ドミンゴ(土民子)のわくわくランド

自分が感じた面白い、かつ、怒りの話題を提供します。
みなさんのコメントをお待ちしています。

お礼肥やし・・・!

2006-12-10 | Weblog
今年は葡萄、ブラックベリー、ビックリグミの実が沢山実った。

晩秋になってこれらの木は来年の実りに備えて眠りについた。

この実を味わい、楽しんだ私達は今年の豊作に感謝すると共に来年の豊作を願い

鉢植えの木々にお礼肥やしをお返しした。

落ち葉も鉢植えに鋤きこみ腐葉土になるよう願った。

金曜日、甲府を訪問したが農家の人々は木々の剪定と桃の木の根元に今年取れた稲

わらを円形に敷き詰めていた。

来年も美味しい桃を与えてくれと願っているようだ。

物も言わず、自然に任せて生きている桃の木に農家の人の心が伝わっているよう

に見える。

我が家の小さい庭にも冬がやってきている。

今日は剪定作業、しっかりした芽を育てるためには欲を抑え2~3個の芽を残して

強く剪定する。

そうすることで春になると強い芽が出て栄養が集中し、大きな花芽が育つことにな

る。そして大きな実が実る。

毎年繰り返される農家の仕事である。

欲を抑えると木々はこれに応えてくれる。子供の教育も同じように感じる。

甘やかすと伸び放題実もならず枝が細くなり、伐採の憂き目に会う。

親は子供の幸せを願うなら農家に学ぶべき、幸いにして私は農家に生れて、事の本

質を学んだような気がする。日本のリーダーと言われる人達はこの基本を経験して

いない。だから、架空の政策と欲望中心の行動に走ることになろう。

天皇家も新嘗祭など日本古来の儀式を司っているだろう。

日本人は自然と共に生きてきた。いかがであろうか?

教育の基本は自然に帰れではないだろうか?・・ドミンゴのつぶやき!


今日の土曜日、ナマコになった!

2006-12-09 | Weblog
今日の東京は肌寒いそぼ降る雨 遠くをみると白く煙っている。

ここしばらく土日もなく働いていた。

さすが心身ともお疲れモード、天上から休みなさいと言われているようだ!

当社のスタッフは、私をマグロのような人 常に泳いでいないと酸素が取れなく死

んでしまうようだ!と冷やかす。

そう言われて過去を振り返ると思い当たる節がある。

小さい頃からお袋に「休みたい」と思うなら死んだ方がいいと言われ、働くことの

大事さを教えられた事がトラウマになっている。

お袋の一生は牛馬の如く働きづめであった。

死んで花実が咲くものか?今日の土曜日はマグロから沖縄の海、干潮時にサンゴの

岩陰でゴムが切れたパンツのように伸びきった黒ナマコになろう。

そして明日の満潮時に目を覚まそうと決めて座敷ナマコに変身した。(大爆笑)

明日までお休みなさい。・・・・・・

「よきに計らえ!」

2006-12-08 | Weblog
嘉永元年 10万石の石高を拝領している地方の藩の出来事である。

城の大広間に15人の家老が平伏し、藩主の参上を待っている。

以下、藩主と家老の会話である。

藩主:くるしゅうない。面を上げ~

家老達:ハッハー

藩主:何か問題があるとのこと。申し述べよ!

家老の代表:当藩に厄介なことが持ち込まれました。お上から城の修復に金1万両

と人足300人を出すよう無理難題が持ち込まれました。いかがなさいましょう

か?

これを聞いていた藩主はおもむろに口を開いた。

藩主:よきに計らえ!

と言って大広間から退出した。

この場面を想像したら皆さんどう思いますか?

(1)藩主が責任逃れ、家老達に責任を押し付けた。

(2)藩主が家老達の能力と肝を試した。

(3)藩主と家老は腹の探りあいをしている。

私は「よきに計らえ!」と言う言葉は含蓄があると思う。

お上の言うことをそのまま受け入れると藩の金庫が危うくなり、人足を調達すると

民に難儀を与える。

この難題に当たって家老達に英知を絞って解決策を考えて貰いたい旨の裁可である

ように思う。

現代の組織にも同じことが起きている。アホな家老達が多くいると最悪、藩の取り

潰し(倒産)になるかもしれない。

これを承知で藩主は家老達に藩の行く末を委ねたのではないだろうか?

自分の命を家老達に預けたのであろう。

戦後の日本、家老の中にはいち早く逃げ出すものが多い。困難に耐えられないので

ある。安全なところに逃げ出し評論家老が多くいるし、藩主(知事等)の中には家

老に罪を擦りつけ逃げ切ろうとする輩もいる。

本物の心の武士がいなくなった。・・・・・・・

時代が変っても変えてはならない日本人の魂があるはずである。

「武士の一分・・・」は何処にいった!




