幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「左遷の哲学『嵐の中でも時間はたつ』」伊藤肇著 ”不遇時を以下に処するか”

2021-01-11 19:20:00 | 本の紹介
・マロ―の言葉
「人間の哲学がかわる時、あらゆるものがかわる」

・聖書
「艱難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出す」

・伊庭真剛
「人間は病気の時と健康の時と、この二つの境涯に処する工夫を究めておかねばならぬ」

・“電力の鬼“といわれた松永安左エ門
「実業人が実業人として完成するためには三つの段階を通らぬとダメだ。
1) 長い闘病生活
2) 長い浪人生活
3) 長い投獄生活

・精神分析の権威、フロイトの弟子フランクルは、ユダヤ人であったためにナチスに捕らえられ、アウシュヴィッツ収容所(実際は別の収容所、後で数日アウシュヴィッツのビルケナウに移されまた別の収容所へ)に送られた。そこでフランクルは理性や知性を失ったユダヤ人たちが本能的、無意識的に同胞を売り、その同胞の死を前にしてパンを食べる姿を見た。
それはまさしく、師のフロイトのいう「性悪説」の世界そのものだった。ところが、これとは全く反対に、ごく自然に自分の命を捨てて同胞を助けようとする人々のいることも知った。
その事実によって、フランクルは、本能の支配する無意識の世界の底に、さらに深い無意識の層があって、そこからの呼びかけに応えたものが、大ぜいの人間の倖せのためにやすやすと自分の命さえ捨てることに気づいたのである。人間の行動の根底は、ほんとうはそこにあるのだといい、“超越的無意識”“宗教的無意識”あるいは“実存的無意識”と名づけた。

・幸田露伴「幽情記」

・蘇東波(北宋の詩人)
人生 離別無ければ
誰か 恩愛の重きを知らんや
人生とは逢って別れることのくり返しである。
人に、物に、本に、風景に・・・人は逢い、縁を結び、そして何時しか別れてゆく。
人は別離の哀しみを凝視することによって「もののあわれ」をしる。

・ガンジー
「真実の自己(本性)を実現したいと思うなら、必ず、自己の肉体から離れることが必要である」

・ナポレオン
「人間を動かすものは恐怖と利益だ」
⇒セント・ヘレナに幽閉されて以来
「政治が人間に先行するのではなく、人間が政治に先行する」
「尊敬されることによって人心を補足し得る」
「優れた人は、上からも下からも国家を眺める」

・三橋節子をテーマにした「湖の伝説」梅原猛著
「死を忘れた自由ではなくて、死を覚悟した自由、そういう自由こそ本当の人間の自由だ、とわれわれはマルチン・ハイデッカーとともにいうことができるであろう」

・池田勇人「三人の心友をもて」
1) すぐれたジャーナリスト(真実を言ってくれる)
2) 立派な宗教家(人格を高める)
3) 名医

・世界保健機構が発表した“健康のバロメーター”は7つある。
1) 毎日決まって便通がある(快通)
2) 何を食べてもうまい(快食)
3) よく眠れる(快眠)
4) 風邪ぎみでない
5) すぐ疲れない
6) 体重が変わらない
7) 毎日が楽しく明るい
快通・快食・快眠は健康の三大要素といわれるが、三つのうちでも何より大事なのは、”快通“である。”快通“がなければ”快食“も”快眠“もあり得ない。

・佐藤一斎
小(ワカ)クシテ学ベバ、壮ニシテ為すアリ
壮ニシテ学ベバ、老イテ衰エズ
老イテ学ベバ、死シテ朽チズ
松永安左エ門は何度も何度も、この章句を口の中でくり返した(浪人中)。

・「いかに生きるか」ということに正しい自律を立てること、原理原則をもつことである。
その“正しい自律”あるいは”原理原則“が”人間学“であり“心性の学問”なのだ。

