(「バックパッカーの旅」カテゴリーは大学生時代の回想シリーズです。本文中の名前はだいたい仮名です。1Bバーツは当時3円程度。前回までの話はこちら)
フエサイではイミグレーションの坂を上ってすぐのMANIRATH HOTELに決めた。ホットシャワー付きで200B。ラオスの通貨はキップ(Kip )だけどバーツで支払えるらしい。
一休みしようかと思ったけど、やっぱりフエサイの町を見たくて散歩へ。メコンに沿ったメインストリートを下流に向かって歩く。チェンコーンのように、町の人が笑いかけてはくれない。そんなものかな…と脇道にそれて丘をのぼる。とりあえずこちらから挨拶してみる…「サバイディ」すると、笑顔で返してくれるよかった。ラオスもいいじゃん。
子どもたちがサンダルを投げてカードの山を崩す、というゲームをしている。面白いので見ていると自転車に乗った女の子が来て英語で話しかけてきた、彼女の名前はBee。15歳。
Beeの家のお隣さんの玄関先のテーブルで(お隣のお兄さんにお水をごちそうになる)しばらく話した後、Beeの家へいく。Beeは自分の使っている英語の教科書や写真をたくさん見せてくれた。一枚写真をくれると言うのでお祭りの民族衣装のものがいい、とお願いすると裏にメッセージを書いてプレゼントしてくれた。ありがとうBee
Beeに「今朝、タイからメコンに上る朝日を見たので、今度はラオスからメコンに沈む夕日も見たい。」と話すと、なんと彼女が運転するバイクの後ろに乗せて丘の上まで連れて行ってもらった。とても眺めがよくて、ばっちり夕日が見えた。Beeは運転が上手で凸凹道もすいすい進む。フエサイの町、Beeの学校も案内してくれてMANIRATH HOTELまで送ってくれた。また明日会いに来てくれる約束をしてBeeと別れる。
ホテルの前に座っていたフランス人夫妻と少し話す。私がフエサイからラオスの古都ルアンパバンまでメコンを通る船で移動する予定、と話すと、彼らは逆の道のりをスローボートで3日かけて来た、とのこと。私がスローボートかスピードボートか迷っている…というと、絶対にスローボートがいいスローボートにしなさいと強く勧められる(偶然かもしれないけれど、この後も旅で出会ったフランス人は主張の強い人が多かった…)
フエサイの町はタイから電気を買っているそう。メコンを越えてタイからラオスに電気が流れている。フエサイは電気の通じる時間が決まっている(夕方から夜の短い時間?)ようなので、早めにシャワーを浴びて就寝…。