どんぴ帳

チョモランマな内容

はくりんちゅ263

2008-08-20 04:57:04 | 剥離人
 佐野がカラオケで選んだ曲は、意外にもかなり古い曲だった。

 私は、店内奥の小さなステージに上がると、スタンド式の小型モニターにセットされているマイクを握り、佐野に指示された通りに歌い出した。
「ローラぁあああ!」
 私はリアンを指差して、心を込めて叫んだ。曲は西条秀樹の『傷だらけのローラ』だ。
「ローラぁああああ!」
 再びリアンを指差して絶唱する。
「ワ、ワタシワ『ばばあ』じゃナイヨぉ!マダ若いヨォ!」
 調子に乗った私は、サリーを指差して歌い上げる。
「ローラぁああああ!」
「ワタシモ若いヨ!アナタヨリずっと若いヨ!」
 今度はサリーが叫んでいる。
 理由は分からないが、
「ローラぁああああ!」
 と歌いながらフィリピン女性を指差すと、どうやら怒るらしい。
 私を見て、佐野がソファで爆笑している。

「佐野さん、『ローラ』って何ですか?」
 歌い終わってソファに戻ると、リアンとサリーが睨んでいる。
「ん?『ローラ』はタガログ語で『おばあちゃん』、つまり『ばばあ』って意味だよ」
「おー、なるほどね、それでこの二人は怒ってるんだ」
 リアンは、私の水割りを作りながら、まだ憤慨している。
「酷いヨ、私もサリーも、マダ若いヨ、オ肌もピチピチでしょー!」
 リアンは、自慢げに自分の首のラインを見せる。
「どれどれぇ!」
 私はリアンのドレスの胸元を指で引っ掛けると、胸の中を覗き込んだ。
「アー!スケベだヨォ!コノ人スケベダヨォ!」
「何を言ってんのよ、男はみんなスケベでしょう!な、サリー」
 サリーは自分の胸元を手で押さえながら、ニコニコとして首を左右に振る。
「そーだよ、俺をキーちゃんと一緒にしちゃ駄目だべ」
 佐野は、そう言いながら、私と全く同じ行動を取り、リアンの胸元に指を引っ掛けた。
「サノさんもスケベだヨォ!」
 リアンはまたしても胸元を押さえて叫び、サリーはそれを見て大笑いをしている。
「ソンナ事シテナイデ、サノさんも一曲歌いナサイヨー」
 リアンは、佐野の膝の上に、分厚いカラオケ本を、両手でドスンと置いた。
 またしても佐野の眼鏡の奥が、キラリと光る。
「イイのか?俺にカラオケを歌わせても!?」
「イイカラ、早く歌ッテ!」
 佐野はニヤリと笑いながら、ゆったりとカラオケ本を捲り、リアンに曲の番号を伝えた。
「コレ、何の曲?」
 一抹の不安を感じたのか、リアンは佐野に曲名を訊いた。
「ん?歌う前にタイトルを言ったら、面白くないだろう。イイから早く入れろよ」
「ワカッタヨ…」
 リアンは渋々、カラオケのリモコンを操作すると、佐野の選曲を送信した。

 佐野はニコニコとしながらステージまで歩くと、マイクを握って曲が掛かるのを待ち構えている。
 ゆったりとしたバラード系のイントロが流れ始めると同時に、曲名が大きなモニターに映し出され、佐野は嬉々とした表情で歌い始めた。
「化粧のあとの 鏡の前で…」
 リアンの眉間に皺がより、みるみる表情が変わって行く。
「そっと そっと おやすみなさい~」
 佐野は上機嫌で体を揺らしてサビに突入する。
「マダお店、オワリジャ無いヨォオオオ!」
 リアンが叫び出した。
「マダ八時過ぎダヨォオオオオ!」
 佐野は一向に気にする事も無く、軽やかに歌い続ける。
「そっと そっと おやすみなさい~っとぉお!ごめんねぇ、俺はこの曲が好きで好きでたまらないんだよぉ」
 佐野は楽しそうに歌い続ける。
 田代と渋井は、
「また佐野の十八番が始まったなぁ」
 という顔をし、小磯とハルも大笑いをしている。
 
 この布施明の『そっとおやすみ』という曲は、スナックなどの言わば『蛍の光』の様な曲で、この曲を誰かがカラオケで歌うと、その店の営業時間が終了する事を意味するのだ。
 だが、佐野はそんな事はお構い無しに、最高に気持ち良さそうにこの名曲を歌い上げる。
「そっと そっと おやすみなさい~、皆様、本日はご来店ありがとうございました、またのお越しをお待ちしております!」
「終ワリジャ無いヨォ!マダ終ワラナイヨォ!八時ダヨォオオオ!」
 リアンが佐野に向かって叫びまくる。
「くははははは、くははははは!」

 こうして、食券制フィリピンパブの夜は更けて行くのだった。