ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

第3部:地方税財政制度 第8回:「地方税財政制度」および「地方税財政法」という用語について

2019年10月22日 00時11分25秒 | 財政法講義ノート〔第6版〕

 (都合上、第3部の初回から始めさせていただきます。)

 第2部においては、国の財政制度として、予算、決算、国債を取り上げてきた。本来は、さらに、会計法の分野を取り上げ、概観および検討をなす必要がある。実際に財政法を運用する際には、会計法における様々な技術や問題を知る必要がある。しかし、限られた講義時間において国および地方の財政法制度を扱うとなると、割愛せざるをえない。

 今回から、第3部として地方税財政法制度を概観し、検討する。ここでは、地方税法、地方財政法、地方交付税制度、国庫補助負担金制度、そして地方債制度などを扱うこととなる。

 ●「地方税財政制度」および「地方税財政法」という用語について

 この講義においては、「地方財政制度」ではなく「地方税財政制度」という表現を用いる。また、地方財政法という用語を全く使用しない訳ではないが、実質的な意味における地方財政法については、主に地方税財政法という表現を用いる。後にも説明するが、ここで、地方財政法ではなく、地方税財政法と表記することについて、説明しておく。

 一つには、講義の便宜がある。実質的な意味における財政法の中には租税法という分野があり、大学の法学部などにおいては租税法という名称の講義がある。しかし、その場合、国税である所得税、法人税、相続税、消費税などが中心となる。住民税、事業税、固定資産税、地方消費税などが扱われることは少なくないが、主に国税との関係において扱われる。おそらく、地方税、あるいは別の名称による、地方税制のみを扱う講義は存在しないものと思われる。しかし、地方分権型社会というのであれば、地方公共団体の歳入の中心は租税であるべきであろう。

 この講義においては、形式的意義における地方財政法のみならず、概略的ではあるが地方税制度を扱う。国の財政法制度については、実質的意義の財政法のうち、租税法を項目に入れていなかった。このために、国については財政制度、地方については税財政制度と記している。

 もう一つには、実際の地方財政制度の運用に着目しているという理由をあげることができる。日本の場合、普通地方公共団体間の格差が激しいので一概には言えないが、平均すると、本来的に歳入の中心となる租税収入の割合が低い。

 また、地方税の場合、国税よりも多く、租税法学の理論のみでは理解しえない部分が存在する。例えば、国民健康保険税は、実質的に租税ではなく保険料であり、市町村財政では他の租税と異なる扱いを受ける※。それに、地方税制度そのものをみても、法定外普通税・法定外目的税の例が代表的であるように、国・地方関係が重要である。これは地方自治制度そのものの問題でもあり、地方財政制度の根本的な問題の一つでもある。

 ※この点については、拙稿「地方目的税の法的課題」日税研論集46号(2001年)301頁、同「租税法律主義・地方税条例主義の射程距離(下)―旭川市国民健康保険条例訴訟最高裁大法廷判決の検討を中心に」税務弘報54巻14号(2006年)135頁を参照。

 いずれにせよ、国の場合以上に、地方の場合は、租税制度と、その他の財政制度とが密接に関係してくるのである。

 ■日本国憲法と地方税財政制度についての、私の問題意識

 既に、憲法の講義を受けた方、教科書を読まれた方であればおわかりであると思うが、日本国憲法は、国民主権原理を強力に担保し、かつ、充分なものとするために、地方自治制度を規定する。

