▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
新選組史跡踏査
五兵衛新田(金子邸)
2006-05-04 / 流山
鳥羽・伏見の戦で井上源三郎が戦死、沖田総司も病気で離隊、そのうえ永倉・原田も去ってしまった新選組。
慶応4(1868)年3月中旬、近藤と土方は新選組の再起のため、五兵衛新田(東京都足立区)に拠点を移した。その際に滞在したのが、この「金子左内宅」である。この地で新隊士を募集し、230人近くまでその勢力を復活させた新選組は、4月1日、流山へ移動していくのである。
なお、勝沼で新政府軍に抗戦してしまったため、近藤は「大久保剛」から「大久保大和」に変名している。
発見難易度 ★★★☆☆
大きな通りから一本入った細い路地にあります。車もほとんど通りません。なお、家の前に説明版があります。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
五兵衛新田(観音寺)
2006-05-04 / 流山
五兵衛新田では、金子邸を本陣とした新選組だが、新規に募集した隊士の数も増え、金子邸だけでは収容しきれなくなったっため、隊士を付近に分宿させた。その一つが観音寺である。
発見難易度 ★☆☆☆☆
結構わかりやすいです。偶然通りかかった人も山門前の説明版を読んでます。平成18年に本堂がリニューアルされやようで、やたらキレイです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )