ドバイ駐在員ノート

一人の中年会社員が、アラブ首長国連邦ドバイで駐在事務所を立ち上げて行く過程で体験し、考えたことの記録。(写真はイメージ)

それから(少し長めのあとがき)

2009年04月01日 22時18分20秒 | 未分類
米国東海岸のこの街に赴任してきてから、今日でちょうど1ケ月が過ぎた。

ドバイには、2月16日までいた。赴任してからちょうど2年ということになる。17日3時50分発関空行EK316便と羽田行JALの共同運航便を乗り継いで東京に戻った。最後くらいと思い、溜まったマイレージでビジネスクラスにアップグレードした。

当初ドバイから直接米国に行くつもりだった。そうしなかったのは、アパートの賃貸借契約が切れる2月16日になっても、米国のビザが下りそうになかったからだ。虎ノ門にある米国大使館に行っていわゆる面接を受けたのが2月24日。「あー、ドバイからの転勤ですね、手続に10日くらいかかります」と窓口で米国人らしき男性係官から流暢な日本語で言われたが、戻ってきたパスポートをみるとビザの日付は26日になっていた。審査に二日間しかかかっていない。こうして、ドバイから米国ビザを申請する日本人第一号になり損ねた。

ドバイ、日本、米国の間を行き来しながらも、ドバイにいる間は、金、土、そして時々日曜日のゴルフを楽しんだ。デザート・クラシックは最終日、アイルランド人マクロイが最年少で優勝する瞬間を、18番ホール横のスタンドで見た。ドバイ・マラソンは大学時代の記録の2倍の時間かけながらフルをなんとか完走。また、総領事公邸で開かれた元オリンピック代表マラソン選手瀬古利彦氏の講演を聴きに行った。(本当は「アル・マハ」に泊まりたかったが高いのでやめ)砂漠リゾート「バブ・アル・シャムス」に一泊した。しまった、家族が来た時にここに連れてくるんだったと後悔した。

東京でビザを待った10日間、またしばらくは会えなくなるであろう、会社や大学時代の友人達にコンタクトして会った。彼等が口を揃えて曰く、「いい時に帰ってきたね。ドバイはずいぶんひどいことになっているらしいじゃないか」と。日本のメディアは、わずか1年前と手の平を返すようにひどいドバイの取り上げ方をしているらしい。ただ、よくよく聞いてみると、金融危機後の様子として紹介される映像は、実は金融危機が起こるはるか以前に中止になった建築物だったり、それ以前から存在する労働者キャンプだったり、いいかげんなものがほとんどのようだ。当のメディア関係者以外、ドバイに住んでいた日本人は一概に憤慨していたものだ。

アブダビと違い石油の出ないドバイでは、金融危機により銀行が金を貸さなくなったとたん、資金を融資に頼ってきたプロジェクトがたちいかなくなるのは事実だ。不動産開発業者ナキールのてがけるパーム・プロジェクトの内、ほぼ完成したパーム・ジュメイラを除き、パーム・デイラ、パーム・ジュベル・アリとも基礎工事が終わっていながら、中断してしまったし、パーム・ジュメイラのトランプ・タワーの工事も延期になったようだ。日系企業に限らず、建設プロジェクトのために来ていた工事関係者がまとまった数帰国したという話も聞いた。

オイル・マネーが豊富なアブダビになきついて、なんとかデフォルトは免れたものの、借金のかたに、エミレーツ航空やナキールの所有権がとられたなどという噂が流れた。しょせん王族同士の関係だから、真偽のほどは不明だが、いずれにせよアブダビとドバイの首長国としての力の差が露になってしまった。そんなことも影響しているのだろう、ドバイからアブダビに人をシフトする日本企業も出てきている。

プロジェクトが中止になれば、そのために雇った出稼ぎ労働者をくびにするのはきわめて簡単な国のこと。その一部は、不法滞在者として残留するにせよ、見つかれば刑務所行きか強制退去だから、米国や日本のようにホームレスや物乞いを見ることはない。

ドバイ国際空港の駐車場には、乗り捨てられた車が2000~3000台あると云う噂も流れた。日本人では聞かないが、夜逃げする欧米人が置いていくというのだ。ドイツ人が多いとかで、そのせいでドイツ人はクレジットカードを発行してもらえなくなった、とも聞いた。台数は誇張されている気がするが、そういう例も実際あっただろう。

トラックの数が減った影響だろう、1月あたりは渋滞が多少緩和された気がした。不動産の売買価格はすでに下がりはじめ、60%の値上げを通告してきた我がアパートも、(任期切れだから当然だが)私が出て行くと告げるや、ではいくらならいいのか、と態度を軟化させてきた。右肩上がりだった家賃も下がりはじめる兆候が出ていた。総じて、定職さえあれば、住人にとってより住み易くなったといってよいと思う。日本でドバイでの生活について聞かれると、私はきまってこう答えたものだ。「1年前は当時報道されたほど良くはなかったし、今も報道されているほど悪くない」と。

このブログも更新を止めてからすでに3ケ月以上になる。削除すべきなのかもしれないが、更新されなくなったブログのアクセスにも興味があって、そのままにしている。現在は、1日平均90人程度の訪問がある。かつて毎日読んでくれた人達は更新されなくなってからアクセスしなくなっているから、今このブログを訪れるのはほとんどが検索サイトで偶然「発見」した人達だろう。(ちなみに、「ドバイ」+「駐在」のキーワードで検索した時、「おきらく駐在妻日記」を抜いてトップに表示されるようになったのはごく最近のことだ)。そんな人達のために言うと、データ(特に価格・料金)は日々旧くなるので、決して鵜呑みにされることのないよう。

今はもうドバイに住んだ2年間がなんだか夢のようだ。いつかまた訪れて、ドバイ・メトロに乗り、バージュ・ドバイの展望階から下界を見下ろしてみたい気もする。

その日まで、シュクラン(ありがとう)マァッサラーム(さようなら)ドバイ。

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