 地方自治制度は、歴史的にみるならば、実力を高め、中央集権化していく国家権力への対抗勢力的な存在でもある※。地方自治の本旨の一側面と言われる団体自治は、中世の自治都市(ハンザ同盟など)を想起すれば理解できるように、国民主権原理とは無縁のものであるし、イタリアなどの都市の自治も、実態は貴族制に近いものであったという。近代国家の原理は、こうしたものを克服して成長しつつ、中央権力、すなわち、国家権力そのものを強化していった。その意味においては、国民国家原理の高まりという風潮における、或る意味での妥協的な産物なのかもしれない。しかし、フランスのトゥクヴィルがアメリカの連邦国家制度を観察して「地方自治は民主主義の学校である」という言葉を残し、イギリスのブライスも同じ言葉を残したように、いかに国民国家原理を高め、民主主義の要素を高めていったとしても、各地域における自治が存在しなければ、国民主権原理を確固としたものとすることはできない。日本で最初の近代憲法である大日本帝国憲法が、第二次世界大戦によって自壊したことの根本的な理由は、地方自治を制度として規定しておらず、中央政府の肥大化や軍部の暴走などを根本から防止するための手立てを取らなかったが故のことである、とも言えるのではないであろうか。

 ※絶対王政の時代を考えていただきたい。なお、これは、多分に西欧の歴史に基づく記述であり、日本にも同様のことが妥当するか否かについては、さらに検証を必要とするであろう。しかし、江戸時代における諸藩の実態などをみるならば、形は違えども共通する部分は少なくないと思われる。

 それでは、地方自治制度を憲法上の制度と位置づけるとして、これを十分に機能させるには何が必要とされるのか。

 日本国憲法第92条には「地方自治の本旨」という文言がある。これはあまり明確な概念と言えないのであるが、憲法学説などにおいては、団体自治と住民自治があげられる。これについては異論があるかもしれないが、一応、憲法学説などの通説に従うこととする。

 団体自治は、特定の地域という側面に立脚する団体(例えば市町村)が、国家(中央政府)から独立して、その地域に関する事務を行うことである。日本においては、地方自治法第2条第1項に示されるように、地方公共団体には法人格が与えられている。この規定は、まさに団体自治の側面を示すものである。特別地方公共団体の場合については、上記と異なる説明が求められることとなるが、地方自治法の構造からしても、基本的には多くの規定を普通地方公共団体に向けているのであるから、ここでは普通地方公共団体のみを前提としておけばよいであろう。また、特別地方公共団体でも、特別区については、もはや普通地方公共団体と同様に「地方自治の本旨」が妥当すべき存在となっていると考えてよいであろう。

 既に、このことから、地方公共団体が存立するためには、一定の財源、一定の財政制度が必要とされることが明らかである。勿論、この場合、「地方自治の本旨」のもう一方である住民自治を忘れてはならない。住民自治は、国民主権原理になぞらえるならば、地方公共団体の権力性と正当性に関わると考えるべきであり、国家から独立して、その地域に関する事務を行う団体が行う事務処理の決定過程などに地域の住民が参加することである。地方公共団体が独自の財産などを有し、それを基にして収益事業などを行うのであれば話は別であるが、基本的に地方公共団体は、その地域の住民によって構成されるために社団法人としての性格を有する。このことからして、地方公共団体の運営に際しては、何らかの形で住民の負担に頼らざるをえない。ここに、国税とは別に地方税が必要とされる理由が存在する。また、地方税以外の財源の必要性などの理由も存在する。

 以上を前提としつつ、ここで、日本国憲法と地方税財政制度との関係について、私の問題意識を述べておきたい。

 日本国憲法は、第92条ないし第95条以下において地方自治に関する規定を置く。しかし、これらの規定には、地方公共団体(都道府県および市町村)の税財政制度の基本的枠組みに関する内容は含まれていない。むしろ、日本国憲法は、地方公共団体の税財政制度については具体像を示さず、沈黙していると評価してよい。

 拙稿「地方税立法権」日本財政法学会編『財政法講座3 地方財政の変貌と法』(2005年、勁草書房)33頁。同「憲法と地方自治―地方税立法権を中心に―」住民と自治541号(2008年)8頁も参照。また、後掲の拙稿(「ヘンゼルの地方財政調整法制度論」および「ドイツの地方税財源確保法制度」)、中里実「地方税条例の効力の地域的限界」地方税51巻11号(2000年)4頁、水野忠恒「法定外地方税における地方団体の課税権とその限界―アメリカ合衆国の州際通商条項におけるNexusを参照して―」地方税52巻5号(2001年)13頁も参照。

