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「児童養護施設という私のおうち 知ることからはじめる 子どものためのフェアスタート」田中れいか著 ”施設出身のモデル”

2022-06-13 20:58:28 | 本の紹介
田中れいかホームページ
2021年12月22日出版

・私は「児童養護施設」出身者でモデルの田中れいかと申します。
この本は、私の生い立ちを通して、児童養護施設にいる子どもたちと「社会的養護」について、知ってもらうことを目的としています。
私は、7歳から18歳までの11年間、児童養護施設で暮らしていました。

・東京都葛飾区の団地に、両親と3つ上の兄、4つ上の姉の家族5人で暮らしていました。
当時はもう、お父さんとお母さんの関係が悪くなっていて、夜中になると物を投げつける音とか、お母さんの「キャー!」っていう悲鳴が、隣の部屋で寝ている私たちに聞こえてくる日々でした。
そういうのがどれぐらい続いたかわからないのですが、ある日、お母さんが家を出て行ってしまいました。それ以降、お父さんの怒りの矛先がお兄ちゃんに向けられるようになります。
私とお姉ちゃんは叩かれなかったけど、お父さんはなにか気に食わないことがあると「出ていけ」」と怒鳴ることもありました。玄関のドアから出され、団地の廊下に立たされたこともありました。

・お母さんがいなくなってからは、お姉ちゃんが率先して家事を担っていたんですが、ある日の晩、洗い物をしていたら、シンクの排水溝にお皿がポコンッて挟まっちゃんです。すると、水道の水がブヮーッとあふれてしまい、床やカーペットが水浸しに・・・。
仕事から帰ってきたお父さんが水浸しの部屋を見てすごく怒って、いつものように「出てて行け」と大声で言いました。いつも通り「ああ、廊下に行くのかな」と思ったのですが、その日はなぜか、私を連れて本当に家を出たのです。
私はパジャマ姿のまま、なにもわからずついて行ったのですが、お姉ちゃんは交番に駆け込んで、警察官に事情を話したようでした。
時刻は0時過ぎ。交番で保護された私たちは、タバコ臭い部屋で待機。そのあと交番から児童相談所に移動しました。

・児童相談所では、施設が決まるまでの一時保護という形になり、併設される「一時保護所」という施設が仮住まいとなりました。
勉強は基本、プリント学習です。
運動の時間は朝にあって、施設内にあるグラウンドをみんなで走っていました。

・統計によると、一時保護所で暮らす期間は平均29.4日、原則として2か月を超えてはならないとされています。
また、ここから家庭に戻される子が半数以上いるのも現実です。

・(施設から学校へ通う児童への学校側の)理解があるかどうかは、本当にそれぞれなのです。私のいた地域は、理解するための取り組みがあったので、恵まれていたほうだと思います。この格差はあっていいのでしょうか。

・児童養護施設では、年間を通して季節ごとのイベントが盛りだくさんでした。
夏休みは川や海へキャンプ、冬はスキー旅行(二泊三日)。
ゴールデンウィークは近くの公園など
誕生日の人へのプレゼント(予算1,000円)もあります
クリスマスにはサンタさんが来てくれて、一人ずつ、直接プレゼントを手渡してくれます。

・施設では、小学生~中学生が入部できる「部活動」がありました。

・私は小学5年生からピアノを習っていました。先生はボランティアの方。決まった日に施設に来て、教えてくれていました。でも、ピアノを習うことができる定員が決まっていて、その時はちょうど定員いっぱいで・・・。それでもあきらめずにずっと「やりたい」と言い続けていたら、やっと順番が回ってきたんが2年後でした。

・子どもの服代も一人あたり年間約4万円と予算があります。欲しい服がある時は先生に「こういうのが欲しい」と伝えたり、先生もわざわざ勤務時間外に飼いに行ってくれて「れいかさんのあたらしい服、買ってきたんだよ」と持ってきてくれるのは、うれしかったです。

・実は、中学2年生の時、しばらく不登校になった時期もありました。2週間ほどでしたが、学校に行けず、施設で過ごしました。
登校できるようになったきっかけは、部活の子が施設に来て、「一緒に学校に行こう」と誘ってくれたことが大きかったと思います。はなちゃんという仲の良い子でした。あとではなちゃんに聞いたのは、バレー部の顧問の先生が、「れいかみたいな子は部活が一つの居場所になるんだから、絶対連れて来い」といっていたとのことです。

