旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

タイ、ラオス 路線バスの旅 第4日

2014年10月10日 | 旅の風景
9月24日

 今日の行動計画についてはかなり流動的。昨日の到着時刻が思いのほか遅くなったためルアンパバンへもう1泊してこの町を散策したい気持ちもあるのですが帰国へ向けての残された日と移動を考えた上で慎重に決めなければなりません。昨日の時点で何の情報もつかんでいないので朝早く起きて早く決断する必要があります。もともと私は細かい情報を収集して綿密な計画を立て旅する事はあまりありません。昔はそういう方法もとったことがありますが、結局情報が変化していて計画が破綻する事も多いので、計画段階で不安要素のある場合は第2案、第3案を考えておいて、後は柔軟に、成り行きと勘で決めていきます。ラオスに入国した日も元の計画とは違う方法となりましたが、何はともあれ旅は続いています。移動手段が自分の手元にあるバイクの旅のような楽さは路線バスの旅にはありません。その点がバイクの旅より面白いところです。

 チェンマイのゲストハウスなどで、時々"Bus to Luangprabang"という張り紙を目にする事があります。出発前に少し調べたところ、チェンマイから国境の橋を越えてルアンパバンへ行くバスがあるようです。つまり逆ルートも使えるはずで、所要時間が18時間位との話なのでルアンパバンへもう1泊しても余裕を持ってチェンマイへ戻る事ができます。日本を出る前の漠然とした計画の第1案はこの方法だったのですが、昨日のバス移動を体験したあと、時間以外の点で魅力が失せました。バスばかり乗るのも何か違う気がしますし、道路があまり良くないので結構疲れます。ラオスに来てから少し魅力の失せた第一案です。

 第2案は比較的有名な”スローボート”の旅。タイ国境のフェサイまで1泊2日の旅となります。フエサイに着くのが明日の夕刻。明後日フェサイ-チェンコン-チェンマイと移動して余裕を持ってチェンマイからの帰国日を迎える事ができると思いますが、ルアンパバンに今日1泊すると予備日が全くないタイトスケジュールになるので少し心配です。チェンマイでは少し用事を済ませたいと思っているのもあってスローボートに乗るとしたら今日の便に乗りたいところ。

 これは全てに失敗したときに使う方法。チェンマイまで1日1便フライトが出ていますし、バスやボートとは違ってあっという間にタイへ移動できます。ルアンパバンに2泊しても余裕を持ってチェンマイへ戻れます。ただし、この旅の趣旨や目的とは大幅にずれますし、私の予算からも外れるのであくまで失敗のリカバリー用プランです。

 昨日の到着が暗くなってからだったので、できればこの町にもう1泊したいというのも大きな悩み。そうすると自動的にバスか飛行機が適切な移動手段となります。移動に備えて暗いうちから起きだした私はしばらくの間、この点で大いに悩みました。結局、第1案が成立するのか否かによって成り行きで決める事にしました。

 どのプランで行くか、成り行きで決めるためにも情報を集めなければなりません。タイムリミットは本日のスローボートに間に合う時間。ただしスローボートの出発時刻に関する情報もありません。1泊2日の行程なのですから、朝早い事は間違いないでしょう。仮に7時と考えておくことにします。

 旅の情報を収集するのにはいくつもの方法がありますが、インターネットを駆使して情報を集めるような方法は旅の楽しみを放棄する事につながる場合もあります。情報を得るために色々な人と話したり、いろいろな所を見て回る事そのものが私にとっては旅のとても重要な楽しみなのです。あまり人付き合いが得意でない(?)私にとっては、こういう強制的に人と話さなければならない状況は貴重な時でもあるのです。それに、失敗もそれはそれで旅の思い出のうちです。

 外が明るくなったのを見計らって、少しバスターミナル周囲を歩き回ってみます。早い店では炭火を起こしてソーセージなどを網で焼く用意をしています。運が良ければスローボートの船着き場の見当がつくかもしれないので結構広範囲を歩いてみましたが、そんな近くにあるわけではないようでした。

 鉄道の駅や長距離バスターミナルなど、旅行者が多く通りかかるところでは運が良ければツーリストインフォメーションがあります。移動手段の発着時刻や料金やチケットの買い方のような基本的な情報であれば、ツーリストインフォメーションを見つけたらもう手に入ったようなものです。ただ、ルアンパバンのバスターミナルには"Reception"という窓口がありましたが、なぜか閉まったままでした。