 勿論、第92条は「地方自治の本旨」を掲げており、第94条は「地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有す」ると規定する。このことから、地方公共団体が独自の税財政制度を持つことは許容される、否、要請される。しかし、その制度の基本的な枠組みは「法律でこれを定める」のである。憲法が国の基本法であり、政治制度などの基本を定めるものであることからすれば、具体的にいかなる地方税財政制度を構築するかという問題は、結局のところ、中央政府の権限決定権に委ねざるをえない。

 拙稿・前掲書31頁。なお、この記述は、私が、日本租税理論学会第14回大会(2002年11月16日、中央大学駿河台記念館)において行った個別報告「ヘンゼルにおける地方財政調整法理論」、および、日本財政法学会第21回大会(2003年3月15日、中央大学駿河台記念館)において行った報告「地方税財源確保法制度の国際比較―ドイツの場合―」を基にしている。いずれの報告も、修正を加えた上で、両学会の叢書に掲載されている。拙稿「ヘンゼルの地方財政調整法制度論」日本租税理論学会編『相続税制の再検討(租税理論研究叢書13)』(2003年、法律文化社)167頁、同「ドイツの地方税財源確保法制度」日本財政法学会編『地方税財源確保の法制度(財政法叢書20)』(2003年、龍星出版)75頁。

 大日本帝国憲法と日本国憲法とを比較すると、大日本帝国憲法には地方自治に関する規定が存在しなかったが故に、地方自治に対して冷淡であったのは当然であろう。地方自治制度の歴史については他の講義を聴かれたいが、地方自治制度、そして地方税財政制度が存在したとは言え、それは、憲法上の制度ではなかったがために、中央集権の便宜に適うべきものであった。大正期に地方分権を求める動きが存在したとは言え、到底、実るようなことはなかった。天皇主権の下において地方分権を進めることは、理念的に相当な困難を伴う、否、根本的な部分において実現不可能であったと思われる。

 この点について、例えば、宮本憲一・小林昭・遠藤宏一編『セミナー現代地方自治―「地域共同社会」再生の政治経済学―』(2000年、勁草書房)32頁[宮入興一担当]は「地方自治制度の制定が中央の統治の障害になるとの危惧は、当時、この制度を推進した山県有朋らの官僚も抱いており、これに対処すべくとられた制度が、モッセ(Albert Mosse)らの提言をいれた『機関委任事務』に他ならない」と述べる。

 これに対し、日本国憲法は、とくに地方自治に関する一章を設け、地方分権型の国家を目指すという方針を明らかにした。しかし、現実には、1999(平成11)年に制定され、翌年に施行された地方分権一括法(正式名称は「地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律」)によって廃止された機関委任事務が、大日本帝国憲法時代から引き継がれ、強化されるなど、中央政府の意向によって、一見すると分権的、しかし実は中央集権的という体制が維持されてきた。そればかりでなく、地方分権という言葉にも、実は曖昧なところがあり、1970 年代以来の革新自治体などの経験を踏まえた市民運動家などの「住民自治」派の立場と、一部の政治家・学者・財界などによる「新自由主義」の立場とによって、地方分権の色合いは微妙に異なっている。そのことが地方分権推進法および地方分権推進委員会による中間報告や諸勧告に現れているため、内容・方向性ともにわかりにくくなっていることは否定できないのである〈詳細は、拙稿「日本における地方分権に向けての小論」大分大学教育学部研究紀要20巻2号(1998年)191頁を参照〉

