幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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「日航123便墜落の新事実 目的証言から深層に迫る」青山透子著 ”知らなかったがおかしなことが山積みのJAL123便墜落事故”

2023-12-11 18:00:18 | 本の紹介
1985年8月12日
18:12  羽田空港離陸
18:24:39 (機長)なんか爆発したぞ
18:25:21 羽田空港へ帰る要求をする
18:45:46 操縦不能
18:56:28 御巣鷹の尾根に墜落
18:57 北緯36度02分東経138度41分 レーダー消失
19:21 空自百里F-4EJ2機現場の炎確認
19:54 空自百里救援機V107X1で①閣員に発信
20:33 落合、川上(生存者)証言 周りから生存者多数の声
20:42 空自百里救援機V107X1現場上空到着 墜落現場の照査内情報を入手し現場特定
23:59 僚友会が機動隊員32名を案内するが、地元に詳しい僚友会側は、墜落現場をスゲノ沢と特定して、機動隊へ進言するが聞き入れず分隊
    猟友会側の意見を無視して上からの命令の馬車へ誘導させられる。そこは墜落場所ではないと再度主張。その結果、2班に分かれて移動した。しかし機動隊の足が異常に遅く、現地へ到着せず、自衛隊ヘリによる道案内も違う場所を空から指示。そらが明るくなっても機動隊は別の場所を主張。消防団、猟友会独自にスゲノ沢へ移動。夜明けとなると急に機動隊はレンジャー部隊編成のためと言い、本部へ引き返した。

・やっと救護用ヘリが到着し、13時5分にようやく生存者のヘリへの収容が始まり、子どもから先にヘリコプターで機体に釣り上げられた。落合さんは最後に担架ごとクルクル回転しながら13時28分に収容された。生存者四名を収容した自衛隊ヘリのパイロットは15分で到着するはずの上野村の本部の場所がわからないという。・・・結局、「生存者発見から猛暑の炎天下で三時間以上もかかってしまた」と述べていたのは、四名を救出した前橋赤十字病院外科部長の餐場庄一意志である。

・圧力隔壁修理ミスが事故原因だと公式発表されているが、現場でこの事故にかかわった人たちの中には、腑に落ちない出来事が多数あり、それが今なお心の奥底に大きな疑問となって渦巻いていることにも気付かされた。

・当時の上野村の村長・黒澤丈夫氏には、取材時にあの日の記憶を語っていただいたが、12日の晩にすぐ墜落現場は自分たちの村だとわかり、村民にも村内放送をして情報提供を呼び掛けていたという。上野村に落ちたと政府関係者や県に連絡してもまったくテレビに反映されず、長野県の御座山やら群馬県の三国山、ぶどう峠などの偽の情報が流れていたことに起こっておられた。

・実は、子どもたちと同じように、公式発表とはことなるまだ明るいうちに飛んでいる墜落前の日航機を追尾する航空自衛隊の、「ファントム(F-4EJ)二機を一般人のみならず、非番の自衛隊員も目撃していた。この存在にも言及しなければならない。超低空飛行していた日航機を追尾したそのファントム機を見なかったことにはできない。

・1985年8月17日付の『読売新聞』記事では「この隔壁は、その後の遺体収容作業の折、遺体確認と運びだしの邪魔になるとして切断され、再度調査委員が訪れた時には、亀裂放射状の骨組みに沿って細かく切り刻まれたうえ、積み重ねられたいた。」と書かれている。「角への破壊が飛行中に起きたのか、墜落時の衝撃で亀裂が入ったのか不明」としている・・・
このように不審な点が多すぎるこの事故が、実は「事件」だったのではないかと疑念を抱いている方は非常に多い。

・「私にできることは、彼女たちを忘れずに後世に伝え続けること、そして自分自身の生き様を振り返ることではないだろうか」

・(吉備さんは)日航本社の主張室に通されて、高木社長と実際に会って話をすると、山中の墜落現場にも行っていない、黒焦げの遺体も見ていない、彼はまった現場を見ていない様子だった。
 そこで「あのような状態で、遺体を荼毘に付しては520名が浮かばれない。私と一緒に中曽根首相のところに行って直訴しましょう。あなたの命にかけても首相官邸に行ってください。そう言ったんです。そしたら、急に高木さんはぶるぶると震えだして、『そうしたら私は殺される』そない言うて。殺されるってね。何て思ったら、隣に座っていた女性的な世話役も震え上がっている。なんで?と思った。一緒になってブルブルしている。本当に怯えていた。殺されるって、命かけての意味がわからんのか、おかしい、これはもうどうしようもない状態だった」と語る。

