十六世紀の終わり、朝廷は法勝寺、元応寺の再建をあきらめ、それぞれの末寺であった西教寺、聖衆来迎寺に吸収します。真盛以降独立色を強めていた西教寺では法勝寺流黒谷戒家の儀軌が守られ、明治以降は天台真盛宗として独立しますが、比叡山の傘下にとどまった聖衆来迎寺では、安楽律の風靡とともに元応寺流は忘れ去られます。
※西教寺には明智光秀の供養塔、明智一族の墓、聖衆来迎寺には森可成の墓があります。
さて次回以降、戒灌頂そして恵檀抗争最終リターンマッチとしての安楽律・闢邪篇と話しを進める予定ですが、一端ここで小休止。次回は大脱線の予定。!(^^)!
※西教寺には明智光秀の供養塔、明智一族の墓、聖衆来迎寺には森可成の墓があります。
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