ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2010年3月3日および5月25日、高津駅

2019年12月27日 00時00分00秒 | まち歩き

 最初にお断りです。今回は、私の「川崎高津公法研究室」に掲載していた「待合室」の、次の記事の再掲載です。

 第368回:「東急田園都市線途中下車(2) 高津駅(その1)」(2010年5月25日撮影。2010年6月17日〜25日掲載)

 第369回:「東急田園都市線途中下車(2) 高津駅(その2)」(2010年5月25日撮影。2010年6月25日〜7月1日掲載)

 第370回:「東急田園都市線途中下車(2) 高津駅(その3)」(2010年3月3日撮影。2010年7月1日〜8日掲載)

 誤字脱字を除き、内容を修正しておりません。したがいまして、後の事情変更なども一切反映しておりません。御注意ください。

 

 「田園都市線途中下車シリーズ」第2弾は、高津駅です。区の名前を冠していますが、田園都市線の急行も準急も停まらず、大井町線に至っては通称「青各停」 (または「B各停」)しか停まらず、「緑各停」(または「G各停」)は通過します。

 朝の高津駅交差点です。ラッシュ時は過ぎていますが、近くに帝京大学附属病院があることもあって、人も車も多い所です。旧大山街道も近く、田園都市線では最も宿場町の雰囲気を強く残す所でしょう。

 高津駅の下を通るのが府中街道です。長らく県道でしたが、現在は、この先の国道246号線との交差地点である溝口交差点まで国道409号線となっています。東京湾アクアラインも国道409号線でして、川崎市高津区溝口3丁目を起点として中原区、幸区、川崎区を通り、東京湾を横断して千葉県木更津市に入り、茂原市、東金市を経由して成田市まで伸びています。

 高津区の中心は溝口で、区の代表駅も田園都市線・大井町線の溝の口駅、南武線の武蔵溝ノ口駅です。そもそも、現在、高津区に高津という町名はありません。駅は二子4丁目にありますが、私が立っている場所が溝口4丁目、信号を渡ると溝口3丁目です。

 区役所は溝の口駅、武蔵溝ノ口駅の近くにありますが、高津警察署は高津駅のすぐ近く(上の写真では右側のほう)にあります。もう少し歩いて高津交差点には公証役場があります。 さらに、高津交差点を右折して歩き続けると高津図書館に到着します。

 国道409号線も、それほど幅の広くない道路ですが、高津駅の付近は御覧のような狭い道路が多く、自動車では通行困難な場所も少なくありません(行き止まりの道もあります)。かつての宿場町は、現在、住宅地となっています。上の道路が溝口と二子との境界になっており、田園都市線の高架下は二子、歩道の反対側は溝口です。ちなみに、町名の表記は「溝口」でして、「溝の口」でも「溝ノ口」でもありません。 読み方は「みぞのくち」で、正しくは「ぞ」から「ち」まで高い音のまま発音します。最近は何故か「くち」で下げる発音が多くなっていますが、これを聞くと「この人、訛ってるな。地元の人間ではないな」とわかります。

 高津駅の改札口です。急行、準急は勿論、大井町線の緑各停も通過すること、隣の溝の口駅とあまり離れていないことから、乗降客は多くありません。それでも、朝のラッシュ時にはこの駅で降りて高津駅前バス停でバスを待つ客も少なくありません。

 この駅は1927(昭和2)年に、玉川電気鉄道の駅として開業しました。つまり、玉電の駅であった訳です。1943(昭和18)年、戦時輸送の強化という観点から二子玉川~溝の口を大井町線に移しており、高津も大井町線の駅となりました。1977(昭和52)年に完全な高架駅となりましたが、私は、下り線、上り線のどちらかのホームがまだ地上にあった時のことを、かすかに覚えています。

 高架化されてからの改札口は、ここよりかなり手前にあったはずです。また、電車とバスの博物館が高津駅の高架下にあり、改札 口より奥はその博物館の敷地でした。奥に白い工事用の柵がありますが、そこも博物館であった場所です。

 2009(平成11)年7月11日からの大井町線延伸に向けて、駅は大幅にリニューアルされました。改札口が二箇所に増え、エレベーター、エスカレーターも設置されました。

 改札口を入ると売店がありますが、この売店がかなり変わっています。何故かわからないのですが輸入ビールを、しかも瓶で売っているのです。街の酒屋ではなかなか見られないような種類のものが売られて おり、私も時々買って帰ります。

