ドミンゴ(土民子)のわくわくランド

自分が感じた面白い、かつ、怒りの話題を提供します。
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荻野式~~~

2006-07-13 | Weblog
新しいビジネスをやろうとすると 必ず反対者が出てくる。

しかし、私には提案ビジネスを支援してくれたラッキーな人が一人いた。

この方の 名前は 荻野さんと言う方である。

この方の仕事のやり方を 当時、私は「荻野式・・・」と称していた。

しかし、彼は避妊の荻野式と思っていたようだ。

世の中、常にあること 新しいことを提案するとブレーキを掛けたり、非難する人

が現れる。

自分では何にもやれないのに! 声を大きくして反対してくる。

その周辺には どっちに乗ったら 自分にとって利益があるのか 様子見の輩が

ウロウロして 勝ち馬に乗ることだけ考え 行動している・・・・

失敗したら 知らん振り~ 。 成功したら続々やって来る。

身の覚えのある人 恥ずかしくありませんか? こんな人に恥がある分けない。

荻野久作医師は 東大医学部出身の医師である。 家族の生活のため新潟県の病院

に赴任した産婦人科医である。

大正時代 新潟県の竹山病院に給料の多さに引かれ、赴任した。

しかし、その当時の新潟では 農村の婦人は 子沢山による 主婦の死亡が多く

また、「嫁して3年 子なければ去れ!」と今では考えられない現実に直面し、妊

娠のメカニズムを研究したと言う。

当時は 世界の医学界でも 人間の誕生は謎だったと言う。

多くの臨床により 排卵と妊娠の関係を解き明かしたが 日本の医学会では 田舎

の医師何を言うか?と無視されたため ドイツに渡航し 自説の論文を認めて貰お

うと、つてもない中、30人の医師と会ったという。

この医師の中で フンボルト大学のシュッテル博士が これを認め 学会に論文を

発表してくれたらしい。

キリスト教の総本山 当時のローマ法王 ピオ11世は 荻野式の避妊は 教義に

反しないと認知したため、日本でも荻野式の避妊方法を受け入れたと言う。

荻野久作医師は 60年間の医療で20万人の患者を診て 昭和50年 92才で

天寿をまっとうした。

いつの時代も 新しいことをやる人は 批判を受ける。

これを恐れては 科学の進歩はあり得ない。

貴方や私は どんな道を歩みますか?

荻野久作医師は 週刊誌などで「荻野式」の効果を宣伝する記事に対して反論。

「私は 避妊のために 研究したのでない。 子どもや婦人の命の大事さを守るた

めに研究した。男のためではない。男の人たちは これを深く認識して欲しい」と

力説したと言う。

私も男の一人として 荻野医師の心を子どもに伝えたいと考え この記事をしたた

めた・・・・