ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

8月28日に終了 東横線90周年ラッピング

2019年08月14日 11時53分50秒 | 写真

 2017年9月から約2年間、東京急行電鉄東横線を走る5000系5122Fに東横線90周年ラッピングが施され、運行されてきました。一度延長されたとのことですが、この程、8月28日に終了すると発表されました(東京急行電鉄のサイトによります)。

 8月12日、久しぶりに、田園調布一丁目にある多摩川駅(TY09、MG09、TM01)へ行きました。3番線・4番線ホームに立って電車を待っていたら、ちょうど5122Fがやってきました。

 多摩川駅の2番線と3番線(目黒線の乗り場)にはだいぶ前からホームドアが設置されていましたが、1番線と4番線(東横線の乗り場)には最近になって設置されたのか、まだ稼働はしていません。

緑色の電車が、多摩川浅間神社の下の急カーブを超えてやって来ました。急行和光市行きです。

この緑色は、渋谷駅前のハチ公前広場に置かれている初代5000系の色です。勿論、初代5000系は東横線を走っていました。

そして、現在の5000系(つまり2代目です)のうち、東横線に投入されたこの5122Fにラッピングが施されています。

運転席の窓のそばに90周年のヘッドマーク、貫通扉には初代5000系が付けていた運行番号表示を真似た「90」のシールが貼られています。

 側面には、上の方に「東横90周年」のシールが貼られています。急行で運用される際に取り付けられていた、赤地に白字の「急行」サボをイメージしたものでしょう。ただ、私は、初代5000系が急行で運用されているところを見たことがありません(私が幼少の頃の急行と言えば初代7000系か7200系でした)。

 下の方には、昭和40年代まで使用された「T.K.K.」が再現されています。Tokyo KyuKoの略らしいのですが、戦後間もなくの頃には「Totemo Konde Komarimasuの略か?」と尋ねられたのに対し、従業員が「Tottemo Kireina Konodenshaにするように頑張ります」と答えたとか。こんな話を何かの本で読みました(正確でないかもしれません)。

 多摩川駅は、1923(大正12)年3月11日に目黒蒲田電鉄の駅として開業しました。この日に目黒〜丸子(現在の沼部)が開業した訳ですが、現在とは場所が異なり、多摩川浅間神社の入口のそばにある東急多摩川線の踏切の辺り、ちょうどバスの折り返し場(かつて東急スイミングスクールがあった所)にありました。1926(大正15)年1月1日、現在の場所に移転するとともに丸子多摩川と改称します。1931(昭和6)年1月1日に多摩川園前と改称、1977(昭和52)年12月16日、多摩川園と改称、そして2000(平成12)年8月6日、現在の多摩川に改称されます。元の名前に戻った訳です。

 ちなみに、2000年8月6日は、目蒲線が目黒線と東急多摩川線に分割された日であり、新玉川線が田園都市線に統合され、二子玉川園の駅名が二子玉川に改められた日です。

 横浜方面側のクハ5822です。東横線には、5000系が4編成あり(5118F、5119F、5121Fおよび5122F)、いずれも8両編成です。横浜高速鉄道みなとみらい線、東京メトロ副都心線はもとより、西武有楽町線・西武池袋線、東武東上線にも乗り入れができます(もっとも、東武東上線に乗り入れるのは志木駅まででしょう)。

 2代目となる現在の5000系は、元々、2002(平成14)年に田園都市線用としてデビューしました。そのため、東京メトロ半蔵門線、さらに東武伊勢崎線・日光線にも乗り入れます。混雑緩和策として6扉車も投入されましたが、田園都市線でのホームドア設置のため、現在は4扉車に統一されました。

 5000系シリーズと言えば、田園都市線(そして4編成が東横線)の5000系、東横線の5050系(8両編成)および5050系4000番台(10両編成)、目黒線の5080系(6両編成)、そして横浜高速鉄道Y500系ですが、大井町線急行用の2代目6000系、池上線・東急多摩川線の2代目7000系も5000系を基本としています。

 東横線90周年ラッピング車を取り上げながら、まだ東横線の歴史を記していません。それでは、取り上げていきましょう。

 東横線は、目黒蒲田電鉄の系列会社である東京横浜電鉄として、1926年2月14日に開業しました。最初の区間は丸子多摩川、つまり現在の多摩川駅から神奈川駅(反町駅と横浜駅との間にあった駅。1928(昭和3)年に移転後、1946(昭和21)年に休止、1950(昭和25)年に廃止)までです。開業時から目黒蒲田電鉄に乗り入れたため、目黒〜神奈川の営業運転が行われていました。現在の目黒線と同じような形が採られた訳です。ちなみに、開業時には武蔵小杉駅と東白楽駅がなかったのでした。東白楽駅は1927(昭和2)年3月10日に開業しているのですが、現在の武蔵小杉駅が開業したのは1953(昭和28)年4月1日になってからのことです。この駅は、1939(昭和14)年12月11日に開業した工業都市駅と1945(昭和20)年6月16日に開業した旧武蔵小杉駅を統合することによって生まれた訳です。

 現在の東横線の起点は渋谷駅ですが、渋谷〜丸子多摩川の区間は1927(昭和2)年8月28日に開業しました。現在、この区間にある全ての駅が同時に開業していますが、渋谷駅と代官山駅との間には並木橋駅がありました。1946(昭和21)年5月21日に廃止されましたが、東横線が地下化するまでは並木橋駅の痕跡がありました。しかし、現在はありません。再開発の際に並木橋駅の跡を示して欲しかったものです。

 神奈川駅から先の区間は、1928(昭和3)年5月18日に神奈川〜高島(同年8月3日に本横浜と改称され、1931(昭和6)年1月20日に廃止)、1931年1月20日に高島(本横浜)〜高島町、1932(昭和7)年3月31日に高島町〜桜木町が開業します。これで、渋谷〜桜木町の東横線が完成したのですが、2004(平成16)年1月31日に横浜〜桜木町が廃止されました。横浜高速鉄道みなとみらい線が開業したのは2004年2月1日です。

 東急で最も早くホームドアが整備されたのは、東京メトロ南北線、埼玉高速鉄道線および都営三田線と相互直通運転を行う目黒線です(但し、正式には田園調布〜日吉が東横線)。続いて東横線、大井町線、田園都市線と整備が進んでいます。東京急行電鉄のサイトによれば、東横線ではこの多摩川駅(東横線のみ)と白楽駅のみが未設置となっていますが、多摩川駅での稼働はもうすぐでしょう。また、大井町線では下神明駅、戸越公園駅、旗の台駅、北千束駅および等々力駅が未設置となっており(逆に大井町駅は東横線のほとんどの駅より早い時期に設置されています)、田園都市線では宮崎台駅、鷺沼駅(1番線および4番線)、青葉台駅、つくし野駅、すずかけ台駅、南町田駅および中央林間駅が未設置となっています。 

 2013年3月18日には、東京メトロ副都心線、および同線を通じて東武東上線、西武有楽町線・西武池袋線との相互直通運転も始められました(その前日をもって東京メトロ日比谷線との相互直通運転が中止されたのは残念ですが)。途中に、散歩などを楽しめる街も多い東横線を、幼少時から何度も利用しています(逆に、湘南新宿ラインはほとんど利用したことがありません。そのため、同線の武蔵小杉駅も利用したことがありません)。次は100周年記念ラッピングが楽しみです。勿論、初代5000系を模した色彩で。


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