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新選組史跡踏査
天保山跡
当時、天保山沖には旧幕府の艦隊が停泊していた。鳥羽・伏見の戦いで敗れた旧幕府軍が、起死回生を図ろうとしていたその時、時の将軍・徳川慶喜は、艦長である榎本武揚を大坂に残したまま、開陽丸に乗って江戸へと脱出してしまった‥。その結果、総大将を失ってしまった新選組も、やむなく天保山港より江戸へと帰還することになったのである。 なお、江戸へ帰還する船の中で、監察・山崎烝が死亡、水葬されたという説もある。
現在周辺は「天保山公園」になっており、公園内には跡碑が立っている。
発見難易度 ★★☆☆☆
天保山公園はすぐに見つかりますが、公園への入り方によっては、碑が見つけにくいかもしれません。
天保山は日本一低い山(標高4.53m)だそうです。登山証明書ももらえるらしい(笑)。
築山であり、もともとは20mほどあったものの、土砂の採掘や地盤沈下により、今の標高になりました。
「大坂天保山」 歌川広重画
この他にも、往時の天保山を描いた壁画が見られます。
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