柚子胡椒を頂いた・・・・

2006-12-07 | Weblog
先日、佐賀県の鳥栖市でセミナーの講師を務めた。

夕方、鳥栖駅に降り立ったが始めての訪問でこの地域の情報は皆無である。

こんな時私は地元の情報を聞くために、古い居酒屋に入る。

丁度駅前の古びたビルの地下街の入り口に赤い提灯がぶら下がっていた。

この灯りに誘われてふらりと階段を下りたら暖簾に「信玄」と記したお店が会っ

た。

戸を開けて中に入るとお客さんは誰もいない。私にとってラッキーである。

店主とゆっくり話せるからである。

久し振りの焼き鳥である。まずは鶏レバー刺しを注文し、ゴマ油と塩のたれで一

口、新鮮でトロリとし味が口の中にひろがっていく。思わず心の中で「お主なかな

かやるのよう」と呟いた。

店主に鳥栖の町についての歴史や名所、名物、有名人などの話を聞きだした。

二人でビールを飲みながら話しているとなかなか見識がある。

若い時に東京の赤坂や博多の天神にいたこともあるらしい。

焼き鳥を食べ、飲むほどに話が弾んできた。歳を聞くと私より二歳上、苦労してき

たようだがその素振りはまったく見せない。面構えと笑顔が魅力的である。

そのうちに自分の手作りの柚子胡椒を冷蔵庫から取り出し「焼き鳥につけて食べん

ばい。うまかとよ」お勧めに乗って一口食べたピリカラと柚子の香りが絶妙なハー

モニーを醸し出し、焼き鳥が一段と美味しく感じられる。「美味い!」というとに

やり笑っている。自分の自信作が誉められて気をよくしている。

そのうちに自家製の「梅味噌」や「スズメバチの焼酎」「朝鮮人参の30年ものの

焼酎付け」「自然薯の摩り下ろし」が次々と目の前に出てきた。

この店主は色々なことを知っているし、研究家でもある。

次の日の夜もセミナーをサポートしてくれた方と一緒にこの店に行った。

また来てくれたと歓待された。「梅味噌」をタッパに入れてもっていけとのことで

あるがあまりにも量が多いので次に来るまで保管して欲しいとお願い・・・・

では、「柚子胡椒」をと小瓶に入れたものを頂いた。

旅回りをしていると色々な人と出会い学ぶことが多い。平成の寅は「梅味噌」の作

り方のノウハウを教えて貰った。

来年挑戦してみたい。


微風を感じ取れる人は成功を納める!

2006-12-06 | Weblog
連日の仕事に追われ、ブログの記事掲載時間がまちまちになってきた。

今日、監査技研のホームページの東方見聞録を覗いたら、ワン・ティク・プロの無

給社員が面白いことを書いていた。

世のなかの微風を感じ取る感度の鋭いアンテナを持つことはビジネスで最も重要な

こと。このビデオ撮影に私は脇役として登場している。私の知っている会社の経営

者の言葉である。

撮影し、編集作業で何回も見たに違いない。ただ単に映像の編集作業でなく、登場

人物の一言一言を噛締めていたようだ!

感じ取れるのもその人の心のセンサーである。

これを感じ取れるには素直さと何でも興味を持つ幼子のような純粋さがなければな

らない。邪心があっては感じ取ることができない。

不平や不満からは人に役立つ仕事は生れない。

むしろ、どんな境遇にあってもじっと耐え、何をすれば社会に貢献できるのか?

を常に考え続けることだ。

人を非難しても自分が高まらない。すればするほど相手にされなくなる。

頭(こうべ)を高く上げて、将来の微風を感じ取る五感と感性の第六感を磨く努力

する人になりたいものだ。

これを邪魔するのは過去の経験で得た思い込みである。これを極力排除しなければ

ならない。

かすかな風は、立体的な思考の人しか感じ得ないのではなかろうか・・・・

よいたねをまこう

2006-12-05 | Weblog
       よいたねをまけば

       よいはながさき

       よいみがみのる

       よいたねを

       たくさんまこう

       ちきゅうが

       はなにつつまれ

       みんなの

       しあわせが

       たくさん

       みのるように

       よいたねを

       もっともっとまこう

       いのちのあるうちに

       たくさんまいておこう

カチガラスは佐賀の県鳥かな?

2006-12-04 | Weblog
皆さんこんばんわ、ようやく寅ことドミンゴは旅から江戸に戻って着ました。

旅先は九州の佐賀県、サッカーチームのサガン鳥栖の本拠地である。

ここは、ソフトバンクの孫正義社長の生まれ故郷でもある。

サガン鳥栖のスタジアムの建設に当たり、当時の佐賀市長が孫さんに寄付をお願い

したらしいが孫さんはきっぱり断ったと言う話は地元では有名である。

孫さんは在日韓国人と言うことで子供の頃、言われなきいじめに会い鳥栖にはいい

思いがないという。彼を取材した本にも幼少の頃の辛い体験が書かれている。

これが背景となり寄付をしなかったようだ!

小さい頃いじめて差別した故郷が、成功したとたん手のひらを返すように寄付を求

めてくるなど彼にとって許せないことであったろう。

さて、話は変るがサガン鳥栖のシンボルマークは「カチガラス」である。

この鳥は腹が白く、背中が黒い、尾が長い。カラスより一回り小さいがスマートで

気が荒くカラスとも対等に渡り合う。

年中つがいで行動している。

このカチガラスの鳴き声が「勝ち、カチ」と聞える。これがサガン鳥栖のシンボル

マークになったのではと訊ねたら、どうもそうらしい。

このカチガラスは佐賀県内にしか住んでいない。全国を旅しているドミンゴはここ

でしか見たことはない。佐賀県の人は全国にいると思っているようだ。

じゃ何故、佐賀県にいるのか想像してみた。

豊臣秀吉が朝鮮半島に侵略した時、当時の九州から出兵した兵士が日本に持ち帰っ

たのではないかと思った。当時、鳥のみならず陶工も拉致し、つれてきたらしい。

その証拠に佐賀県内に有名な焼き物の窯元が多くある。

この想像をしたのはソウルを訪問した時、ソウル市内の木にカチガラスが多く営巣

し繁殖していたからである。

拉致された人間は地面上で差別を受け、カチガラスは空を飛びまわり、地元の強敵

に勝ち抜き、自分の縄張りを確保したようだ。鳥には国境がない。

人間という愚かな動物だけ、想像力と力で地球上に目に見えない国境を引き、今で

も争っている。

自然界の動物は弱肉強食の世界であるが自分の欲望で虐殺はしない。

この旅はカチガラスに多くのことを学んだ!