 このリトルマーメイドという店の辺り、上の写真で言えば右側のほうに、以前、 「ペコちゃん」などの愛称で知られるデハ200形の204編成が保存されていました。これは、1969(昭和44)年に廃止された東急玉川線(渋谷~二子玉川園)で活躍した2両編成の連接車で、現在の多摩川駅前にあった遊園地、多摩川園で保存されてい たものです。 閉園後、しばらく経ってから高津駅に移動されました。

 1982(昭和57)年4月、電車とバスの博物館が高津駅の高架下にオープンします。しばらく経ってから、204号編成は二子新地側に増設された3号館に移 され、この場所に東急の前身である目黒蒲田電鉄および東京横浜電鉄のモハ510形が置かれていました。東急になってからデハ3450形となり、 最後は目蒲線と池上線で活躍した車両で、トップナンバーである3450号がモハ510形の登場時の姿に復元されたのでした。高津駅の複々線化工事が開始されるに伴い、電車とバスの博物館は休館となり、2003(平成15)年に宮崎台駅の高架下に移転して再開しました。それとともに、204号編成とモハ510形も宮崎台駅高架下に移転しています。

 既にデハ200形およびモハ510形が宮崎台に移動してからかなりの時間が経っていますので、記憶が曖昧になっていますが、いずれの車両も2本の柱の後ろ辺りに置かれていたはずです。これらの電車が置かれたのは1980年代で すので、私の中学生時代、高校生時代と重なります。時折、ここに寄っては見ていましたし、入場料が大人も子どもも10円という安さもあって、よく電車とバスの博物館に入りました。宮崎台に移転してからは、大分大学在職中に一度だけ行ったことがあります。

 

 前回は高津駅を取り上げましたが、その続きです。駅に入り、4番線に上がって電車を待ちます。各駅停車しか停まらないとはいえ、東急、東京メトロ、東武の車両が走りますから、楽しめると思います。田園都市線の10両編成として見られるのは、東急なら8500系、8590系、2000系、5000系、東京メトロなら8000系、08系、東武なら30000系、50050系です。大井町線の5両編成として見られるのは8090系、8500系、8590系、9000系で、6両編成の急行として見られるのは6000系です。

 田園都市線の二子玉川駅から溝の口駅までは複々線となっており、外側を田園都市線が、内側を大井町線が走ります。二子新地駅と高津駅には大井町線のホームがなく、通称「青各停」以外は両駅に停まりません。これに対し、田園都市線の各駅停車は全て高津駅に停まります。

 隣の溝の口駅まではそれほど離れていないので、溝の口駅が見えます。元々、二子玉川~溝の口は玉川電気鉄道溝ノ口線として開業しており、軌道線だったこともあって駅間距離が短いのです。昭和18年、戦時輸送強化のため、二子玉川~溝の口は、線路の幅を1372ミリメートルから1067ミリメートルに変更し、大井町線に 編入されました。これによって大井町線が大井町~溝の口となったのです。昭和38年に大井町線は田園都市線に改称されますが、昭和54年に大井町~二子玉川園(当時)が大井町線となります(現在も、大井町線の正式な区間は大井町~二子玉川です)。

 高津駅のホームです。私が立っているのは田園都市線上り電車が発着する4番線で、下り電車が発着するのは1番線です。つまり、2番線と3番線のホームはなく、大井町線が通過します。二子新地駅も同じ構造になっています 。また、東横線の元住吉駅も類似の構造となっています(1番線と6番線は通過線のため、ホームがありません)。

 高津駅のホームから溝口4丁目・5丁目のほうを撮影してみました。この辺りは、以前から住宅が密集しており、狭くて曲がりくねったような道があちらこちらにあります。旧大山街道より奥のほうには自動車の通り抜けができない道路もあります。しかし、渋谷から20分ほどで行けるという場所でもあるため、最近はマンションなども多く見られます。

 今度は北のほうを撮影してみました。現在進められている二子玉川駅周辺の再開発の様子が、高津駅からでもわかります。奥のほうに見える高層建築物は、二子玉川駅付近にあるものです。

 この写真ではわかりにくいのですが、実は高津駅から隣の二子新地駅までの距離も短く、二子新地駅から二子玉川駅もよく見えるほどに近いのです。それでも十分に需要はあります。

