これを読めば大東亜戦後の東京裁判が無効で被告は全員無罪であり、またそれが世界の法学会での定説でもあるという事が、よくわかります。
当書の主役、ラダ・ビノード・パール氏はカルカッタ大学の総長であった当時、東京裁判の判事の一人として日本にやってきました。
また戦後の国連においても国際法委員会長を務めるほど、国際的に信頼を集めた方です。
みなさん東京裁判の判事11人はすべて、裁判官たる資格を持っていた人と思っていませんか。実態はかなり怪しいもので、判事の中には連合国側の軍人さえも含まれていました。またウエッブ裁判長は検察官兼任だったようです(有り得ない!!)。これらの事実を持ってしても、この裁判は勝者が敗者を裁いた茶番である、という事が言えるのではないでしょうか。
また、正義と勝敗は別物であるはずなのに、戦勝国の側の犯罪、例えば原爆投下の平和に対する罪などは全くもって検討もされませんでした。
いわゆるA級戦犯の中には「平和に対する罪」で処刑されるのではなく、むしろ、その意志や活動実績から「平和に対する貢献」で表彰されるべきであったとも思われる松井石根氏のような方も含まれています。連合国も、松井氏については起訴した十の訴因のうち、実に九つまで無罪とせざるをえませんでした。また、重光葵氏などは戦後日本の国連加盟時には日本国外相として世界から拍手喝采で迎え入れられたものです。広田弘毅氏も平和論者でした。
私がくどくどと説明するよりも本の巻末にあった、当時の識者達の、東京裁判への見識を載せておく事にします。
世界の識者が見た東京裁判
《東京裁判関係者》
●ダグラス・マッカーサー(米・連合国最高司令官)
日本は、絹産業以外には、国有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。一九五一年五月三日、米国議会上院の軍事外交合同委員会の答弁にて『東京裁判日本の弁明』より)
●C・A・ウィロビー将軍(米・GHQ参謀第二部長)
この裁判は歴史上最悪の偽菩だった。こんな裁判が行われたので、自分の息子には軍人になることを禁じるつもりだ。・・・〔なぜ東京裁判に不信感を持ったかと言えぱ〕日本が置かれていた状況と同じ状況に置かれたならば、アメリカも日本と同様戦争に訴えていたに違いないと思うからである。(東京裁判終結後、離日の挨拶に訪れたレーリング判事に対する言葉・ベルト・ファン・A・レーリング「The Tokyo Trial and Beyond」
●ベルト・ファン・A・レーリング判事(蘭・東京裁判オランダ代表判事)
国際裁判所が、正義に基づいて処罰を加えることを求められているにもかかわらず、自ら正義の法理を適用しているか否かを審査する機能や義務さえ与えられないで、単に戦勝国の最高司令官の定めた法規を適用しなければならない。かようなことを本裁判所が認めるとすれば、それは国際法のためにこのうえなく有害なことをしたことになるだろう。(「勝者の裁き」)
●ウエッブ(オーストラリア・東京裁判裁判長)
私は日本が九千万人の住む小さな土地で耕作できる面積はそのうち十五パーセントにすぎず、外部から激しい貿易制限や規制を受けていたとの弁護士の論述に多くの正論と酌量の余地を認めた。
私は米国なり英国なりが同じ様な状況におかれたらどのように反応したか、それどころか国民がどのような反応をすることを望んだかを考えてみた。米国も英国も日本が一九四一年におかれたような状況におかれれば、戦争に訴えていたかも知れないのである。(「天皇の陰謀」)
《政治家ほか》
●ハーバート・フーバー(米・元大統領)
もしわれわれが日本人を挑発しなかつたならば決して日本人から攻撃を受ける様なことはなかったであろう。(『東京裁判日本の弁明』)
●チャールズ.リンドバーグ(米・飛行家・大佐)
ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人になしたと同じようなことを、我々は太平洋でも日本人に行ってきたのである。・・・地球の片側で行われた蛮行はその反対側で行われても、蛮行である事には変わりが無い。「汝ら人を裁くな、裁かれざらん為なり」。この戦争はドイツ人や日本人ばかりではない、あらゆる諸国民に恥辱と荒廃とをもたらしたのだ。(「孤高の鷲〈下〉―リンドバーグ第二次大戦参戦記」)
●エドウィン・O・ライシャワー博士(米・元駐日アメリカ大使・ハーバード大学教授)
軍事法廷はかく裁いた。だが歴吏は、それとは異なる裁きを下すだろうことは明らかである。(「将軍の裁判マッカーサーの復讐」日本版裏表紙に寄せた文章より)
●毛沢東(中・中国共産党主席)