・「本来、利益は目的でなくて結果である。世の中に役立つようなことをすれば、必ず、この貢献の度合いに応じた報酬が社会からもたらされる」

・中国に泥魚(デイ)とよばれる魚がいる。
天然の処世をよく心得ていて、旱天がつづき、河水が干上がると、頭からしっぽまで、からだ全体を泥にくるんで、蓑虫みたいな恰好で、何日でもころがって(雨を待って)いる。
・88歳の石坂泰三には、青年たちを訓育する時間も余裕もない。「どうか、諸君は自分にかわって、それをやってもらいたい」。

・人間が死を自覚したとき、必ず後に続く者に何かをバトンタッチしたくなる。

・資生堂相談役の岡内英夫 入社する前に禅寺で6か月修行
「幸福とは生命の緊張感のうちにしかない、という事実です。仕事でも恋愛でも、張りつめて、いったい、どうなるかわからぬように懸命の努力をしている。その中にのみ幸福の充実があるという感じですね。

・岩波書店会長の小林勇も戦争中、特高にパクられた思い出を次のように書いている。
特高は私を道場に連れていった。そして、竹刀で、いきなり5つ6つなぐったうえで取り調べをはじめた。
どうせ長くかかるだろうということで、3つの誓いをたてた。
1) 早く帰りたがらない
2) 健康に気をつける
3) 自分を卑しくしない
「おかげでわりかし落ちついておられたし、留置所の中の世界も余裕をもってみれば、なかなか面白かった」

・伊藤忠商事の瀬島龍三は関東軍の”敗戦軍師“としてソ連へ入り、そのまま抑留されて13年、人間として見てはならぬもの、してはならぬこともやらねば生きていけない地獄の生活を体験してきた。
「人に説明しても、理解してもらえないと思うが、発狂しないで、こうしてかえって来られたのは観音経のおかげだとおもっている」と述懐している。

・松永安左エ門と桃介(福沢諭吉)のやりとり 「まかり通る」小島直紀著
「おや、元気そうじゃないか」(桃介)
「驚いたな」
「どうして?」(松永)
「だって何週間も牢屋につながれているのに、前以上に元気そうなんだもの」
「当たり前でしょう。私は何も悪いことをしていないんです。罪の意識がない以上、くよくよとおもい悩むことはないわけだ」
「しかし、自由は拘束されるし、メシだってまずいだろうに・・・」
「そりゃそうです。だが、反面、娑婆にいるときみたいに厄介な訪問局はこないし、労役はしなくていいし、じっくりと考える時間があって、おもわぬ拾いものでした」
「あきれたものだな。牢へ入れられて喜ぶ奴があるものか」
「しかし、悲観したり、怒ったりしてもはじまらぬでしょう。私はここに入っている間を、天与の休暇だと考えることにしたのです。そういうふうに心の向けかたを変えてみると、ここもまんざら悪いところでもありませんよ」

・興銀相談役の中山泰平は”人生観“を問われたり、揮毫を頼まれると、めったに筆はとらないが、それでも気がむいたときには「流るままに」と、あまり流れていない字でかく。
ポストに不満をもつな、いかなるポストに学ぶべき貴いものがあるはずだ、というのが中山の考え方だが、それを『臨済録』では「随所ニ主ト作(ナ)ル」という言葉で表現している。
どういう境涯にあっても自己を失わないということである。いやいやながら、そのポストにつき、環境に押し流されて規格品になってしまったら、それこそ人生一巻の終わりである。

