私はパズル作家をしています。
今、出版社からの依頼を受けて制作してるのが、今年のテレビドラマに関するパズルです。
で、その制作にあたり、ネットでいろいろ調べていて出てきたのがこれ。
11月に発売予定のドラマ「トップキャスター」のDVDの一部が削除されるという話題。
これは、フジテレビ系で放送された月9ドラマのDVD化で、放送は全11回だったとのこと。(私は観ていませんでした)
その第3話が、悪徳占い師の登場するエピソードで、アノ細木数子氏が自分を連想させるとして猛抗議したらしいです。
で、よせば良いのに、フジテレビ側は謝罪し、DVDからそのエピソードを削除すると決定したらしい。
なんともはや…
細木氏は以前、公開直前の映画のタイトルを変えさせたという〝前科〟もあります。
ここで、今さら彼女のことを批判する気はありません。
それよりもイメージして欲しいんです。
ドラマ一本作るのに、どれだけ多くの人が関わっているのか。
ひょっとするとその中には、下積みの長い俳優さんが初めて小さな役をもらって一生懸命演じていたのかもしれない。で、そのDVD発売を心待ちしていたかもしれない。
映画のタイトルを変えさせた時も、確か、すでにポスター等が刷られていたと聞いたような気がします。
フジテレビにせよ、映画の人にせよ、そういうことを考えたんでしょうか。
まず、細木氏だけが在りき。出演者や現場の製作者・視聴者・観客は不在ということですか?
そもそも、世間の人たちがこれほどまでに細木氏を支持するのが、私には理解不能です。
幸せとか、価値観とか、人それぞれに違う筈ではないですか?
例えば、お金持ちになるのが幸せだと言う人もいれば、貧乏でも家族円満で良い友達に恵まれているほうが幸せだと言う人もいるでしょう。
映画にしても、配給側としてはヒットさえすればそれで良し。けれども観客側としては空席が多くても記憶に残る良質の作品を観たい。
出世しなくても、「釣りバカ日誌」の浜ちゃんは幸せそうじゃないですか。
価値は、他人が決めることじゃないですから。
今までの記事にも書いたきたとおり、自分という存在は自分以外の存在との関係性(繫がり)の上に成り立っているのですから、安易に自分が良い思いをしようとシフトしても、その影響は思わぬ形で様々な所に現れます。(〝時をかける少女〟の真琴のように)
その全てに責任を持つことはできないし、かと言って何の欲も持たない訳にも行かない。
どこで折り合いを付けるか、どの時点で幸せと感じて満たされるのかは、人それぞれ違う筈です。各自が自分で考え、判断出来なくてはいけないことです。
そういうことを忘れたかのように、多くの人が安易に、細木氏にとっての幸せや価値観の押し付けに自分のそれを同化させてしまうのが、私には解せないのです。
かつてメディアに踊らされ、一時的に爆発的に世間の支持を受けた時代の寵児のかなり多くが、程なく、自ら墓穴を掘り失墜して行きました。
私には、今回のことで、いよいよ細木氏もそれを本格的に掘り始めたんだなと思えてならないのですが、さて、どうなりますか…。
(今回はちょっと辛口でした。でも、そう思いませんか?)
今、出版社からの依頼を受けて制作してるのが、今年のテレビドラマに関するパズルです。
で、その制作にあたり、ネットでいろいろ調べていて出てきたのがこれ。
11月に発売予定のドラマ「トップキャスター」のDVDの一部が削除されるという話題。
これは、フジテレビ系で放送された月9ドラマのDVD化で、放送は全11回だったとのこと。(私は観ていませんでした)
その第3話が、悪徳占い師の登場するエピソードで、アノ細木数子氏が自分を連想させるとして猛抗議したらしいです。
で、よせば良いのに、フジテレビ側は謝罪し、DVDからそのエピソードを削除すると決定したらしい。
なんともはや…
細木氏は以前、公開直前の映画のタイトルを変えさせたという〝前科〟もあります。
ここで、今さら彼女のことを批判する気はありません。
それよりもイメージして欲しいんです。
ドラマ一本作るのに、どれだけ多くの人が関わっているのか。
ひょっとするとその中には、下積みの長い俳優さんが初めて小さな役をもらって一生懸命演じていたのかもしれない。で、そのDVD発売を心待ちしていたかもしれない。
映画のタイトルを変えさせた時も、確か、すでにポスター等が刷られていたと聞いたような気がします。
フジテレビにせよ、映画の人にせよ、そういうことを考えたんでしょうか。
まず、細木氏だけが在りき。出演者や現場の製作者・視聴者・観客は不在ということですか?
そもそも、世間の人たちがこれほどまでに細木氏を支持するのが、私には理解不能です。
幸せとか、価値観とか、人それぞれに違う筈ではないですか?
例えば、お金持ちになるのが幸せだと言う人もいれば、貧乏でも家族円満で良い友達に恵まれているほうが幸せだと言う人もいるでしょう。
映画にしても、配給側としてはヒットさえすればそれで良し。けれども観客側としては空席が多くても記憶に残る良質の作品を観たい。
出世しなくても、「釣りバカ日誌」の浜ちゃんは幸せそうじゃないですか。
価値は、他人が決めることじゃないですから。
今までの記事にも書いたきたとおり、自分という存在は自分以外の存在との関係性(繫がり)の上に成り立っているのですから、安易に自分が良い思いをしようとシフトしても、その影響は思わぬ形で様々な所に現れます。(〝時をかける少女〟の真琴のように)
その全てに責任を持つことはできないし、かと言って何の欲も持たない訳にも行かない。
どこで折り合いを付けるか、どの時点で幸せと感じて満たされるのかは、人それぞれ違う筈です。各自が自分で考え、判断出来なくてはいけないことです。
そういうことを忘れたかのように、多くの人が安易に、細木氏にとっての幸せや価値観の押し付けに自分のそれを同化させてしまうのが、私には解せないのです。
かつてメディアに踊らされ、一時的に爆発的に世間の支持を受けた時代の寵児のかなり多くが、程なく、自ら墓穴を掘り失墜して行きました。
私には、今回のことで、いよいよ細木氏もそれを本格的に掘り始めたんだなと思えてならないのですが、さて、どうなりますか…。
(今回はちょっと辛口でした。でも、そう思いませんか?)
世間は細木サマサマですよね。
何ででしょう。
TVのイメージがまだまだ良いからでしょうね。
これがどこからかバッシングの火の手が上がれば
そんなことも少しずつ変わってくるのでしょうか?
細木さんの次の大殺界がヤバいですね。
・・・ってこっちゃんもハマってるじゃないか!
こっちゃん、こういう記事にまでコメントくれるの?
どうでもいい、独り言みたいな記事なのに。
一応、思ってることを正直に書いてるんだけどね。
でも、これで細木さんから何か言われても、私は責任持ちませんよ(笑)