 ただ、地方分権という場合、単に事務の配分なり移譲なりのみを意味するものではないことは当然であろう。これまでにも、日本の地方公共団体は、国と比較しても多くの事務を担当してきた。その点では中央集権的であるというより、地方分権的である。真の問題は、事務に関する決定権限の問題である。その典型が、かつての機関委任事務である。これは、実際には地方公共団体が担当するにもかかわらず、それが普通公共団体の事務とされず、国から普通地方公共団体の長に委任されたものとして、しかも普通地方公共団体の長を国の機関と位置づけて行わせてきた事務をいう。機関委任事務の存在は、はしなくも事務についての決定権限が普通地方公共団体にではなく、国に存在することを示している※。事実、地方分権一括法施行前の地方自治法は、機関委任事務に対する議会の関与を、基本的には認めていなかった。認めていたとしても、それは非常に限られた範囲のことである。これでは中央集権的であると言わざるをえない。

 ※このため、普通地方公共団体の長は、事務を委任する国の下部機関として、国、より丁寧に記すならば所掌する省庁の大臣の指揮監督の下に置かれていた。また、委任に際して法律の根拠によらない場合も少なくなく、不透明なものとして批判を受けることも多かった。

 地方分権とは、何よりも、一定の事務に関する、少なくとも第一次的な決定権限を、中央政府が独占するのではなく、地方公共団体(政治学や財政学などにいう地方政府)に分け与える、あるいは移譲するということである。事務の配分がなされるのは言うまでもないが、それだけでは地方分権がなされたと言えない〈拙稿「地方税立法権」日本財政法学会編『財政法講座3 地方財政の変貌と法』31頁〉

 そして、事務、それに関する第一次的な決定権限の配分だけでは、地方分権として不十分である。当然ながら、独自の決定に基づいて何らかの事務を行うと言っても、自由に使える資金がなければ話にならない。自らの収入源があり、そこから必要かつ十分な収入を得て、その収入に基づいて支出をなせるのでなければ、独立した存在とは言えないであろう※。時折、学生などに対して私が用いる(妙な)比喩を記すと、子(地方公共団体)がアルバイトなどをして稼ぐお金では、到底、自分の生活に必要な資金を全て賄うことができず、親(国)からのお小遣いなり仕送りなりに頼らなければならないというのでは、その子は自立した生活を送っているとは言えないであろう。

 その意味において、地方税法第37条の2および第314条の7に定められる「ふるさと納税制度」は、地方税財政制度の根本的な改善につながりえないだけでなく、 地方自治法第10条第2項に定められる負担分任原則、さらに住民自治の理念からの逸脱がみられるなど、理論的な問題が少なくない。個人住民税の寄付金控除のあり方や問題点に関する議論を喚起したという点に一定の役割が認められるという程度に過ぎないであろう。詳細は、拙稿「個人住民税の寄附金控除制度―『ふるさと寄附金控除』制度と『ふるさと納税』制度についての若干の検討」税務弘報56巻3号(2008年)105頁、同「2015(平成27)年度税制改正の概要と論点〜地方税制の重要課題を中心に〜」自治総研440号(2015年)85頁、同「地方税法等の一部を改正する法律(平成27年3月31日法律第2号)」自治総研446号(2015年)57頁を参照。

 最終的な決定権限などは国に、そして国民に留保されるということを前提とした上で記しておくならば、税財源、より一般的に言えば税財政における権限配分がなされ、完全に、とは言えないまでも、相当程度に地方公共団体が自立できるようにならなければ、地方分権は完成しない〈拙稿「地方税立法権」日本財政法学会編『財政法講座3 地方財政の変貌と法』31頁〉

 少々、本題から離れた記述が長くなったかもしれない。しかし、この講義を進めるにあたり、現在、私が抱いている問題意識の一端を示す必要があると考えたが故のことである。

 付記:日本財政法学会編の財政法講座全3巻は、いずれも2005年5月に勁草書房から刊行された。また、2008年12月に、これらの韓国語訳が韓国法制研究院より刊行されていることも記しておく。

 第1巻:財政法の基本問題

 第2巻:財政の適正管理と政策実現

 第3巻:地方財政の変貌と法

 

 ▲第6版における履歴:第7回として2019年10月22日掲載。

            2020年2月23日、第8回に繰り下げ。

 ▲第5版における履歴:未掲載。


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