・塾代は、高1・高2で東京都から出るのは月2万円、高3になると2万5000円。

・いまは、高校に入学が決まるとスマホを持つことができます。

・おこづかいについて
           全国平均    私の場合
 小学生 低学年  1,004円      1,500円(1~3年)
     中学年   864円
     高学年  1,085円      1,600円(4~6年生)
 中学生      2,536円      2,800円
 高校生      5,114円      5,500円

・お母さんとは毎月1回、外出していました。
私の場合だと当日11時にお母さんが迎えに来て、夜の7時までずっと一緒にいました。

・高校1年生の10月からアルバイトをはじめました。夏頃から、施設の先生に「自立のためのお金は貯めようね」ということを言われはじめたからです。目標金額は100万円以上。大学や専門学校の入学金、アパートの初期費用などを含め、一人暮らしをはじめるための原資になります。
私たちは高校卒業と同時に施設を出て、自立しなければいけません。ですから、高校生になると卒業後について話をしはじめます。

・そんなことで、結局やっと携帯電話を手に入れたのは、なんと高校3年生の夏ぐらいのことでした。

・児童養護施設出身者の大学・短期大学進学率は14.4%です。2020年度文部科学省の「学校基本調
査」では、大学・短期大学への進学率は58.6%で2人に1人が進学しています。

・学生生活としては、学費は奨学金ですべてまかない、生活費はアルバイトをして稼ぐということを施設の先生と決めて退所しました。

・「世田谷若者フェアスタート事業」
私が児童養護施設退所後に受けた支援は、東京都世田谷区で2016年にはじまったプロジェクトです。
1) 給付型奨学金
2) 住宅支援
3) 居場所支援

・コーチングを受けて、モデルの仕事をやってみよう!と思い行動できたのは、この時のコーチがひたすら背中を押してくれたからです。

・「施設出身モデル」として発信していこう、とコーチと決めました。
最初は「フリーランス」のモデルとしてたった一人で始めたことなのですが、すごくポジティブな気持ちで、「私はきっと施設のイメージを変えていける!」と思えたんです。

・モデルの活動をはじめてすぐの2017年、ミス・ユニバース茨城県大会に関わっていた知人から「よかったら出てみない?」と声をかけられました。
「ファイナリスト進出のお知らせ」のメールが届いたときは、その場で静かにガッツポーズをしました。
「ビューティーキャンプ」という自分を磨くための講義が組み込まれています。筋トレ、ヨガ、ダンス、スピーチ講座、法律の授業、ウォーキングレッスン、小顔講座、メイク講座・・・ジャンルもさまざまで、たくさんのことを学ばせてもらいました。
結果は準優勝でした。
受賞をきっかけに私が施設出身者だと公表したことで、「児童養護施設ってどういうところなのか教えてほしい」と少しずつ連絡を貰うようになりました。

・私はいま、自分で立ちあげたメディアやSNSでの発信を定期的に行いながら、テレビやウェブメディアからの依頼にこたえるかたちで、取材を受けたり、企業や施設、地域のイベントなどで、生い立ちについて話すスピーカーの活動をさせていただいています。

・これから求められるのは次の3つの機能です。
1)「個別的養育機能」 一人ひとりにあった養育
2)「支援拠点機能」 児童養護施設の本園を拠点として、さまざまな期間と連携
3)「地域支援機能」 

・これからの児童養護施設に関して私が注目しているのは、「施設を拠点としてアフターケア(施設退所後の支援)が充実していく」ことです。

感想
子どもの為に、頑張っている人も多くいるのだなと思いました。
ただ、このケースは上手くいった場合のように思いました。
出て来る大人も一所懸命の方が多かったです。
児童養護施設の子どもだということで、差別する先生もいたようです。

児童相談所が怠慢で子どもの救える命を救えなかったケースもよく報道されています。
「告発 児童相談所が子供を殺す」 山脇由貴子著 ”児童福祉司は誇りを持って活動されているか?”

高校卒業したら自立。
厳しいです。
教育を受けられないから貧困の連鎖があります。

つくづく、安倍元首相は無駄なお金を使い、日本の未来を担う若者への投資をされなかったなと思います。
アベノマスクに400億円
不良在庫の保管量と無料送付で数十億円
これから死に金です。
それを問題にしない自公。
きれいごとをいっても行動を見ているとわかるのですが。
それでも支援された方多かったです。
日本の未来を暗くしているのは今の国民なのでしょうか?
それとも福沢諭吉先生が『学問ノススメ』で言われていた言葉、
「愚民が愚政を生む」
だから学問を学びなさいと。

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