今年は島原から福岡に戻る際に三池港と大牟田駅を利用しただけですが、これまで2回、大牟田市の中心街を歩きました。いずれも集中講義の期間中のことで、私のホームページにある「待合室」の「別室9 大牟田駅から新栄町まで歩く(2007年9月8日撮影)」(http://kraft.cside3.jp/wartesaal12.html。現在は閉じておりますので、「大牟田駅から新栄町まで歩く(2007年9月8日)その1」、「大牟田駅から新栄町まで歩く(2007年9月8日)その2」および「大牟田駅から新栄町まで歩く(2007年9月8日)その3」で御覧ください)、および「別室21 再び、大牟田駅から新栄町まで歩く(2010年9月5日撮影)」(http://kraft.cside3.jp/wartesaal24.html。やはり現在は閉じておりますので、「再び、大牟田駅から新栄町まで歩く(2010年9月5日)」で御覧ください)で取り上げています。
今から5年前と2年前、2回だけ歩いたのですが、私が訪れたことのある街の中では、福岡県田川市の田川後藤寺駅周辺、大分県中津市の中津駅周辺、もう一つあげるならば佐賀市の佐賀駅の南方にある白山商店街とともに、その激しい寂れ方で特に強い印象を受けた場所です。しかも、3年の間を空けて大牟田市を再訪した際には、空洞化がいっそう進行していることがわかり、表現が悪いのですが空洞化を通り越し、荒廃としか言いようがない状況でした。シャッター通りどころの話ではありません。佐賀市の白山商店街や直方市などでも見受けられたのですが、そもそも建物がなく、空き地と化しているような場所がいくつもあったのです。歩道にアーケードが設けられているのに、建物がないのですから、アーケードの意味が失われています。5年前には残っていた大牟田松屋の建物が、2年前には既に消失していましたし、井筒屋大牟田店の跡はマンション予定地でありながら全く建設されないままでした。
さて、このような大牟田市の中心街について、今日付で西日本新聞社が「空洞化進む大牟田市中心街 “老舗”6店相次ぎ閉店」として報じています(http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/325332)。この記事には店の名前と開業年まで記されています。銀座通と築町商店街で、どちらも歩いたことがあり、写真を見て「ああ、銀座通りのあそこだな」とわかりました。銀座通には大牟田松屋があったのですが、広大な更地となってからは、まだ話が進んでいないのでしょうか。
中心街の空洞化には様々な原因があります。各地に共通する部分もあれば、固有の原因もあるので、分析には注意を払う必要があります。そうしなければ、再生策が有効に機能しません。各地域ごとの差異を無視して一律の治療を施す訳にはいかないのです。
大牟田市の場合は、何と言っても三池炭鉱の閉山が大きな原因でした。これによって人口が減少したのです。大牟田市に限らず、炭鉱で成り立っていた市町村の場合、炭鉱が閉山されると、その代替となる産業がなかなか見つかりません。最も苦闘していた市町村の例が夕張市ですが、結果として失敗が続き、財政再建団体になってしまいました。福岡県、佐賀県、長崎県には炭鉱が多かったので、大牟田市のような状況は飯塚市、田川市、嘉麻市などでも見られます。とくに、合併によって嘉麻市が成立する前の山田市は、人口が急激に減って市の中では歌志内市に次いで2番目に人口が少ないところにまでなり、市制返上の話まで出ていたそうです。
中心街空洞化、商店街の衰退で、全国に共通すると言われる原因の一つが、後継者の問題です。大牟田市の場合も、商店主が高齢化している上に後継者がいないという状態であったようです。さらにその背景を探ることが必要であると思うのですが、大型店の進出などにより、小規模の商店(多くは個人経営)は徐々に販売力(営業力)を失っていったのでしょう。そうなると、後継者となるべき者も将来を考えて後を継がない、あるいは継げないのではないでしょうか。
そして、自動車社会の進展と、郊外型大規模小売店舗の進出です。大牟田市の場合も、1980年代からニコニコドー(ゆめタウン熊本に併合)などがオープンし、競争が激化します。これは中心街に不利なものでした。おそらく、徐々に空洞化は始まったのでしょう。そして、20世紀も終わろうとする頃に、ゆめタウンが大牟田に進出するというニュースが飛び込んできました。21世紀が始まった2001年、新栄町駅の東方にゆめタウン大牟田がオープンしました。これは致命的な打撃で、中心街は大きな打撃を受けました。その象徴が大牟田松屋で、後に民事再生法の適用を申請するものの、結局は破産宣告を受けています。実は、大牟田松屋の場合、1980年代からダイエーと資本関係を結んでいましたが、裏目に出てしまい、苦しい経営を迫られていたのでした。御存知の通り、ダイエーは1990年代に業績を悪化させ、各地で店舗の閉鎖を進めます。大牟田松屋もその影響をかぶりました。
以上のような状況において、大牟田市の中心街の活性化は日に日に困難なものとなっていくようです。西日本新聞の記事によると、これまで秋に行われてきたイベントも中止とならざるをえなくなっています。銀座通商店街の店舗数は12で、これは30年前のおよそ3分の1です。この商店街の空き店舗にNPO法人が施設を開いていますが、その法人が行っている活性化のための事業も、かなり苦しくなるようです。
こうなると、大牟田市全体の再編が問題として浮上するのではないでしょうか。中心街だけに目を向けて活性策を行うには、現在の大牟田市の状況はあまりに厳しいように思われます。同じ福岡県内の久留米市の六ツ門地区であれば、まだ再活性化の可能性が高いようにみえるのですが、大牟田市の中心街の場合はシャッター通り化の度合い、再び良くない表現を用いるならば荒廃の度合いが高きに過ぎる、という印象を受けました。西鉄天神大牟田線の特急が今も新栄町に停車するのが救いでもあり、また「信じられない」とも言いうるのです。
全国的にシャッター通り問題が存在しており、克服の取り組みが行われています。一度衰退してしまったものを再び活性化することは容易ではありませんが、大牟田市の場合はとくに困難性が高いのではないでしょうか。
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