後期高齢者医療制度を「廃止」して、老人保健制度に戻せばよい、との主張がある。
これは、高齢者1人あたりの医療費の増大を招いたのはなぜだったのかを振り返り、総括し、きちんと説明していないからである。
老人保健制度は、健保組合などからの拠出金と税金を使って、市町村が医療費などを給付する制度である。市町村は、いくら給付してもどこかから拠出金が届くので「健全な運営がなされているか」を考えなくてよい。高齢者は、いくら医療費を使っても負担が増えないので、何かあれば(なくても)病院にいく。そのため、病院が「サロン」化し、医療が必要な人たちが長時間待たされることになる。また、経営が苦しい病院も、高齢者の負担が増えないので心置きなく「薬漬け・検査漬け」にできる(とても良いお客様である)。このような制度構造では、拠出する健保組合などの理解を得られない。「この構造が変わるまで拠出しない」と宣言した健保組合も「拠出の負担が重いから解散する」と解散した健保組合もある。
このように多重の「モラルハザード」を生じやすい制度構造なので、保険料などの負担と医療費の給付が対応するような、わかりやすい制度構造に変えようというのが、負担と受益が一対一で対応する後期高齢者医療制度である。
高齢者は、保険料は払えないし払いたくない(かわいい孫にプレゼントを買うためにも)、医療費の自己負担を無くして無尽蔵に使わせろ(そうしないのは、「年寄りいじめ」だ)と言いたいのだろうが、その実現には財源が必要になるし、歯止めをどのようにかけるのかといったことまで踏み込んで制度設計しないと、それこそ無責任な主張となる。現役世代からの拠出が滞れば、制度そのものが崩壊してしまうだろう。
こうなったのはなぜかを総括してから、制度設計しなければならない。もちろん、モラルハザードのみが原因ではない。老人保健制度で高齢者の自己負担を無くした頃と今日では、高齢者の数は桁が違うし、人口ピラミッドの形も違う。医療が進歩して寿命が延びたなど、多くの原因がある。
問題を過度に単純化したり、医療費無償化の必要性のみを訴えて「元に戻せ」と主張すべきではないだろう。
これは、高齢者1人あたりの医療費の増大を招いたのはなぜだったのかを振り返り、総括し、きちんと説明していないからである。
老人保健制度は、健保組合などからの拠出金と税金を使って、市町村が医療費などを給付する制度である。市町村は、いくら給付してもどこかから拠出金が届くので「健全な運営がなされているか」を考えなくてよい。高齢者は、いくら医療費を使っても負担が増えないので、何かあれば(なくても)病院にいく。そのため、病院が「サロン」化し、医療が必要な人たちが長時間待たされることになる。また、経営が苦しい病院も、高齢者の負担が増えないので心置きなく「薬漬け・検査漬け」にできる(とても良いお客様である)。このような制度構造では、拠出する健保組合などの理解を得られない。「この構造が変わるまで拠出しない」と宣言した健保組合も「拠出の負担が重いから解散する」と解散した健保組合もある。
このように多重の「モラルハザード」を生じやすい制度構造なので、保険料などの負担と医療費の給付が対応するような、わかりやすい制度構造に変えようというのが、負担と受益が一対一で対応する後期高齢者医療制度である。
高齢者は、保険料は払えないし払いたくない(かわいい孫にプレゼントを買うためにも)、医療費の自己負担を無くして無尽蔵に使わせろ(そうしないのは、「年寄りいじめ」だ)と言いたいのだろうが、その実現には財源が必要になるし、歯止めをどのようにかけるのかといったことまで踏み込んで制度設計しないと、それこそ無責任な主張となる。現役世代からの拠出が滞れば、制度そのものが崩壊してしまうだろう。
こうなったのはなぜかを総括してから、制度設計しなければならない。もちろん、モラルハザードのみが原因ではない。老人保健制度で高齢者の自己負担を無くした頃と今日では、高齢者の数は桁が違うし、人口ピラミッドの形も違う。医療が進歩して寿命が延びたなど、多くの原因がある。
問題を過度に単純化したり、医療費無償化の必要性のみを訴えて「元に戻せ」と主張すべきではないだろう。