〔昭和三十九年、社会党の佐々木更三委員長が、毛沢東主席に「中国国民に多大の損害をもたらして申し訳ない」と挨拶したところ〕伺も申し訳なく思うことはありませんよ、日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。中国国民に権利を奪取させてくれたではないですか。皆さん、皇軍の力なしには我々が権利を奪うことは不可能だったでしょう。(『毛沢東思想万歳』(下))
●トウ小平(中・中国共産党副主席)
日本は中国を助けた事になっている。・・・日本が蒋介石を重慶まで押し下げてくれたので、我々は日本軍の占領地域の後方に広がった。・・・皆さんだけを責めるのは不公平だと思う。(「中国との友好交流二十年の感想」三岡健次郎 平戒七年六月三十日 中国政経懇談会)
●K・R・ナラヤナン(インド・大統領)
博士の有名な反対判決は、勝者側の偏狭なナショナリズムと政治的復讐とを退け、それよりも平和そして国家間の和解と親菩のために努カすべきことを説いた、感銘深い呼びかけでありました。
博士はまた、そのように行動されたことにより、インドと日本との友好と理解のシンボルとなったのであります。(一九九七年十月十六日 京都のパール博士顕彰碑建立の際に寄せたメッセージ)
《法律専門家・学者》
●プライス(米・陸軍法務官)
東京裁判は、日本が侵略戦争をやったことを懲罰する裁判だが、無意味に帰するからやめたらよかろう。なぜならそれを訴追する原告アメリカが、明らかに責任があるからである。ソ連は日ソ中立条約を破って参戦したが、これはスターリンだけの責任でなく、戦後に千島、樺太を譲ることを条件として、日本攻撃を依頼し、これを共同謀議したもので、これはやはり侵略者であるから、日本を侵略者呼ばわりして懲罰しても精神的効果はない。(一九四五年十二月のニューヨーク.タイムズ紙にて『東京裁判の正体』)
●カール・ヤスパース(独・哲学者)
私はどう考えても、一つの民族だけが、戦争の責罪を負わなければならない義務はないと思う。
゛自分には罪はない"などというのは、薄っぺらで、ごまかしの道徳意識だ。これこそひとリよがりというものだ。その証拠には、彼らはすでに、次の戦争の準備をし、これを促進しているだけではないか。
…いっそ明白なる暴カの方がましである。その方が正直で我慢しやすい。そこに存在したものは戦勝国の強権ばかりであった。それは人類の将来の平和のために、無益なばかりか、極めて有害な存在となった。(『戦争の責罪』)
「パール判事の日本無罪論」田中正明-小学館文庫
当書の主役、ラダ・ビノード・パール氏はカルカッタ大学の総長であった当時、東京裁判の判事の一人として日本にやってきました。
また戦後の国連においても国際法委員会長を務めるほど、国際的に信頼を集めた方です。
みなさん東京裁判の判事11人はすべて、裁判官たる資格を持っていた人と思っていませんか。実態はかなり怪しいもので、判事の中には連合国側の軍人さえも含まれていました。またウエッブ裁判長は検察官兼任だったようです(有り得ない!!)。これらの事実を持ってしても、この裁判は勝者が敗者を裁いた茶番である、という事が言えるのではないでしょうか。
また、正義と勝敗は別物であるはずなのに、戦勝国の側の犯罪、例えば原爆投下の平和に対する罪などは全くもって検討もされませんでした。
いわゆるA級戦犯の中には「平和に対する罪」で処刑されるのではなく、むしろ、その意志や活動実績から「平和に対する貢献」で表彰されるべきであったとも思われる松井石根氏のような方も含まれています。連合国も、松井氏については起訴した十の訴因のうち、実に九つまで無罪とせざるをえませんでした。また、重光葵氏などは戦後日本の国連加盟時には日本国外相として世界から拍手喝采で迎え入れられたものです。広田弘毅氏も平和論者でした。
私がくどくどと説明するよりも本の巻末にあった、当時の識者達の、東京裁判への見識を載せておく事にします。
世界の識者が見た東京裁判
《東京裁判関係者》
●ダグラス・マッカーサー(米・連合国最高司令官)
日本は、絹産業以外には、国有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。一九五一年五月三日、米国議会上院の軍事外交合同委員会の答弁にて『東京裁判日本の弁明』より)
●C・A・ウィロビー将軍(米・GHQ参謀第二部長)
この裁判は歴史上最悪の偽菩だった。こんな裁判が行われたので、自分の息子には軍人になることを禁じるつもりだ。・・・〔なぜ東京裁判に不信感を持ったかと言えぱ〕日本が置かれていた状況と同じ状況に置かれたならば、アメリカも日本と同様戦争に訴えていたに違いないと思うからである。(東京裁判終結後、離日の挨拶に訪れたレーリング判事に対する言葉・ベルト・ファン・A・レーリング「The Tokyo Trial and Beyond」