 ゲストハウスなどで出会った他の旅人からも情報を得る事はできます。情報欲しさにゲストハウスに泊まるとも言えますし、ドミトリールーム(相部屋)に泊まればいろいろな人から話を聞くのも容易で、昔はこの方法が私の情報収集の中心でした。おかげで英会話がとても上達しました。残念ながら昨夜停まったゲストハウスではラオス人の宿泊者を一人見かけたのみ。話しかけてみましたが英語は通じませんでした。

 外国人旅行者を受け入れているゲストハウスでは年中いろいろな質問をされるのでバスや列車に関する情報はもっている事が多いです。タイではゲストハウスはツーリストインフォメーションのような機能を果たしていて、場合によってはチケットの手配もしてくれますし、トゥクトゥクを読んでくれたり、現地発着のツアーの手配もしてくれます。昨夜泊まったゲストハウスでは....フロントにいたのは小学校高学年くらいの少年で、英語は全く解さないようでした。朝には違う人がいるかと顔を出してみたのですが、なんと朝早くからやはり昨夜と同じ少年がフロントに座っておりました。

 バスターミナルにはバスの行先ごとの停車場の表記があったり、料金表、時刻表などが張り出されている事も多くあります。早起きしたついでにターミナルを探してみます。1日1便しかないバスのために特定の発着場があるはずもなく、料金表、時刻表いずれも見当たりませんでした。バスターミナルはまだ活動開始前なので、ここから始発のバスがまだ周囲に駐車しておいてあります。そこでバスを1台1台見て回って車体やフロントガラスにある掲示を見て回ってみましたが、チェンマイ行のバスはありませんでした。昨夜、バスターミナルのゲストハウスに泊まった最大の理由はこの情報をあてにしての事だったのですが狙いは外れました。

 バスターミナルで朝早くから活動開始体制にあったのはトゥクトゥクのドライバー。彼らはタイでも重要な情報源です。ゲストハウスなどを見つけられない場合、トゥクトゥクに頼むこともあります。ビエンチャンではバスターミナルが判らず四苦八苦しましたが...。

 まず、判りやすそうなフエサイ行きのボートの事を尋ねてみて、英語でのコミュニケーションがいけそうならバスの事も聞いてみようと考えて話しかけてみました。フエサイ行きのバスの事は伝わりましたが、それでもトゥクトゥクドライバーが数人頭を寄せ合っての事。どうやらチェンマイへバスで抜ける事は難しそうです。

 今日1日かけて調べればバスでの移動は多分上手く見つけられると思うのですが、そこで失敗するとスローボートの旅へ切り替えるのがタイトになります。ルアンパバンで時間が取れないのは残念ですし、ここまで毎日、移動を重ねるのは私の旅にとってとても異例なのですが、考えてみればルアンパバンの事自体をあまりよく知らないので、1日見て回るところも思いつかないので、バイクでツーリングするように移動を楽しむ旅と決め込む事にしました。そう考えると結局、一昨日の夜行列車、昨日のバス、そして今日のスローボートで合っているようにも思えてきました。

 トゥクトゥクのドライバーの反応から感じたのは、ボートに乗るのにそれほど時間が無い感じでもありませんが、”まだまだ時間があるよ”という感じでもありません。部屋に戻って荷造り済みのデイパックを担いでフロントで鍵を返してゲストハウスから出たところ、先ほどのトゥクトゥクが出入り口まで迎えに来てくれていました。

 なんだか落ち着かないので、とりあえず船着き場へ移動して、それから朝食という作戦で動く事にします。私のイメージの中では船着き場の周囲に船の出発町の人たち向けの屋台が立ち並んでいる風景が広がっていたのですが.....。

 やはり雨期。船着き場へ向かうトゥクトゥクも雨に降られて申し訳程度の屋根の隙間から激しく吹き込んできます。ドライバーが路肩に止めて、屋根にまとめてあったビニールのカーテンを広げ、雨を防ぎます。このトゥクトゥクは軽トラックを改造した車両。私は後方を過ぎ去っていくルアンパバンの町の姿を心にとめながら船着き場へ向かいます。

 船着き場に着いてみると、小屋が2軒。片方がチケット売り場です。イメージしていたような屋台は存在していません。昨日に続き朝食は抜きになりそうです。暫くすると他の旅行者も集まり始め、切符売り場の机に人がついてチケットを売り始めました。”Slow Boat?"と聞くだけであとは電卓で料金を示します。切符に自分の名前を書くよう言われて書きながら見ると行先はPB。今日の目的地までのチケットのようです。

