京都童心の会

ほっこりあそぼ 京都洛西の俳句の会
代表 金澤 ひろあき
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松尾芭蕉 『野ざらし紀行』 口語訳 <前半 2>

2024-05-02 17:01:19 | 俳句
松尾芭蕉 『野ざらし紀行』 口語訳
         金澤ひろあき
<前半 2>
 大和の国(奈良)に行脚して、葛下(かつげ)の郡、竹の内という所にこの同行人ちりのふるさとがあるので、数日とどまって足を休める。
  わた弓や琵琶になぐさむ竹の奥
 二上山当麻寺に詣でて庭の松を見ると、たぶん千年も経ているのだろう。『荘子』の大木の話と同じく、大きさは牛を隠すとも言っただろう。この松は心がないといっても、仏縁にひかれて伐採の罪を免れたのが、幸いであって貴い。
  僧朝顔幾死にかへる法の松
 ひとり吉野にたどり着いた時に、まことに山深く、白雲は峰に重なり、霧雨は谷を埋めて、きこりの家がところどころ小さく、西に木を伐る音が東に響き、寺々の鐘の音は心の底にこたえる。昔よりこの山に入って世を忘れた人が、多くは詩に逃れ、歌に隠れた。いやもう唐土の聖地盧山と同じようだと言うのもまたもっともではないか。
 ある宿坊に一夜の宿を借りて
  きぬた打って我にきかせよ坊が妻
 西行上人の草庵の跡は、奥の院より右の方二町ぐらい山に分け入った距離、柴を刈る人が通う道だけがわずかにあって、けわしい谷を隔てているのがとても貴い。
 あの西行の歌にある「とくとくの清水」は、昔に変わらずと見えて、今もとくとくと雫が落ちている。
  露とくとくこころみに浮世すすがばや
 もしとくとくの清水に、日本に(古代中国の高潔の士)伯夷がいれば、必ず口をすすぐだろう。もしとくとくの清水に(名利を嫌う隠者)許由に告げたならば、耳を洗うだろう。
 山を登り坂を下ると、秋の日はすでに傾いているので、有名な所をいくつも見残して、まず後醍醐天皇の御廟を拝む。
  御廟年経て忍は何をしのぶ草
 大和より山城(京都)を経て、近江路(滋賀)に入り、美濃(岐阜)に至る。今須、山中を過ぎて、昔の(源義朝の愛妾)常盤御前の墓がある。伊勢の荒木田守武が言った、「義朝殿に似たる秋風」とは、どういうところが似ていたのだろうか。私もまた、
  義朝の心に似たり秋の風
 不破の関で、
  秋風や藪も畠も不破の関
 大垣に泊まった夜は、谷木因の家にお世話になる。関東を出る時、わが身が野ざらしになることを覚悟して旅立ったので、
  死にもせぬ旅寝の果よ秋の暮

 大和の国(奈良)に行脚して、葛下(かつげ)の郡、竹の内という所にこの同行人ちりのふるさとがあるので、数日とどまって足を休める。
  わた弓や琵琶になぐさむ竹の奥
 二上山当麻寺に詣でて庭の松を見ると、たぶん千年も経ているのだろう。『荘子』の大木の話と同じく、大きさは牛を隠すとも言っただろう。この松は心がないといっても、仏縁にひかれて伐採の罪を免れたのが、幸いであって貴い。
  僧朝顔幾死にかへる法の松
 ひとり吉野にたどり着いた時に、まことに山深く、白雲は峰に重なり、霧雨は谷を埋めて、きこりの家がところどころ小さく、西に木を伐る音が東に響き、寺々の鐘の音は心の底にこたえる。昔よりこの山に入って世を忘れた人が、多くは詩に逃れ、歌に隠れた。いやもう唐土の聖地盧山と同じようだと言うのもまたもっともではないか。
 ある宿坊に一夜の宿を借りて
  きぬた打って我にきかせよ坊が妻
 西行上人の草庵の跡は、奥の院より右の方二町ぐらい山に分け入った距離、柴を刈る人が通う道だけがわずかにあって、けわしい谷を隔てているのがとても貴い。
 あの西行の歌にある「とくとくの清水」は、昔に変わらずと見えて、今もとくとくと雫が落ちている。
  露とくとくこころみに浮世すすがばや
 もしとくとくの清水に、日本に(古代中国の高潔の士)伯夷がいれば、必ず口をすすぐだろう。もしとくとくの清水に(名利を嫌う隠者)許由に告げたならば、耳を洗うだろう。
 山を登り坂を下ると、秋の日はすでに傾いているので、有名な所をいくつも見残して、まず後醍醐天皇の御廟を拝む。
  御廟年経て忍は何をしのぶ草
 大和より山城(京都)を経て、近江路(滋賀)に入り、美濃(岐阜)に至る。今須、山中を過ぎて、昔の(源義朝の愛妾)常盤御前の墓がある。伊勢の荒木田守武が言った、「義朝殿に似たる秋風」とは、どういうところが似ていたのだろうか。私もまた、
  義朝の心に似たり秋の風
 不破の関で、
  秋風や藪も畠も不破の関
 大垣に泊まった夜は、谷木因の家にお世話になる。関東を出る時、わが身が野ざらしになることを覚悟して旅立ったので、
  死にもせぬ旅寝の果よ秋の暮


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