旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

タブリーツで宿探し

2007年10月29日 | 旅の風景
イランの北東部にタブリーツという町があります。その日、本当はテヘランに泊まる予定だったのですが、大都市で上手く宿泊先を見つける事ができず、それから、イラン・イラク戦争中であった事もあって、都市へのミサイル攻撃の犠牲になるのも嫌なので、テヘランでの宿泊をあきらめて、夕刻のタブリーツへ到着しました。

当時のイランはほとんど英語は通じず、パキスタンの国境付近では時々通じた片言のウルドゥー語も、西部のイランでは通じず、更に戦時下であるため外国人を泊める事を嫌がるホテルも多いため、タブリーツでもなかなか宿を見付ける事ができませんでした。

日も暮れ始めて、このままでは埒が明かないと思った私は、ちょっとした広場にバイクを止めて、バックパックをチェーンロックでバイクに繋ぎ、歩いてホテルを探す事にしたのでした。

歩き始めてすぐに、イラン人の青年が"どうした?"と話しかけてきます。"ホテルを探している"と答えると、"それじゃあ、一緒に探そう。ついて来て"と。

青年について歩き始めると、すぐにとあるホテルに案内してくれました。そこで青年がホテルに交渉するのですが、"満室"と。

仕方なくそのホテルを出て、別のホテルへ向かいます。その途中、他の青年が最初のイラン人の青年に話しかけます。ペルシャ語だからわからないのですが、どうやらこの青年も探してくれる様子です。そんな事を繰り返しながら、いくつものホテルを巡るうちに、私のためにホテルを探してくれる人々の数がいつのまにか、ちょっとした人数になり、それぞれが手分けして探し始めます。

私は最初に声をかけてくれた青年と共にホテルを回るのですが、断わられ続けます。

そのうち、1人の少年が走ってきて、"あったよ!"と。

少年に連れられて辿り着いたホテルは私を見ると"満室だ!"と。やはり外国人は泊めたくない様子。その頃には少し疲れて不機嫌になっていた私は"イラニー(イラン人)には部屋があるけど、ジャポン(日本人)には無いんだろ!!"とホテルに不機嫌をぶつけますが、フロントの奥に見える、各部屋のキーを見ると本当に全てのキーが無くなっていたのでした。本当に満室になってしまった様子。最初の青年が"ごめん、でも、本当に満室みたいだよ。他を探そう"。

諦めて外へ出てみると、ホテルの前のそれほど広くない道を埋め尽す群集が待ちうけていました。

暴動でも始まったのかと少し怯えていると、どうやら、この人々、皆で私のホテルを探してくれていたらしく、"あっちだ"、"こっちだ"とそれぞれの情報を叫んでいます。

なんとも、親切な人々です。

そんな人々の協力もあって、ようやく1泊の宿を確保。部屋まで一緒に来た青年に"ありがとう"と声をかけると、"それじゃあ"。と去っていきました。身の回りの荷物を置いて皆にもお礼を言おうと急いで外に出てみると、幻のように群集は消えていました。

バイクをホテルに運んで、荷物を片付け、何となくお礼を言いそびれた事を悔やみながら夕食に出かけます。

一人、ゆっくり夕食をとっていると、男性2人が私のテーブルにやってきました。彼らは私に英語で挨拶して、私の向いのテーブルに座って良いかと問いかけます。私は"どうぞ"と。

向かいに座った2人のうちの1人が流暢な英語で話し始めました。

彼はパーレビ国王の時代に学校の先生だったのだけれど、ホメイニ師のイスラム革命で失業中。ホメイニ師の政権を批判しはじめるのを聞いていると、"宗教警察"とか"秘密警察"の噂を聞いていた私は気が気ではありません。

ひとしきり、ホメイニ政権を批判した次に彼が口にした言葉。 "今日、とても悲しい事件が起こったのを知っているか。アメリカの艦船がイランの旅客機を撃墜したのだ。ホメイニは良くない。でも、アメリカはもっと良くない。日本人のあなたにはこの気持がわかるだろう。ヒロシマ、ナガサキを経験しているのだから。"

私は"今の日本人はヒロシマ、ナガサキなんて殆んど忘れてしまっているようだよ。第一、自分をアメリカ人だと思いたい日本人はいっぱいいるよ。"という言葉を飲み込んで、複雑な気持で、ただ頷くだけでした。

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