(「バックパッカーの旅」カテゴリーは大学生時代の回想シリーズです。本文中の名前はだいたい仮名です。タイの通貨1Bバーツは当時3円程度。ラオスの通貨はKip。 1円=60kipくらい。前回までの話はこちら)
昼寝の後、夕方ワットタットノイ(お寺)へ行ってお勤めに参加させてもらう。偉いお坊さんたちはどこかの村へ出張中とかで、ボウアシーら少年僧ばかり5人と、欧米人の旅行者数人と私。少年僧のお経はまるで合唱のようにハモっていて美しく、感動
お勤めの後、ボウアシーや他の少年僧さんたちと、フランス人女性、カナダの女の子、カナダ人男性のパスカル、私で話をする。
英語、フランス語、ラオ語、タイ語が飛び交う。私以外の旅行者はフランス語で話していたけど、私はなんとか頑張って英語
日本人の名前には意味があるんでしょう?と聞かれ、私の名前について聞かれたので「理子はscienceかなー」と言うと、フランス人女性が『私はヨーコというニックネームを持っているの。どういう意味』と。
「漢字で書いて初めて意味が生まれるの。ヨーコだったら『洋子』が一般的かな。たぶんオノヨーコと同じ。Oceanという意味よ。」と説明すると、次々にみんなが自分の名前はどんな意味と聞いてくるので、一生懸命に漢字を当てはめて意味を説明して・・・下手な英語で四苦八苦
ずっと頑張って英語で話していたら、突然カナダ人のパスカルが『ところで日本のどこからですか?私は7年間日本に住んでいました。』と、完璧な日本語で話し出すもう、びっくりするやら恥ずかしいやら日本人相手に下手な英語で話していたような恥ずかしさ。騙された〜。
翌朝は早朝5時からお勤めがあるそう。旅行者たちも来るとか来ないとか・・・ボウアシーたちも(偉いお坊さんたちいないし)やるとかやらないとか言っているので、まあ、起きれたら来るわ、とゆるく約束して帰る。
お寺からの帰り道、昨日会った日本人3人(滝に誘われたけど結局行かなかった)に会い、これからインド料理屋さんへ行くと言うのでノリノリで着いていく。他にも合流して日本人6人でインド料理へ。(ルアンパバンにこんなに日本人いたのか、とびっくり。)
ビール、インドカレー、ナン、その他色々をお腹いっぱい食べ、1人3ドルくらい。日本語をたくさん話せて楽しかった。
夜遅くなったので暗くて誰もいない道がこわくてドキドキしながらゲストハウスへ走って帰ると、ゲストハウスのドアが閉まっている。ガンガン叩くと大学生スタッフのカオが開けてくれた・・・怖かったよー