・竹中半兵衛は秀吉からもらった感状や手紙の類を全部焼き捨てていた
「何故、そんなことをされるのか」と(黒田如水)がきくと、「こんなものが残っていると、私の子孫が自分の実力がなく、器量もなくて功も立てられぬくせに、何かことがあると、『秀吉殿は、これほど父に懇ろになされていたのに、われわれには、どうしてかくも冷たいのだろう』などと、とんだ心得違いを起こさぬとも限らぬて」と答えた。
また、この半兵衛は肝胆相照らした如水と話し合っていたとき、如水が秀吉に不満をもっていることを知った。秀吉が如水の武功をたたえて、後日、大禄を約束した文書をわたしているのが、その理由だった。
半兵衛は「ご書面をそれがしにも見せて頂きたい」といいい、如水がうやうやしく、手文庫から取り出してみせると一通り目を通すや否や、ひきさいて火中に投じた。
「何をなさるか」とあわてる如水にむかって半兵衛は醇々と説いた。
「こんなものをもっているからこそ、殿がなかなか約束を果たしてくれぬと不平不満がわくのじゃ。不平がわかれば仕事の手はにぶる。とにかく貴殿のためにならぬと思うて火にくべたのじゃ」
さすが如水、これで目がさめた。出世は結果であって目的ではない。だから「出世につかえず、仕事に仕える」のがプロの心意気であろう。

・広田弘毅は他の外交官のように英語版の書籍や雑誌だけ読んで満足するのではなく、オランダ語の新雑誌や資料も読むためにオランダ外務省を退職した老人を特別に雇い、毎日のめぼしい論説や解説はすべて翻訳させ、あるいは<これは>と思う資料を調べさせたり、問題の周辺を探らせたり、読書に飽きることがなかった(オランダ公使に左遷された時)。そして、最後に、一日の読書の終わりに中学時代から愛蔵してきた和綴じの『論語』を心静かにベッドで読むのが日課であった。

・「本は人生を楽しむことを教えるか、さもなくば、人生を我慢することを教えるものでなければならない。<S・ジョンソン>」

・「百足ちがい」山本周五郎
雲海和尚「いちど怒ると時間にして一刻が命を減らすだぁ。おらが証人。怒りっぽい人間はみんな早死にだてば」

・経済学者の難波田春夫も明言している。
「経済のことがよくわかるようになったのは、経済以外のことを勉強したおかげである」

・宮沢賢治
<これからの本当の勉強はねえ、テニスをしながら、商売の先生から義理で教わることではないんだ。
吹雪やわずかの仕事のひまに
泣きながら、体にに刻んで行く勉強が間もなく、ぐんぐん強い芽をふいてどこまでのびるかわからない。
それがこれからの学問のはじまりなんだ>

・東洋精密工業会長の大橋武夫語録
 ・社長は細部の指揮をしてはならないが、細部を理解していなくてはならない
 ・どちらとも決めかねるのは、どちらでもよいことである。決心の根拠をはっきりさせて、早くどちらかに決め、その案の助長補短の工夫をすべきである。
 ・どんな案にも、良し悪しがある。よいところを伸ばし、悪いところを補うことが十分でなかったら、どんなよい決心をしても実用にならない。
 ・「忙時、山、我ヲ見、閑時、我、山ヲ見ル」という古語がある。忙しいときでも、閑なときでも山は見えているのだが、目前の小事にとらわれていると遠くが見えないのである。
 ・中国の古典に「三人の争臣あれば国は安泰なり」とある。“争臣”とは主君に直言して争う臣のことだ。社長も三人ぐらいの直言の主をもっておらなければいけない。

