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pride and vainglory -澪標のpostmortem(ブリッジ用語です)-

初歩の文書分析と論理学モドキ(メモ)

インタールード 手記❶

2020-08-06 09:00:25 | 「夢の回廊・現の碑」
これから紹介するのは、戸籍上の曽祖父(ちなみに名前は明人)の手帳の内容である。原文は漢文調の仮名交じり文であるが、そのニュアンスを可能な限り保ちつつ、現代文にして紹介する事とする。


 この手記を読む事となる余の子孫にまずご挨拶申し上げる。この手記を読んでいる以上は余の遺言を聞いた事となるので、貴台(御子孫殿をどうお呼びすべきか、首を捻ってみた結果こうお呼び致す事とした)にとって余は初対面ではない事となる。余にとっても、貴台が余の想定した人物であるならば、あの世界において何度もお会いしておる。最も幼少時の貴台にだが。あの世界において余が見通せるのは貴台の幼年時が未来の下限であるようだ。従ってお初にではなく、再開を祝ってと申し上げておく事とする。

 余がこの手記を筆記しておる現時点は1930年夏。余の死まで数年。この国が未曾有の大敗北を喫するまで10数年といった所だ。数十年の空騒ぎの果てに元も子もなくす様をこの眼で見る事が出来ぬのは残念だが、あの世界に出現する絶望・悲嘆・願望を聞く限り未曾有の災禍となる事は容易に推察できる。
 この事自体は、この列島に住まう人々が何度も繰り返してきたレミングの行進の最新例に過ぎず、一所懸命・分際分限にどっぷり浸ったままの近代化、あるいは律令制の立憲君主制による換骨奪還などという、その場凌ぎを続ける毎に払ってきたツケが、今回は一層盛大に回ってきたというだけの事。
 この永劫回帰の愚行の連鎖を如何にして断ち切るか、余の生涯の課題の一つではあったが、結果としていささかの寄与も果たすことが出来なかったことは慙愧のいたりである。しかしながら余はその解決にも寄与すべき謎の一端に触れる事が出来た。本手記はこの件における経緯を記載し持って貴台による更なる探索を期待するものである。

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