旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

メコン河で魚釣り=チェンコンの想い出

2015年08月29日 | 旅の風景
 1989年の2月、私はタイとラオスの国境の町チェンコンで、まさにその国境を形成しているメコン河に膝まで入って釣り糸を垂れていました。私にとっては大学の卒業旅行。45日間の旅の予定はすでに終わりに差し掛かっていました。この時は、この旅が結局卒業旅行にはならい(卒業できていなかった!)事などつゆ知らず、ただ前半で使いすぎたお金を最後までどうやってもたせるのかが唯一の心配事といったところ。

 当時、タイとラオスの国境は開かれておらずチェンコンを訪れる外国人旅行者はほぼ皆無。もちろん私の旅の予定でもここへ来る予定は全くなかったわけですがチェンライで泊まっていたゲストハウスに出入りしていたトレッキングガイドがチェンコンにゲストハウスを持っている(彼はラオスとの国境が開かれたときに向けて準備していた)との事で誘われてここへ来たのでした。

 友人として迎えられた私は宿泊代や食事代を心配する必要からとりあえず一旦解放され、カレン族出身のゲストハウスのオーナーとその父親からカレン語を少し教わったり、町をぶらぶらしたり、そんなことをするうちに近所の人達とも仲良くなって一緒に魚を捕りに行ったり、何だかよくわからないアルコール飲料を飲まされて昼間から酔っぱらっていたりするような呑気な日々を過ごしていました。

 そんなある日、宿で釣竿を借りてメコン河で釣りをしていたわけです。ゲストハウスは河の土手にあるので、100歩も歩かずメコン河。土手を少しほじくるとミミズが沢山いるので、それを餌にしてのベイトフィッシングです。

 ここ、チェンコンは”メコンオオナマズ”という巨大なナマズが初めて捕獲された事で有名な場所でもあります。一度チェンライのバスターミナルに運ばれてきたメコンオオナマズを見たことがありますがローカルバスの車内に入れられず、ルーフキャリアに乗せられてきたものです。最初はナマズのオブジェかと思ったほどの巨大さです。

 2mにもなるというメコンオオナマズだって釣れるかもしれない場所ですが、そんな正式な釣りというわけではなくて何か釣れたら夕食にしてしまおうというような意図の釣りです。

 魚なんていっぱい居そうなのに何時間頑張っても何もつれません。その頃のメコン河は今とは少し流れが違っていて、今よりずっと遠浅でした。しかも2月は乾季で渇水気味でもあるわけです。

 何も釣れないのでどんどん河の中へ立ち込んでいって、ふと気がつくと結構ラオス側に近づいてきています。目の前にはジャングル。その向うにはラオス側の町、フエサイの建物の屋根だけが見えています。河の流れはそれほど速くなく、ちょうど目の前に中洲があるのでそこまでなら泳げそうです。

 当時、ラオスは旅行者を受け入れていませんでした。バックパッカーはいろいろ裏技をつかって運が良ければ東北タイのノーンカーイからビエンチャンへ入っていましたがそこまでが限界といった時代。私の目の前には少し頑張って泳げそうな所に旅人に扉を閉ざした国が扉を閉ざしている風でもなく存在しているのです。そしてタイの人、ラオスの人はお互いに許可書だけで往来しているのです。

 メコン河に釣り糸を垂れながら考えます。”夜の間に泳いで渡って、明け方帰ってこれるんじゃないか?”。

 結局釣果ゼロ。夕食を食べながらゲストハウスのオーナー達と雑談している際に、"ラオスまで泳いで行って来れるかな?"と聞いてみたところ、"中洲の向こうのジャングルに軍のキャンプがあるから撃たれるよ。やめておけ”との事でした。残念。

 あれから20年以上の月日が経ち、今チェンコンはラオスへ渡る旅行者の拠点となっています。スーパーカブで旅するタイ北部では国境を眺めながらビールを飲むのが恒例行事。そして今年のタイ&ラオス路線バスの旅では私達もここから国境を越える事になります。

 あの時私が釣り糸を垂れたチェンコンの水際はもう護岸工事の下へ塗り込められてしまいました。そして泊まったゲストハウスは何度探しても見つけることができません。それでもチェンコンを訪れるたびにチェンコンで一緒に魚を捕りに行ったオジサン達やいろいろな話をしたゲストハウスの人達の事。そして泳いでラオスへ渡ろうと考えた少し無鉄砲な私自身の事といった思い出をかみしめる特別なところです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