ドバイ駐在員ノート

一人の中年会社員が、アラブ首長国連邦ドバイで駐在事務所を立ち上げて行く過程で体験し、考えたことの記録。(写真はイメージ)

シーア派とスンニ派

2007年02月05日 21時41分43秒 | 文化・宗教
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昨年末にサダム・フセインが処刑された時に心配していたことがイラクで起こっているようだ。朝日新聞によれば、イラクではシーア派住民とスンニ派住民の住む地域が分離し始めているということだ。現在イラクで起こっていることは、パレスチナ紛争のようにイスラム教徒と非イスラム教徒(ユダヤ教やキリスト教など)の争いではなくて、同じイスラム教徒の中のスンニ派とシーア派という宗派の対立が原因のようだ。

なぜ、こういうことが起こるのか知りたくて、先日来「シーア派 台頭するイスラーム少数派」(桜井啓子著 中公新書 780円)を、通勤電車の中で読んでいる。今までイスラム教について不勉強だった私には、専門用語が多くて(親切にも巻末に索引までついているが)、なかなか前に進まない。以下受け売りだが、理解できたと思うところだけ、メモしてみようと思う。

まず、中東におけるシーア派人口の割合については、1980年と随分古いデータが載っている。これによれば、もっともシーア派が多いのはイランの88.3%、ついでイラクの57.1%、バハレーンの54.4%、次はぐんと減ってレバノンの29.8%だ。サウジアラビアは2.3%となっており、巻頭のシーア派居住地域の地図をみると、ペルシャ湾岸沿いに集中している。これを信じれば、UAEのシーア派比率はサウジよりもっと少ないだろう。

そもそも、シーア派とはどのような宗派なのか、私を含め日本人はよく知りもしないで使っていることが多い。預言者ムハンマドが西暦632年に亡くなった時の後継者争いをきっかけに、スンニ派とシーア派の二つの宗派が生まれたということだ。この時、ムハンマドの従兄弟アリーこそ、ムハンマドの後継者であるとした人々を「アリーの党派」と呼び、アリーが略され「党派」を意味するアラビア語「シーア」が残ってシーア派と呼ばれるようになった。アリーはムハンマドの娘ファーティマと結婚して、二人の間にハサンとフサインという兄弟が生まれる。シーア派の人々はムハンマドの後継者たるイスラム社会の指導者は、預言者の血筋を引くアリーとハサンやフサインを始めとするその子孫で特殊な資質をもった者(「イマーム」とよぶ)でなければならないと信じる。ただし、シーア派もイマームと預言者を同一視していたわけではないようだ。

これに対して、大多数の人々は、預言者の血筋を引くことをムハンマドの後継者の条件とは考えず、クルアーンを正しく解釈するための知識は、預言者の言行(アラビア語で「スンナ」)に見いだすことができるとし、スンナの収集に努めたことからスンニ派と呼ばれるようになったということだ。

第3代イマームのフセインは悲劇的な死を遂げたようで、その殉教日(アーシュラー)にはシーア派が有力な地域では追悼行事が毎年盛大に行われるという。一方で、サウジアラビアなどスンニ派が支配する国では、このような行事を禁じたりするので、この時期にシーア派とスンニ派が衝突することも多いらしい。

こうしてみると、シーア派もスンニ派もムハンマドを最後の預言者としているところまでは同じで、その後継者として血統を重視したかどうかが唯一の違いのように見える。ただ、歴史的には、イラン以外の国においてシーア派が政権を掌握することは例外的で、政権を有するスンニ派から度々迫害を受けてきたようだ。シーア派がイラクで政権をほぼ手中にした今、過去に受けた迫害に対して様々な形で仕返しをしているとしても不思議ではないし、これに対して今や少数派となったスンニ派が報復したというのが今回の事件の背景にあるのだろう。

現在イラクで起こっていることは、おそらくこういった文脈の中で読まないと理解できない。「あなたの敵を愛しなさい」と言ったキリストや、自分の庭にごみを捨てたユダヤ人を見舞ったムハンマドの教え以上の解決策があるとは思えないけれど。

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