ドミンゴ(土民子)のわくわくランド

自分が感じた面白い、かつ、怒りの話題を提供します。
みなさんのコメントをお待ちしています。

夏の声

2007-07-01 | Weblog
夏の到来は虫の声で告げられる。東京でニィニィゼミの声が聞えてきた。このセミは夏の到来を告げている。土の中で成長して地温が高くなると幼虫が地表に出てふ化をし、次の世代を残す営みである。セミの声はメスを誘う歌声であるらしい。メスは鳴かない。毎年繰り返される夏の声、東京の公園は夏の到来を告げてセミが鳴き始めました。自然は偉大なり六本木ヒルズに住む人達にセミの声が聞えているだろうか?土民子の耳にはニィニィと言う声が聞えてくる。自然と共に生きてきた百姓の子孫の耳は自然の営みを聴き取る力を持っている。

私は小さい船の船長!

2007-07-01 | Weblog
私は小さい船を持っている。5人乗りの小さい船、50馬力の船外機をつけた船である。岩手県の内陸で生まれ育った私には海は憧れ、海は未知の世界であった。私の我がままで自腹で沖縄に船を買った。この船はヤンバルの海に置いている。陸において3年経った。親友が亡くなってから一度も海に浮かべてない。人に言わせると馬鹿と言われるが海に出せないでいる。彼が生きている時は真っ青な海に浮かべて船長をした。エンジン全快で海を疾走した。東京湾で免許を取った。レンボーブリッチの下を走った。今、免許の更新で5年間の資格を更新した。でも船に乗る気はまったくない。息子の友人が船の免許を取ったので彼に船を操縦させたい。ヤンバルから那覇に移動させ陸から海に浮かべさせたいと思っている。遠くに海を見させたい。皆さん沖縄に来てください。小さい船長もいます。

左官屋の腕

2007-07-01 | Weblog
私の親父は百姓である。彼は我々を育てるために農閑期に風呂を作っていた。所謂左官屋をしていた。あちこちの家から自宅の風呂作りを頼まれていた。我々子供も手伝いに引っ張り出された。そして親父の仕事を見て手伝った。次男の兄貴は多く手伝っていた。そしてその技を磨き器用になった。何でも自分で出来る業を身に付け家の修理や機械の修理をしていた。親父は子供の腕を見て自分のやれないことを子供にさせていた。この兄貴も52歳で亡くなった。当時、審査の仕事で愛知県に行っていた私は死ぬ目に会えなかった。一日で髪の毛が真っ白になっていた。でも会社の経営者スケジュールの変更は出来ない。辛くて辛くても我慢をした。とても辛かった。葬式には間に合った。兄貴は地域に貢献していたことを知った。
この兄を知っていたのは親父である。親父が亡くなった時におお泣きしたのが次兄である。私は涙が出なかった。百姓と社官屋をやって我々家族を養ってくれた。今でも感謝している。親父のことは忘れたことがない。左官屋の腕は残っている。私も親父のような人生を歩みたいものだ。オンキョウ(娘の婿)お前は親父を日本につれて来いと言いたい。我々夫婦と家族は大歓迎するよ。そして私は親父を越せない。左官屋になれなかった。技術もない仕事を選んだ。とても恥ずかしい仕事を選んでしまったようだ。虚業の世界から実業の世界に戻りたい。左官屋になりたいものである。こてを使って何かを造りたい。バカな世界に去らばを言いたい。