明日へのヒント by シキシマ博士

ご訪問くださりありがとうございます。あまり頻繁には更新できませんが、どうぞよろしくお願い致します。

久しぶりの投稿です

2009年10月05日 09時57分17秒 | 介護の記
お久しぶりです。
気が付けば、半年以上も更新を怠っていました。
これほど長い間ほったらかしたのだからもう閉鎖してしまおうか…とも思ったのですが、アクセス数を調べてみると、有り難いことに今でもある程度の人数の方がこのブログを覗いてくれているんですね。
それを知ると、このまま黙って辞めてはいけないという気になります。
私自身もかつて、コメントのやりとりをしていたブロガーが何も書き込まなくなった時に、「どうしたのかな?」と気になりましたから。
だから、久しぶりに投稿します。

べつに、私自身は病気したり服役していた訳ではありません。巨大ロボットの設計をしていた訳でもありません。
でも、私を取り巻く状況は短い期間に随分と変わってしまいました。
親の介護に関することです。
以下、楽しくはない私の身辺の話になりますがご容赦ください。
あるいは、同じような境遇の人が何かの足しにしてもらえたら幸いです。

このブログで既に書いたように、私の母は12年前に脳梗塞を患い、その後遺症で右の手足が今でも不自由な身です。
それを家族の者が補いながら暮らしています。
ですが、今回の状況の変化というのはその母のことではありません。
父のことです。
現在、父の介護認定調査の結果は「要介護4」になっています。こうなるまでに長い期間は要しませんでした。

だいぶ前から父の腰椎は変位しており、とくに2、3年前からそれが著しくなり歩行が辛そうになって来ていました。
でも身体的なことだけだったら対処の仕方もあると思っていました。
ところが、昨年の秋ごろから少し奇妙な言動をするようになりました。認知症が表面化してきたのです。
父の性格というのは、融通がきかず、短気、すぐに逆ギレするという、認知症になりやすいタイプの典型。
(私はそんな父と折り合いが悪く、ずっと長いこと確執があります)
このままではさらに悪化する事は明白なので、それを回避するべく、父の意識が変わるようにといろいろ働き掛けたのですが…。
今年の春ごろから状況の変化のスピードは加速しました。
5月の時点で行った介護認定調査の結果は「要介護2」でしたが、現状はそこで留まるはずもなく、どんどんと進行していきます。
今思えば、この時点でどこかへ相談するべきだったと思います。
ですが、毎日刻々と変わっていく状況を見ていると、どこまでが家族の手に負えることで、どこからが人の手を借りたほうが良いことなのか、その境目が分からなくなってしまいます。
当事者が客観的になるというのは難しいことです。

7月27日。父は緊急入院しました。
その入院の理由は脱水症状による衰弱でした。
しかし、それより1か月くらい前から(認知症の所為だと思われますが)家族との協調性がなくなり、体を動かすこともしなくなり、あげくに足腰が立たなくなったための緊急入院でした。
すぐに生命の危険がない状態まで回復したのですが、そうなると今度はその病院に居させてもらえる理由がなくなってしまいました。
まぁ、(世話になっておきながら言うのはナンですが)この病院の対応はあまり好ましくなく、早期に出ることは望むところでしたが。
しかし、もはや歩けないほど身体機能は悪化し、このまま家に戻しても世話することはできません。
母の介助もあるので…。

途方にくれている時に救ってくれたのが、母のケアマネージャーをしてくれているKさんや、地元の包括支援センターのOさんでした。
このお二人が四方八方に掛け合ってくれました。本当に感謝です。
しかし、特養ホームや介護老人保健施設は何人もが空き待ちの状態。
少し費用が掛かりますが、当面は介護療養型の病院に転院することになりました。これが9月の初めです。

転院したその病院で、初めて父の状態について詳しく知ることができました。
「認知症と運動能力低下が同時進行していることや、前の病院でのリハビリの効果が出て来ないことをみると、『レビー小体型認知症』であることが考えられる」
と言う話です。
レビー小体型というのはアルツハイマー型と違い、幻覚をみたり、薬物に過敏に反応したり、アルツハイマー型に比べ寝たきりになるのが10倍も速いとか…。
つまり、認知症と運動能力低下は別々のことではなかったのです。
こういった説明は聞いて楽しい話ではありませんが、現在の状況を理解したり今後のことを想定する上で拠り所となりました。


父が入院し、我が家の住人がそれまでより1人減って、今、2か月以上が過ぎました。
おそらくもう、父が再び我が家に戻ることはないでしょう。
この短期間、入院の手続き・親戚への連絡・見舞い客への対応・転院の手続き・特養ホームへの入所予約申し込み・介護認定の区分見直しの依頼・その再調査の立ち会いなどなど、私にとっても慌ただしく過ぎた日々でした。
この目まぐるしさは、それまでの私が抱いていた父への確執を考える余裕すらも与えないものとなりました。
そんな悠長なことはどうでもよくなり、関心事はもっと別のことなります。
たとえば母のこと。
12年前に脳梗塞を患って以来、曲がりなりにも頼りにしていた夫が、自分よりも先に我が家に居られなくなったという現実とどう折り合いを付けられるのだろうか…

そして自分。
自分にだって非がある…
おそらく、最善ではない道を何度も選んで来てしまった…

人はよく、親の介護をしている者に対して「よくやってる」とか「偉い」とか言いますが、介護というのはそんな清く美しいものではないです。
少なくとも私の場合、思いどおりに成らずにイラついたり、声を荒げたり、投げやりになったり…、自分自身の嫌な部分に何度も突き当たります。
介護の末の自死など、悲しいニュースが時々報道されるけれど、その多くは介護に疲れたからとかではなくて、自分自身の嫌な部分に直面することに耐えかねてのことだと思います。
だから、
そんなふうに1人で自分を責めさせないように、切実なこともオープンに話せて、周りの者がいくらかでも共有する実感を持って、皆が助け合える社会を築く。
それが何より大事なことでしょう。

幸い、私の場合は人の繋がりにとても恵まれている気がします。
まず、様々な困難に直面しながらも前へ進んでいけるのは、参加している療術セミナーで自分を客観的に捉えたり、ものの全体像を捉える意識を身に付けさせてもらったこと。感謝です。
母のケアマネージャーや包括支援センターの人が的確なアドバイスをしてくれることにも感謝です。
そして、近所や自治会の人たちもいろいろと気に掛けてくれています。有り難いことです。
パズル作家として自宅で仕事をさせてもらっている境遇にも感謝です。勤め人をしていたら今の生活はできてないですから。
このような恵まれた状況の中で私に課せられた課題なのだから、これには大きな意味があるのでしょう。
逃げずに、しっかりとこの課題に取り組んで行こうと思います。
この経験をいつか何か(誰か)の役に立てられるように。

…と、取りとめもなくて上手くまとまらない話になってしまいましたが、だいたいこんなところがブログ空白期間の私の状況です。
慌ただしい日はまだ続きますが、少しずつでもこのブログを続けていけたらと思っています。

以上、今回は長ったらしい自分の話で終始しまいスミマセン。
次回はもっと気楽な別の話題にしますね。
ではまた!


最新の画像もっと見る

コメントを投稿