ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

三軒茶屋交差点から茶沢通りを歩く

2014年09月26日 12時43分14秒 | まち歩き

 学部生であった頃から、三軒茶屋にはよく行きました。高校生であった時分からよく読んでいた「植草甚一スクラップ・ブック」全集(晶文社)の影響を受けたのです。もっとも、ジャズ関係の巻しか持っていませんが、世田谷区は経堂駅付近に住み、何かと三軒茶屋、池尻、下北沢、渋谷、神保町、六本木、本郷などをまわっては古本屋で大量の古本を購入していた植草氏の生活スタイルに興味を持つには十分でした。

 とくに大学院生の5年間は、溝の口から田園都市線・新玉川線(現在は田園都市線に統合)を通学路線としていたため、三軒茶屋にはよく行きました。途中下車をするにはうってつけの街であったためです。再開発によってキャロットタワーができるまで、下町がそのまま移転してきたような街並みであり、今よりも古本屋などが多かったのです。また、三軒茶屋駅周辺には美味しい食事を楽しめる小さな店も多いことも、この街を歩く楽しみの一つです。

 大東文化大学法学部に勤めるようになってからは、目黒線や東横線を利用するようになったため、三軒茶屋へ行くことは少なくなったのですが、田園都市線沿線に住むようになってからは、再びよく行くようになりました。

 田園都市線に乗り、三軒茶屋駅で降りて北口Aを利用すると、茶沢通りの入口付近に出ます。ここに、三軒茶屋という名称の由来の一つが現存しています。上の写真にあるお店です。現在は陶器店ですが、かつては茶屋でした。

 三軒茶屋交差点は、渋谷から伸び、駒沢、瀬田に向かう国道246号線と、上町、登戸に向かう世田谷通りとが交差する場所です。江戸時代、太子堂村と言われたこの辺りで、旧大山街道は二つに分かれていました。元々の道は渋谷方面から上町、登戸へ向かうほうであり、駒沢、瀬田へ向かう道路は新しい道でした。まさにこの分岐点に三軒の茶屋があったため、いつしか三軒茶屋と言われるようになったのです。

 三軒の茶屋は、田中屋、信楽、角屋です。まず、田中屋は、現在とほぼ同じ位置だったようですが、三軒茶屋栄通商店街のサイトにある「三軒茶屋の歴史」というページに掲載されている古地図を見ると、現在の青葉病院やみずほ銀行世田谷支店の辺りに田中屋があったのではないかと思われます。なお、いつ頃のことは明らかでないものの、田中屋は火事で焼失したそうです。その火事のために移転した結果が、現在のお店ではないでしょうか。ちなみに、かつてこの近くに、植草氏もよく足を運ばれたヒサモトという洋菓子店がありました(この店で初めてエスプレッソを飲みました)。

 次に信楽は、ちょうど国道246号線と世田谷通りが分岐する箇所の内側にあったようで、そこに道標もありました。現在はカラオケ店のビッグエコーがあり、道標も残されています。信楽は後に石橋屋、石橋楼と名称を変えており、洋風喫茶店として残っていたようです。しかし、1945(昭和20)年、建物強制疎開令を受けて閉店したとのことです(「三軒茶屋の歴史」によります)。

 最後に角屋です。この茶屋は、三軒茶屋交差点から現在の国道246号線を駒沢方面に少し進んだ場所にありました。明治時代に閉店したとのことなので、詳細はわかりませんが、「三軒茶屋の歴史」の地図を見る限り、現在の農獣医学部通りの入口辺りにあったようです。現在はパチンコ屋となっています。ちなみに、この農獣医学部通りは、かつて日本大学の農獣医学部があったことにちなんでおり、飲食店などが並んでいます。入口付近には、かつて、ジンギスカン定食が美味しかったお好み焼き屋がありました(何年も前に閉店しています)。

 農獣医学部通りに限らず、三軒茶屋駅周辺は大中小様々な飲食店が多く、その数は、渋谷駅周辺を除けば田園都市線各駅で一番ではないでしょうか。しかも、美味しい食事を楽しめます。勿論、酒を飲むにもよいでしょう。

 三軒茶屋駅は、その名称にも関わらず太子堂を公式の住所としています。田園都市線の駅は太子堂二丁目、世田谷線の駅は太子堂四丁目です。大まかに言えば、三軒茶屋交差点の南側は三軒茶屋、北側は太子堂です。茶沢通りの東側が太子堂二丁目、西側が太子堂四丁目です。

 茶沢通りをまっすぐ進みます。途中に西友三軒茶屋店がありますが、これが緑屋の発祥の地です。さらに進み、坂を下り、烏山川緑道を越えると三丁目と五丁目で、三丁目側に、写真のビルがあります。ゴリラビルという名称です(愛称ではないようです)。六本木のハード・ロック・カフェを思い出させる巨大なゴリラは、右手に女性を乗せています。映画の「キングコング」に題材をとったのでしょうか。Googleで検索をかけると、このビルを話題とするサイトが見つかりますので、そちらも御覧ください。

 脇道に太子堂商店街の幟がありました。何年前に流行ったキャラクターかな、などと思いながら撮影しました。三軒茶屋駅周辺の商店街は、太子堂にあっても三軒茶屋を名乗っているため、この商店街は茶沢通りの太子堂三丁目・五丁目地域に展開しており、淡島通りとの交差点である代沢十字路付近までと考えればよいでしょう。

 「聖徳太子参道」です。茶沢通りにあります。太子堂という地名で、太子とは聖徳太子のことなのだろうか、などと考えながら歩くと、太子堂三丁目に圓泉寺(円泉寺)という真言宗の寺院があり、そこに太子堂が置かれています。言うまでもなく、現在の地名の由来です。圓泉寺のサイトによると、南北朝時代にはこの地に太子堂が置かれていたそうです。1595(文禄4)年、賢恵という大和尚によって中興が果たされ、以後、江戸時代を通じて発展していきます。明治時代に入って廃仏毀釈運動の影響を少なからず受けましたが、かつてより規模は小さくなったようではあるものの、現在まで続いています。


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