三岐鉄道北勢線に乗り、終点の阿下喜駅に到着しました。もう少し、駅の様子を見ましょう。
転車台の周りをミニ電車が走ります。「ホクさん」という名前が付けられているようです。運転日ではなかったので実物を見ることはできなかったのですが、三岐鉄道270系をモデルとした車両です。
阿下喜駅はいなべ市にあります。かつての北勢町の部分です。
「いなべ」を漢字で記すならば員弁で、かつて員弁郡が置かれていました。同郡の北勢町、員弁町、大安町、東員町および藤原町が合併を検討し始めたのは1998年でした。2001年、任意合併協議会が設置されます。いなべ市の公式サイトに「いなべ市合併の経緯」という文書が掲載されており、概略を知ることができますが、東員町がいつの段階で脱退したのかは書かれていません。2002年に発足した法定合併協議会には、北勢町、員弁町、大安町および藤原町が参加しました。これに対し、東員町は自立の道を選びます。4町の合併によっていなべ市が成立したのは2003年12月1日のことです。
阿下喜駅の駅舎です。ローカル線の終点にしては立派な建物ですが、これは三岐鉄道に移管されてから建てられたそうです。以前はもう少し線路が手前のほうに伸びており、現在のロータリーの辺りに駅舎があったということです。また、近鉄時代に無人化されましたが、現在は、時間帯こそ限られているものの、駅員が配置されています。自動券売機はもとより、自動改札機もあります。
右側に写っているのは、楚原から乗ってきた小学生たちです。引率の教員もいましたので、社会科見学などでしょうか。
近鉄の路線であった北勢線が廃止の候補となり、おそらくは紆余曲折の末に、員弁川の対岸付近に路線を持つ三岐鉄道に移管されてから、駅の統廃合が行われました。移管直前の全駅を阿下喜側から順に記すと、阿下喜→六石→麻生田→上笠田→楚原→長宮→大泉東→北大社→六把野→穴太→七和→坂井橋→在良→蓮花寺→西別所→馬道→西桑名となっていましたが、移管後、順次、次のようになりました。
六石:2004年に廃止。
上笠田:2006年に廃止。
長宮および大泉東:2004年に統合され、移転して大泉となる。
北大社および六把野:2005年に統合され、移転して東員となる。なお、北大社に車庫があるため、信号場としての機能は維持している。
坂井橋:2006年に廃止され、移転の上で星川となる。
従って、現在の北勢線の全駅を阿下喜側から記すと、次のようになります。
阿下喜→麻生田→楚原→大泉→東員→穴太→七和→星川→在良→蓮花寺→西別所→馬道→西桑名
駅前のロータリーから、いなべ市福祉バスが発着します。コミュニティバスで、運賃は無料です(そのためもあって、路線バスなのに白ナンバーなのでしょう。通常であれば緑ナンバーで、しかも「か」であるのが普通です)。幾つかの系統に分かれており、上の写真にあるバスは中里線を走るようです。同線は阿下喜駅からいなべ総合病院、または下野尻、中里小学校前を経由して翠明院へ向かいます。
三岐鉄道三岐線の西藤原駅か伊勢治田駅のほうへ走るバスもあります。その便を利用したかったのですが、本数が少なく、かなり長い時間をここでつぶさなければなりません。迷った末、伊勢治田駅までタクシーを利用することとしました。
幅があまり広くない道路ですが、ここから南へ走れば員弁川で、さらに進めば三岐線の伊勢治田駅に行くことができます。駅は阿下喜地区の南方にあるので、いなべ市役所北勢庁舎(旧北勢町役場)などへ行くには逆の方向へ進まなければなりません。
道路を奥のほうへ進めば、いなべ市役所北勢庁舎やいなべ市立阿下喜小学校などへ行くことができます。
駅前に三重交通のバスターミナルがあります。ここから桑名駅前までの21-2系統が走っています。北勢線と競合しますが、北勢線が三岐鉄道に移管されてから減便されたそうです。
実は北勢線も三重交通の一員でした。三重県内の私鉄路線は、近鉄名古屋線、三岐鉄道三岐線、および第二次世界大戦中に休止・廃止された路線を除き、全て統合されて三重交通の路線となっていました。三重交通は、1964年に鉄道路線を分社化しており、翌年に近鉄へ譲渡しました(三重交通は近鉄グループの一員です)。
(2013年2月14日から21日まで、「待合室」に第513回として掲載。)
追記(2014年8月28日)
阿下喜駅で撮影した動画を追加しておきます。
昨日、朝日新聞社のサイトでも美加の台駅無人化問題が報じられていたのですが、近鉄と南海で無人駅が増えているようですね。大手私鉄では名鉄の無人駅の多さが目立ちますが(豊明駅が無人駅というのにも驚かされます)、近鉄と南海の路線がある地域が抱える問題の一端を見たような気がします。美加の台は南海が開発したニュータウンの一つですから、さらに強く感じました。