日本共産党は数ある政党の中でも、一番好きな政党だ。選挙のたびに、投票用紙に『日本共産党』の候補者の中から選んで投票してきたし、比例代表では『日本共産党』と記入して投票してきた。
私は、共産主義を信奉している?いやいや、そうではない。野党としてきちんと仕事をしていると感じているからだ。しかし、私は、常々、「共産」という言葉が邪魔だと思っている。もし、「共産」という名称ではなかったら、もっと支持者は増えるだろうし、有権者は投票しやすくなるだろう。日本共産党が共産主義革命を起すなどというあほなことを考えているとは到底思えない。ソビエト連邦、中国民主主義人民共和国、北朝鮮など、共産主義革命で栄えた国はどこにもない。いずれの国も、「共産」とは名ばかりで、独裁政治に走って見るも無残な結果を招いたことは共産主義各国が既に証明済みだ。今更、共産主義でもあるまい。
どうして共産主義は失敗するのか?確かに、生きることに汲汲とし、共同しなければ生存と保てない時代には、原始共産主義が存在した。しかし、少しでも余裕が出てくると、それはもう崩壊してしまうのだ。「蟻とキリギリス」のように、貧富の格差が出てくるし、欲というものが巾を利かして、他よりも優位に立とうとする人が必ず出てくるからだ。人間から欲を取ってしまったら、それこそ何が残るのだろうか?想像が着かない。人間自体が欲の塊なのだ。
政党として日本共産党を見ると、確かに、論理の一貫性を保ち、常に、正しい途を歩もうとする姿勢が見られ、その点、評価できる。野党に徹し、それ以上高望みをして、他の党とくっついたり離れたりしない点も気に入っているところだ。でも、政党である以上、政権与党を目指すべきだろう。それが支持者の期待に応えることになるのではないかと思う。万年野党のままで良いというならば、「政党」の看板を即刻下ろすべきだろう。支持者は様々な思い、願いを抱いて政党を支持しているわけで、その思いや願いに応える気持ちがないのであれば、支持者に対する裏切りもいいところだからだ。まあ、本音を言えば、少し与党自民党に反対することができる党だからと一票を投じているところもあるのだが・・・・。
以上の結論として、「共産」の文字を外して、もっと勢力を拡大し、慢心し、堕落しきった自民党に一矢を投じることができる党に成長して欲しい!それが私の儚い願いなのだ。