場がストレス過多で機能しなくなっ
野中 現在、日本企業の多くがオーバー・プランニング(過剰計画)、オーバー・アナリシス(過剰分析)、オーバー・コンプライアンス(過剰法令順守)の3大疾病に陥っています。
MBA(経営学修士)などアメリカ流の経営手法に過剰適応した結果、自社の存在意義が見えなくなってしまったのです。現場を知らない本社が送った指示をこなすのに精一杯で、ミドル、現場がストレス過多でへばっている。これが日本企業の現状です。
企業経営において重要なことは、目標の数値化ではなく、会社や社員が存在する意味を問うことです。経営の数値化が進めば進むほど、生き方や価値、コンセプトそのものが、どんどん劣化していきます。
その意味で『キリンビール高知支店の奇跡』は、現在の日本企業が直面する経営のありようについて本質的な問いを投げかけており、非常に意義深い。MBA依存の学者では、こういう作品は書けないでしょう。
田村 じつはわたしも高知支店に赴任するまで、仕事とは上意下達で与えられた数値目標を達成するものだと思っていました。支店の営業マンも、本社から四国地区本部をとおして下りてきた指示を問屋や一部酒販店に伝えるだけでした。
しかし、現場でお客さまがキリンビールから離れていく状況を目ま の当たりにして、「もう一度、キリンビールを手にとっていただくにはどうしたらいいか」を真剣に考えざるをえませんでした。
そこで、困ったわたしは、キリンビールとはいったい何者なのか、その原点や歴史を振り返ることから始めました。
野中 以前の売り上げ好調時のキリンビールは、どういう雰囲気だったのですか。
田村 社史を読むと挑戦的な会社だったことがわかります。主力銘柄のキリンラガービールも、少しずつ味を変えて、時代ごとの最高のおいしさを追求していたようです。
会社の歴史をひもといてみると、自分たちのミッションとは、本社からの方針や目標を忠実に実行することだけではないことがわかった。
まずは高知県のお客さまに「キリンビールがいちばんおいしい」と感じてもらうことであり、それこそがキリンビールの伝統にも連なるんだ、と納得することができました。
会社の歴史を振り返るという作業をとおして、「最後の一人になっても闘い抜く」という覚悟が芽生えました。
野中 自社の歴史を振り返ることで、自分の存在意義を再確認したわけですね。
キリンビール高知支店を劇的に変化させた改革手法は極めてシンプルだった
田村 わたしが高知支店で取り組んだことは、いたってシンプルです。「高知の人びとにひとりでも多くおいしいキリンビールを飲んでもらい喜んでいただく」という理念をかかげ、その実現のために「どの店に行ってもキリンビールが置いてあり、欲しいときに手にとっていただける状態をつくる」という「あるべき姿」を描く。
この理念とビジョンを社員と共有し、ベーシックな営業活動を徹底することで、現実とのギャップを埋めていくという戦略を描きました。
野中 理念と戦略ですね。
田村 はい。次に行なったのが、現場の実行力の強化です。どれだけよいプランがあっても、実行できなければなんの価値もない。
そこで営業マンには、各エリアの店舗を回るという基本活動を繰り返し行なってもらいました。スポーツや音楽の練習と同じで、退屈な作業も反復すれば身体が順応します。すると営業に必要な基礎体力が身につく。
それだけではなく、お客さまとの心理的な距離も縮まり、いろいろな話を聞けるようになりました。
「亡くなった両親がうれしそうな顔をしてキリンビールを飲んでいた」「会社でいやなことがあっても、一杯の冷えたラガーを飲むと疲れがとれて、明日も頑張ろうと思えた」といった思い出話を聞くと営業マンは、お客さま一人ひとりが心にキリンビールを大事な記憶のシーンとして刻み込んでいることを実感しました。
さらに、キリンビールというブランドが自分たちだけのものではなく、じつはお客さまとも共有していることに気づきます。
そのつながりを理解したことで、「高知の人びとに一人でも多くおいしいキリンビールを飲んでもらい喜んでいただく」という理念を再発見できたのです。
野中 組織内にはどんな変化が見られましたか。
田村 理念が共有されていくことで、「もっと効率的に店舗を回れる」「こんなキャンペーンをしよう」といったアイデアが社内でひんぱんに話し合われるようになりました。自由度が高まったことで、一人ひとりにイノベーションが次々と起こり、それらがどんどん共有化されていきました。
こうした変化を目の前にして、わたし自身とても幸せな気持ちになりました。業績が好転したからではなく、皆が力を合わせてお客さまに喜んでもらえたことで、「生きるとは何か」が感じられたからです。(了)
感想;
日本企業の多くがオーバー・プランニング(過剰計画)、オーバー・アナリシス(過剰分析)、オーバー・コンプライアンス(過剰法令順守)の3大疾病に陥っています。
MBA(経営学修士)などアメリカ流の経営手法に過剰適応した結果、自社の存在意義が見えなくなってしまったのです。現場を知らない本社が送った指示をこなすのに精一杯で、ミドル、現場がストレス過多でへばっている。これが日本企業の現状です。
