京都童心の会

ほっこりあそぼ 京都洛西の俳句の会
代表 金澤 ひろあき
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『猿蓑』の編集について

2024-03-27 13:18:01 | 俳句
『猿蓑』の編集について
           金澤ひろあき
 私自身、いくつかの雑誌や研究会誌の編集を行い、また連句をやり出したので、芭蕉七部集の編集・構成に興味があった。
 七部集の中でも『猿蓑』は特に重んじられている。編集は去来と凡兆だが、たぶんその時上方にいた芭蕉もかなり携わったのではないかと思われる。そして構成が練られているように感じる。
 構成は全部で六巻。巻一から巻四までが発句集。巻五が連句四編。巻六が「幻住庵記」(文章)とそれに付随する「几右日記」。
 発句の四巻を見ると、
巻一 冬   巻二 夏   巻三 秋   巻四 春。
 これを巻五の連句の配列と比べてみる。連句四編の発句を見ると、
(冬)鳶の羽も刷(かいつくろ)ぬはつしぐれ  去来
(夏)市中は物のにほひや夏の月        凡兆
(秋)灰汁桶の雫やみけりきりぎりす      凡兆
(春)梅若菜まりこの宿のとろろ汁       芭蕉
「発句編」と「連句編」がいずれも、「冬」「夏」「秋」「春」の順で並んでいる。
 さらに「発句編」を見ると、巻一 冬の冒頭句は、
  初しぐれ猿も小蓑をほしげなり       芭蕉
 巻四 春 巻末句は、
  行春を近江の人とをしみける        芭蕉
 芭蕉句で始まり、芭蕉句で終わる配置をしている。しかも、発句編と連句編の巻頭句が「初しぐれ」の句なのだ。
 ところで普通私達が「四季」というと、「春夏秋冬」の順を考えるのだが、なぜ「冬夏秋春」なのであろうか。
 日本の伝統の美意識でいうと、「春」「秋」が尊重され、「夏」「冬」は低く見られている。連句でも「春」「秋」は三句続けるが、「夏」「冬」は二句まで、時として一句でもよいとされている。
 それまで低く見られていた「夏の美」「冬の美」を新しい美として打ち出そうとする意図があるかのようだ。もちろん春の「花」、秋の「月」をなおざりにするわけではないが、月でいえば、冬月、夏月にも心を凝らしているかのようだ。
冬月 この木戸や鎖のさされて冬の月      去来
夏月 蛸壺やはかなき夢を夏の月        芭蕉
 なお、秋の月、芭蕉自身の句では、
  月清し遊行のもてる砂の上         芭蕉
一句のみを入集させている。