・首相官邸に行くって言ってるのに、知らない間に着いたのが運輸省だった。・・・そこである程度権限を持った人が出てきたと思う。
 その男の人に『あんあな遺体の扱い方ではいけない。遺族は納得しませんよ。身元を確認していない人も多いのに、すぐ荼毘に付すとは、裁判でも何でしますよ』って言ったら、その人は『撲は東大の法科を出ている。法学部出身者です』と、やれるものならやってみろ、といった顔つきで言い返してきた。そこで『ほんなら話は早い、わかっているならなおさら』と、私も言った。逆にぎょっとしたような呆れた顔してはったね。『何かもんだいあるの? 法的に問題ありませ如、まったく問題ない』ってすぐに答えた」・・・
 群馬に戻ると、急に命令があったのか、警察は突如全部の遺体を写真に撮っていたそうである。荼毘に付す日は延期されることになり、12月まで冷凍保存をすることになった。

・文集『小さな目は見た』(墜落後1か月後に)等 小学五年生のH・H君
『8月12日の夕方、6時45分ごろ南の空のほうからジェット機二機ともう一機大きな飛行機が飛んで来たから、あわてて外へ出て見た。そうしたら神社のある山の上を何回もまわっているからおじさんと「どうしたんだんべ」と言って見ていた。おじさんは「きっとあの飛行機がおりられなくなったからガソリンを減らしているんだんべ」と言った。ぼくは「そうかな。」と思った。それからまた見ていたらジェット機二機は埼玉県(茨城県首里基地)の方へいってしまいました。』
 6時45分という時間が具体的である。

・目撃城野重要な点を整理してみると次のようになる。
①墜落前に大きな飛行機と小さいジェット機二機が追いかけっこ状態にあった。
②真っ赤な飛行機が飛んでいた。
③墜落前後、稲妻のような閃光と大きな音を見聞した。
④墜落場所は上野村と特定できて報告したにもかかわらず、テレビやラジオまでは場所不明または他の地名を放送し続けていた。
⑤墜落後、多数のヘリコプター、自衛隊の飛行機、自衛隊や機動隊の車を目撃した。
⑥ヘリコプターは墜落場所をサーチライトのような強い明りで照らしながら、多数行き来していた。
⑦煙と炎の上がった山頂付近をぐるぐると回りながら何かをしている何機ものヘリコプターがぶんぶんと飛んでいた。

・米軍機は、19時10分の段階で墜落場所を目視して報告しており、内容はアンストッチ証言と一致する。さらに救助ヘリも一機飛ばし、次もスタンバイ状態にあったことがわかる。

・山口悠介検事正による異例の説明会
 「操作の結果、わかったことは修理ミスかどうか相当疑わしいということだ。事故原因にはいろいろな説がある。(略)圧力隔壁破壊がいっぺんに起きたかとうかも疑わしい」

・元自衛隊関係者、軍事評論家、大蛾の研究者などに質問をぶつけてみた。
 質問1 ガソリンとタールの匂いが充満し長時間萌える物質は何か。その結果、人体の体が隅のようになる状態(完全炭化)のものは何か。
 答え1 ガソリンとタールを混ぜて作ったゲル状燃料である。
 質問3 これはどこで手に入るのか。
 答え3 一般にはない。軍用の武器である。・・・

・その隠蔽工作にはある程度の時間がどうしても必要だった。だからこそ、上野村村長が中央政府や県に墜落場所を連絡しても報道に反映されず、村民がNHKに電話をかけて場所を教えても「有難うございます」と答えながら墜落場所は長野県と報道していた。つまり報道関係者のトップも何らかの支持を受けていた、または知らないままに自衛隊側からくる情報を鵜呑みにしていたことになる。日本航空側もまさか政府や自衛隊がそのような情報操作に
出ているとは思いもよらなかったのだろう。

感想
 よく素人で、これだけ調べられたのは凄いです。
犠牲者のためにも、遺族のためにも、亡くなった仲間のためにも真相を明らかにして、同じミスによる犠牲を失くすことが、犠牲者に報いることだとの強い思いでした。

 隔壁破損は、原因の可能性の一つであるが、それは非常に怪しいいということです。

 自衛隊のF-4JEが墜落する前に飛んでいたとの目撃情報が多く寄せられいるのに、自衛隊否定していることろに疑惑が存在しています。
 ウイキペディアでも事故後にF-4EJが飛んだことになっています。

場所の特定は早くに米軍並びに自衛隊、そして村民にわかったのに、ずーっと不明のままにして翌朝に救助が始まっています。
墜落時にはまだ多くの人が生きていたとのことです。
早期に救助活動ができていれば、もっと多くの人が助けられたことだけははっきりと言えることのように思いました。
ウイキペディアでは、救助を試みたが難しく断念したとありました。
その時点で墜落場所を把握していましたが、政府は伏せていました。
場所も、米軍も、自衛隊も救助の準備態勢ができていました。
米軍は自衛隊が救助を行うとのことで引き返しています。
自衛隊は途中で、墜落場所を違う場所にするようなおかしな行動をとっています。
マスコミも、目撃情報を取り上げずに政府の発表言いなりだったようです。

日本航空123便墜落事故(ウイキペディア)

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