 今回は高津駅だけを取り上げましたが、近所を散歩するのも楽しいので、駅の周辺を歩き、ここで紹介いたします。

 

 高津駅、その両隣の溝の口駅、二子新地駅については、今後も何度となく取り上げることになると思いますが、二子新地駅付近から溝の口駅付近までの旧大山街道は、何度歩いても独特の味わいを楽しめる、川崎市では最も楽しい散歩コースの一つでしょう。

 今回は高津駅周辺として取り上げますが、高津駅と溝の口駅との間は田園都市線の営業キロ数で700メートルしか離れていません。そのため、上の写真(実はトップページの写真と同じです)の場所にはどちらの駅からでも行けます。近いのは高津駅です。同駅を降りて国道409号線(府中街道)を西の方(久地、稲城、府中方面)に向かいます。程なく、高津交差点に着きます。そこが国道409号線と旧大山街道との交差点ですので、その交差点を左折し、溝の口駅方向に歩くとすぐに到着です。また、溝の口駅からであれば、小杉駅行のバスに乗ると二つ目のバス停が「高津」で、そのバス停のそばにあります。

 ここは溝口三丁目です。奥に公園がありますが、ここにかつて高津図書館がありました。小学生の頃、私はよく高津図書館に行き、本を借りたりしていました。現在は溝口四丁目、高津小学校の裏にありますが、そこには文教大学附属小学校がありました。大田区にあった文教大学附属立正小学校と統合され、現在は池上線石川台駅の近くにあります。そして、文教大学附属小学校の跡地に高津図書館が移転したのです。

 今となってはあまり覚えていないのですが、上の道を真直ぐ進むと図書館の玄関があったはずです。そして、道を囲むようにして木造の建物が並んでいたのではないでしょうか。溝口三丁目には、まだ木造の建物が多いのですが、マンションなども増えてきています。

 奥の公園につながる道路の部分は「大山小径」と名付けられています。 この辺りは、旧大山街道の宿場町でした。今もその雰囲気を色濃く残しておりますが、やはり面影は徐々に薄らぎつつあります。

 現在の国道246号線は、この旧大山街道より西のほうを通っており、東京都世田谷区瀬田、同区玉川から新二子橋を通り、溝口5丁目と6丁目の境界を抜けて梶が谷駅の西のほうに抜けますが、基本的には旧大山街道の道筋となっています(地図によっては厚木街道とも書かれています)。そして、現在の東急田園都市線も、ほぼ全線にわたって旧大山街道と並行する路線です。

 旧大山街道の宿場町としては、三軒茶屋、溝口、荏田、長津田があり、田園都市線にも三軒茶屋駅、溝の口駅、江田駅(町名は荏田ですが、駅名は江田です)および長津田駅がありますが、この中では江田駅のみが急行・準急通過駅であり、また、江田駅の周辺には宿場町の雰囲気があまり残っていません(江田駅から新石川のほうに向かうと旧道があり、その辺りにかすかに残っているとも言えますが)。また、長津田は、最近でこそ南方で住宅地としての開発が進められてきていますが、私が院生であった頃までは、ここが宿場町であったとは思えないくらい静かな場所であり、田園都市線でここほど変化のない場所も珍しい、とすら言われていました。その意味では、三軒茶屋と溝口が、最も宿場町らしい雰囲気を残しているとも言えます。

 「大山小径」の反対側に、御覧のような案内板が設けられています。かつて、溝口と言えば旧大山街道が中心街としての機能を持っておりましたので、現在でも古い建物などが残っています。その一つが薬屋です。どのような建物であるかについては下の写真を御覧いただくこととしましょう。

 

 高津駅と溝の口駅の周辺には灰吹屋という薬屋があります。この建物は、昭和35年、西暦に直せば1960年まで、灰吹屋の店舗として使用されていたようです。この右側に少し歩くと高津交差点です。この辺りには、交差点のそばを中心に田中屋というお店が多く、二子新地駅付近にかけて、古い建物も点在しています。逆に左側に歩くとすぐに高津バス停があります(駅前のバス停は「高津駅前」)。さらに歩くと溝口神社、田園都市線溝の口駅(南武線武蔵溝ノ口駅)、そして高津区役所です。

 これからも、旧大山街道の様々な場所を取り上げたいと思っています。


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