●ベルト・ファン・A・レーリング判事(蘭・東京裁判オランダ代表判事)
国際裁判所が、正義に基づいて処罰を加えることを求められているにもかかわらず、自ら正義の法理を適用しているか否かを審査する機能や義務さえ与えられないで、単に戦勝国の最高司令官の定めた法規を適用しなければならない。かようなことを本裁判所が認めるとすれば、それは国際法のためにこのうえなく有害なことをしたことになるだろう。(「勝者の裁き」)
●ウエッブ(オーストラリア・東京裁判裁判長)
私は日本が九千万人の住む小さな土地で耕作できる面積はそのうち十五パーセントにすぎず、外部から激しい貿易制限や規制を受けていたとの弁護士の論述に多くの正論と酌量の余地を認めた。
私は米国なり英国なりが同じ様な状況におかれたらどのように反応したか、それどころか国民がどのような反応をすることを望んだかを考えてみた。米国も英国も日本が一九四一年におかれたような状況におかれれば、戦争に訴えていたかも知れないのである。(「天皇の陰謀」)
《政治家ほか》
●ハーバート・フーバー(米・元大統領)
もしわれわれが日本人を挑発しなかつたならば決して日本人から攻撃を受ける様なことはなかったであろう。(『東京裁判日本の弁明』)
●チャールズ.リンドバーグ(米・飛行家・大佐)
ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人になしたと同じようなことを、我々は太平洋でも日本人に行ってきたのである。・・・地球の片側で行われた蛮行はその反対側で行われても、蛮行である事には変わりが無い。「汝ら人を裁くな、裁かれざらん為なり」。この戦争はドイツ人や日本人ばかりではない、あらゆる諸国民に恥辱と荒廃とをもたらしたのだ。(「孤高の鷲〈下〉―リンドバーグ第二次大戦参戦記」)
●エドウィン・O・ライシャワー博士(米・元駐日アメリカ大使・ハーバード大学教授)
軍事法廷はかく裁いた。だが歴吏は、それとは異なる裁きを下すだろうことは明らかである。(「将軍の裁判マッカーサーの復讐」日本版裏表紙に寄せた文章より)
●毛沢東(中・中国共産党主席)
〔昭和三十九年、社会党の佐々木更三委員長が、毛沢東主席に「中国国民に多大の損害をもたらして申し訳ない」と挨拶したところ〕伺も申し訳なく思うことはありませんよ、日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。中国国民に権利を奪取させてくれたではないですか。皆さん、皇軍の力なしには我々が権利を奪うことは不可能だったでしょう。(『毛沢東思想万歳』(下))
●トウ小平(中・中国共産党副主席)
日本は中国を助けた事になっている。・・・日本が蒋介石を重慶まで押し下げてくれたので、我々は日本軍の占領地域の後方に広がった。・・・皆さんだけを責めるのは不公平だと思う。(「中国との友好交流二十年の感想」三岡健次郎 平戒七年六月三十日 中国政経懇談会)
●K・R・ナラヤナン(インド・大統領)
博士の有名な反対判決は、勝者側の偏狭なナショナリズムと政治的復讐とを退け、それよりも平和そして国家間の和解と親菩のために努カすべきことを説いた、感銘深い呼びかけでありました。
博士はまた、そのように行動されたことにより、インドと日本との友好と理解のシンボルとなったのであります。(一九九七年十月十六日 京都のパール博士顕彰碑建立の際に寄せたメッセージ)
《法律専門家・学者》
●プライス(米・陸軍法務官)
東京裁判は、日本が侵略戦争をやったことを懲罰する裁判だが、無意味に帰するからやめたらよかろう。なぜならそれを訴追する原告アメリカが、明らかに責任があるからである。ソ連は日ソ中立条約を破って参戦したが、これはスターリンだけの責任でなく、戦後に千島、樺太を譲ることを条件として、日本攻撃を依頼し、これを共同謀議したもので、これはやはり侵略者であるから、日本を侵略者呼ばわりして懲罰しても精神的効果はない。(一九四五年十二月のニューヨーク.タイムズ紙にて『東京裁判の正体』)
●カール・ヤスパース(独・哲学者)
私はどう考えても、一つの民族だけが、戦争の責罪を負わなければならない義務はないと思う。
゛自分には罪はない"などというのは、薄っぺらで、ごまかしの道徳意識だ。これこそひとリよがりというものだ。その証拠には、彼らはすでに、次の戦争の準備をし、これを促進しているだけではないか。
…いっそ明白なる暴カの方がましである。その方が正直で我慢しやすい。そこに存在したものは戦勝国の強権ばかりであった。それは人類の将来の平和のために、無益なばかりか、極めて有害な存在となった。(『戦争の責罪』)
「パール判事の日本無罪論」田中正明-小学館文庫
藤田浩司
DrumStudio LA FIESTA