・孫子は「憤を以って戦を致すべからず」といっている。昔から怒って戦をはじめた武将は、ことごとく敵の罠にはまっている、社長は怒ったときに人事を扱ってはならない・

・過去の失敗を貴重な経験として、プラスとするかどうかは、本人の心構え次第なのだ。

・アラン
「楽天主義は意志の所産だが、厭世主義は人間が自己を放棄したときの状態である」

・逆境を支えるひと言
 ・逆境にあるとき、沈黙のうちに心を自分にむけ、他人の判断に胸をさわがせないのは、決して賢明さでない、 トーマス・ア・ケンビス
  周囲の雑音を無視できたら、これは相当な人物である。
 ・「今が最悪だ」といえるときは、まだ最悪ではない。シェークスピア
 ・ストリンゴベリイ「苦しみつつ常に希望を抱け。永久の定住を望むな、この世は巡礼である」
 ・財貨を失ったのは・・・いくらか失ったことだ! 貴を取り直して新たなものを得なければならない。名誉を失ったのは・・・多く失ったことだ! 名誉を獲得しなければならない。そうすれば人は考え直すだろう。勇気を失ったのは・・・すべてを失ったことだ! 生まれてこなかったほうがよかっただろう。ゲーテ
 山崎豊子が『不毛地帯』を朝日新聞から「堺市在住の今井源治氏の著書『シベリアの歌-兵士の帆力』の盗用だ」ときめつけられた。作家にとっては“死刑の宣告”である。
そのとき、天来の啓示の如く閃いたのが、このゲーテの一言だった。山崎は別荘を売って訴訟費用を工面すると朝日に対し果敢な戦を挑み、ついに朝日をして”敗北“を意味する”遺憾“の意を表明させた。
 ・タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。レイモンド・チャンドラー(英・推理作家)
・荘子「不将不通、応而不蔵」(将(オク)ラズ、迎ヘズ、応ジテ蔵セズ)
「将ラズ」とは、いろいろな心配ごとがあっても、それにいつまでもこだわってくよくよしないことであり、「迎ヘズ」は取越し苦労をしないという意味である。また「応ジテ蔵もセズ」というのは、何か事件が起こったときには「応ジテ」てきぱきと処理する。しかし、処理したあとは、そのことを「蔵セズ」、きれいさっぱり忘れてしまうという意味だ。

・窮すれば変じ、変ずれば通ず(易経)
「窮して、窮して、窮して、窮乏のドン底に落ちたとき、必ず、どこかに変化が生じます。そして、その変化が起きたときには、既に通ずる道ができているのです。」梶浦逸外(禅宗妙心寺官長)

・ひとは“愛語”を学ぶべきである。それは宗教書だけでなく、文学書の中にもある。読書も一つの目標は、”愛語“を知るところにあるのだ。

・「忘年の交(まじわり)」
老人は若い連中と交わって、その経験や学問を教え、若い連中は老人の歩いた足どりから何かを吸収し、次の飛躍をめざすという文字通り「年を忘れ、齢を超越して、互いに心を許して交わることである。

・過ちをするから人間なのだ。神のみ、これを許し給う(箴言)

・宗教は人生の終着駅ではない。宗教は人生の発足駅なのだ。

・ウシオ電機社長の牛尾治朗
「社員が自己の利益より先に会社の利益を考え、会社はそれよりも、いっそう強烈に社員の幸福を考える。この一体となった二重否定の運動こそが会社を発展させる原動力です」

・西南の役で倒れた盟友、西郷南洲を悼んで(勝海舟)
ぬれぎぬを ほそうともせず 子供たちが なすがまにまに 果てし君かな

・林信太朗(立地公害局長⇒ジャスコ副社長
「人間、何か行動を起こすときには、自分なりに納得した原理原則をもっていなければならない。今度の場合は、“清規(せいき)”と“陋規(ろうき)”という言葉を痛切に思い出し、いかに苦しい破目に立っても、全体に“陋規”を犯してはならない、と自らにいいきかせたのです」

・泥棒ながらも義賊といわれた鼠小僧次郎吉は三つの“陋規”を自らに課していた。
1) 金をとられても困らぬ中流以上の家を襲うこと
2) 放火しないこと
3) 女を犯さぬこと

感想
失敗を次に生かせばそれは学び。
失敗から何も学ばず繰り返すと、まさにそれが失敗と言われます。

不遇の時に、諸先輩の処置体験から学ぶことにより、よりその不遇を生かすことができるのでしょう。
あるいは、先輩の不遇の処置体験から、自らの不遇を防ぐ方法も学ぶことができるかもしれません。

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