 チケットを手にして船内に乗り込みます。大型の屋形船のような船で、中には観光バスなどに使われているものと思われる座席が並べられています。この座席、鉄の枠に乗っているだけで船に固定はされていません。体の大きな欧米人旅行者は座席を後方へずらして足のスペースを広くしたりしていますし、4~5人のグループは座席の向きを変えてボックス席を作っています。

 船尾方向には売店とトイレ。その更に後方に思いの外大型のエンジンが搭載されています。朝食抜きだった私は売店を覗いてみたのですがポテトチップの小袋くらいしか販売していないようなので、水だけ飲んで過ごすことにしました。

 読書をしたりしているうちに船は岸を離れました。多分8時半頃の出発だったのだと思います。雨期でたっぷり水量のある黄土色に濁ったメコン河は周囲の樹木に届くほどの水位です。このあたりは川幅はそれほど広くなく水位が高くても川の中に大きな岩が突出している事も時々あって右へ左へと舵を切ってよけながら進んでいきます。

 時折、河沿いの村を通ります。停泊して人が乗り降りする事もあります。それらの村には道路が通じている様子はなく、おそらく河が道路替わりとなっているのでしょう。
 
 とある大きな停泊場所では我々が乗った船から降りた人がより小型の船に乗り換えて去っていく姿を目にしました。まるで長距離バスで来た人がバスターミナルでトゥクトゥクに乗り換えて家路に着く感じです。

 1泊2日にわたって黄土色の河面を行く船旅は退屈してしまうかと少し心配でしたが、バスのようにひどく揺られる事も無く、広いスペースで過ごせる船旅は快適な物でした。風景が大きく変わる事はありませんが、時々居眠りしたり、読書をしたり、読書に疲れて外の風景を眺めたりして過ごす時間はとても心地よく、昨日までの移動の疲れを癒すに充分なものでした。結局、チェンマイ行のバスの事が調べられなくてよかったという事です。

 中継地点のパークベンには夕方到着。乗客が下船を始めた矢先激しいスコールが降ってきました。皆苦笑いして船内で雨宿り。欧米人のバックパッカーは用意周到。レインポンチョを出して雨の中へ出て行きました。

 10分ほどでスコールは去ったので私も下船。船着き場からぶらぶらとゲストハウス探しにかかります。途中で手に手に何かの書類を持った少年達とすれ違いました。しばらく通り過ぎてから、彼らは多分ゲストハウスの客引きだと気づいて引き返します。船着き場で客引きにこちらから声をかける私。現地の人っぽくもなく、外国人旅行者っぽくも無い私の装備や服装はどうしても客引きに無視されがちなのでこういう事が多くあります。
 
 価格も200バーツで船着き場から近いので、部屋を見に行ってそのままそこに泊まる事にしました。ラオスに入って初めてWi-Fiが使える宿でした。明日のボートは08時頃出発との情報も獲得。明日は昨日や今日のような不確定要素はほとんどありません。

 また今日も朝から喰いっぱぐれています。夕食はどんと食べようと店を覗きながらどこに入るか決めかねているととある店で入口にいた少年に声をかけられました。河が見渡せるテラスのようですが、もう暗くなって外は見えません。蝋燭の照明のテーブルに私一人。店内には私一人。ビールを飲みながらなぜか今回やたら食べたくなるカオパットを平らげます。ここの店のメニューは少し変わっていて、ゲストブックを兼ねているようです。メニューに書かれたいろいろな旅行者のコメントや落書きを眺めているうち、"バッファロー料理を是非”という言葉を発見。きっと固いだろうと思いながらも追加でバッファローステーキを注文して、ビールをもう1本。案の定固いステーキを地道に細かくナイフで刻みながら口に運び、酔いも回ったのでそろそろ帰ろうとお勘定を済ませると、客引きをしていた少年が”まだ帰らないで。音楽でも聞いていって”と。

 成り行きで2曲ほどボーっと曲を聴いた後、席を立つともう一度少年が寄ってきて、”まだ帰らないで。””こっちへ来て一緒に座りませんか”と。少し眠くなっているのですが、成り行き上、この少年、ノーイとその友人の女性ブンミーと一緒にテーブルに着いて、彼らが食べているヒマワリの種(ラオス語でケンタウェン)をつまみながら他愛のない雑談。ノーイは少年だと思ったんですが、実は25歳、失業中で親のレストランをお手伝い。ブンミーはメイクの仕事をしていて来週はタイのプーケットで3日間仕事があるとの事。

 結局1時間ほど雑談をして酔いが覚めた頃にぶらぶらと宿に帰って横になると明日の心配が無いおかげか、あっという間に眠ってしまったのでした。


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