企業経営において重要なことは、目標の数値化ではなく、会社や社員が存在する意味を問うことです。経営の数値化が進めば進むほど、生き方や価値、コンセプトそのものが、どんどん劣化していきます。
多くの会社が数値目標を掲げて、それを営業人の一人ひとりの数値に置いて、数値達成を何が何でも達成することで行っている企業が多いです。
数値目標は、それは結果であって、数値が目的になると会社はどこかで無理を生じます。
無理をして数値を達成するために、つい違法なことに手を染めてしまうのです。
これは自明の理ですが、経営者はどうしても数値を求めてしまいがちです。
ただ、数値目標をなくすと数値に届かないとのジレンマも生じます。
そこをどうするかに工夫が求められるのでしょう。
2018年08月10日 公開
野中郁次郎(一橋大学名誉教授)/田村潤(元キリンビール株式会社代表取締役副社長)
数値目標だけを追った結果、現場が機能しなくなった日本企業
野中 田村さんが45歳で支店長として赴任し、最下位ランクだった高知支店の業績を反転させる軌跡を描いた『キリンビール高知支店の奇跡』(講談社+α新書)を、わたしもたいへん興味深く拝読しました。
田村 ありがとうございます。ローカルな高知の話で、無名の著者が営業のセオリーを記しただけなのですが、予想外の反響があり、本人がいちばん驚いています(笑)。
野中 当たり前のことを成し遂げるのが、もっとも難しいんです。多くの読者が本書に共感を示した背景には、日本企業全体が共通の問題意識を抱えていることがある、と考えられます。
その問題を一言でいえば、アメリカ型の経営モデルを次々と導入したことへの反動として、「日本的経営は本当に時代遅れで陳腐化したのか」という疑問です。
ホンダの創業者の本田宗一郎さんは、「つくって喜び、売って喜び、買って喜ぶ」という「3つの喜び」をモットーとしてかかげました。しかし、ここではアメリカ的経営で語られる株主については触れられていません。
3つの喜びを達成すれば、結果的には利益が生まれ、株主も喜びを享受できますが、事後的なものにすぎない。本田さんの言葉は、企業は株主のために存在しているのではないことを如実に示しています。
ホンダに限らず、日本企業は本来、「世のため、人のため」という利他の目的を達成するために存在していたはずです。
しかし近年のROE(株主資本利益率)やPER(株価収益率)重視の近視眼的思考に陥りやすい四半期決算の導入により、数値目標が企業の目的にすり替わっている傾向があります。そこでは企業のもつ永続性や社員の「生き方」は不問とされていく。
しかし、数値自体に会計以外の意味はありません。同時に「なんのために働くのか」「会社の存在意義とは何か」という、主観的価値観を含んだ生き方を問うものでもありません。
京セラ名誉会長の稲盛和夫さんの経営哲学である「売上最大、経費最小」、そうすれば利益はついてくるという考え方は、数値至上主義の発想ではなく、働く社員が具体的に行動に移そうと思えるスローガンです。現場に「ROE8%」という目標を与えても、本社の意図は伝わりにくく、高揚感も生まれません。
田村 本書を読んだ読者からの感想を読むと、企画部門の上から目線による表面的な数字を追求されている営業マンの現状が痛いほど伝わってきます。
大事なものが置き去りにされて、かたちさえ整えればいいという形式的な仕事をしていると、業績は悪化します。
「わが社では成果が上がらず、会社の士気が下がっている」「本社からの要求が厳しく、若手から社員が次々と辞めていく」といった残念な声もあり、企業が抱える問題の根深さを痛感します。
それは、根本が間違っているからです。野中先生のおっしゃるように、結果にすぎない数値を最初に追い求めると、対策のための会議が続き、現場への指示が増えます。
やることが刹那な 的になるばかりで、末端の社員は次第に疲弊し、組織に閉塞感と苛いら立だ ちが漂い始める。
日本企業が陥ってしまった三大疾病。現場がストレス過多で機能しなくなっ
野中 現在、日本企業の多くがオーバー・プランニング(過剰計画)、オーバー・アナリシス(過剰分析)、オーバー・コンプライアンス(過剰法令順守)の3大疾病に陥っています。
MBA(経営学修士)などアメリカ流の経営手法に過剰適応した結果、自社の存在意義が見えなくなってしまったのです。現場を知らない本社が送った指示をこなすのに精一杯で、ミドル、現場がストレス過多でへばっている。これが日本企業の現状です。
企業経営において重要なことは、目標の数値化ではなく、会社や社員が存在する意味を問うことです。経営の数値化が進めば進むほど、生き方や価値、コンセプトそのものが、どんどん劣化していきます。
その意味で『キリンビール高知支店の奇跡』は、現在の日本企業が直面する経営のありようについて本質的な問いを投げかけており、非常に意義深い。MBA依存の学者では、こういう作品は書けないでしょう。
田村 じつはわたしも高知支店に赴任するまで、仕事とは上意下達で与えられた数値目標を達成するものだと思っていました。支店の営業マンも、本社から四国地区本部をとおして下りてきた指示を問屋や一部酒販店に伝えるだけでした。
しかし、現場でお客さまがキリンビールから離れていく状況を目ま の当たりにして、「もう一度、キリンビールを手にとっていただくにはどうしたらいいか」を真剣に考えざるをえませんでした。
そこで、困ったわたしは、キリンビールとはいったい何者なのか、その原点や歴史を振り返ることから始めました。
野中 以前の売り上げ好調時のキリンビールは、どういう雰囲気だったのですか。
田村 社史を読むと挑戦的な会社だったことがわかります。主力銘柄のキリンラガービールも、少しずつ味を変えて、時代ごとの最高のおいしさを追求していたようです。
会社の歴史をひもといてみると、自分たちのミッションとは、本社からの方針や目標を忠実に実行することだけではないことがわかった。
まずは高知県のお客さまに「キリンビールがいちばんおいしい」と感じてもらうことであり、それこそがキリンビールの伝統にも連なるんだ、と納得することができました。
会社の歴史を振り返るという作業をとおして、「最後の一人になっても闘い抜く」という覚悟が芽生えました。
野中 自社の歴史を振り返ることで、自分の存在意義を再確認したわけですね。
キリンビール高知支店を劇的に変化させた改革手法は極めてシンプルだった
田村 わたしが高知支店で取り組んだことは、いたってシンプルです。「高知の人びとにひとりでも多くおいしいキリンビールを飲んでもらい喜んでいただく」という理念をかかげ、その実現のために「どの店に行ってもキリンビールが置いてあり、欲しいときに手にとっていただける状態をつくる」という「あるべき姿」を描く。
この理念とビジョンを社員と共有し、ベーシックな営業活動を徹底することで、現実とのギャップを埋めていくという戦略を描きました。
野中 理念と戦略ですね。
田村 はい。次に行なったのが、現場の実行力の強化です。どれだけよいプランがあっても、実行できなければなんの価値もない。
そこで営業マンには、各エリアの店舗を回るという基本活動を繰り返し行なってもらいました。スポーツや音楽の練習と同じで、退屈な作業も反復すれば身体が順応します。すると営業に必要な基礎体力が身につく。
それだけではなく、お客さまとの心理的な距離も縮まり、いろいろな話を聞けるようになりました。
「亡くなった両親がうれしそうな顔をしてキリンビールを飲んでいた」「会社でいやなことがあっても、一杯の冷えたラガーを飲むと疲れがとれて、明日も頑張ろうと思えた」といった思い出話を聞くと営業マンは、お客さま一人ひとりが心にキリンビールを大事な記憶のシーンとして刻み込んでいることを実感しました。
さらに、キリンビールというブランドが自分たちだけのものではなく、じつはお客さまとも共有していることに気づきます。
そのつながりを理解したことで、「高知の人びとに一人でも多くおいしいキリンビールを飲んでもらい喜んでいただく」という理念を再発見できたのです。
野中 組織内にはどんな変化が見られましたか。
田村 理念が共有されていくことで、「もっと効率的に店舗を回れる」「こんなキャンペーンをしよう」といったアイデアが社内でひんぱんに話し合われるようになりました。自由度が高まったことで、一人ひとりにイノベーションが次々と起こり、それらがどんどん共有化されていきました。
こうした変化を目の前にして、わたし自身とても幸せな気持ちになりました。業績が好転したからではなく、皆が力を合わせてお客さまに喜んでもらえたことで、「生きるとは何か」が感じられたからです。(了)
感想;
日本企業の多くがオーバー・プランニング(過剰計画)、オーバー・アナリシス(過剰分析)、オーバー・コンプライアンス(過剰法令順守)の3大疾病に陥っています。
MBA(経営学修士)などアメリカ流の経営手法に過剰適応した結果、自社の存在意義が見えなくなってしまったのです。現場を知らない本社が送った指示をこなすのに精一杯で、ミドル、現場がストレス過多でへばっている。これが日本企業の現状です。
企業経営において重要なことは、目標の数値化ではなく、会社や社員が存在する意味を問うことです。経営の数値化が進めば進むほど、生き方や価値、コンセプトそのものが、どんどん劣化していきます。
多くの会社が数値目標を掲げて、それを営業人の一人ひとりの数値に置いて、数値達成を何が何でも達成することで行っている企業が多いです。
数値目標は、それは結果であって、数値が目的になると会社はどこかで無理を生じます。
無理をして数値を達成するために、つい違法なことに手を染めてしまうのです。
これは自明の理ですが、経営者はどうしても数値を求めてしまいがちです。
ただ、数値目標をなくすと数値に届かないとのジレンマも生じます。
そこをどうするかに工夫が求められるのでしょう。
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