ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

日田彦山線の添田〜夜明、鉄道での復旧を断念か

2020年05月19日 00時00分00秒 | 社会・経済

 JR九州の日田彦山線は、列車の運行区間としては小倉〜日田、正式の区間としては城野〜夜明の非電化路線であり、城野〜今山は福岡近郊区間に入っています。

 「日田彦山線の添田〜夜明はバス化されるのか」(2019年6月10日0時0分0秒付)において記したように、2017年7月の福岡・大分豪雨(九州北部豪雨)により、日田彦山線の添田〜夜明が不通となりました。この時には久大本線の一部区間や豊肥本線の一部区間なども不通となったのですが、いずれも復旧し(但し、豊肥本線の肥後大津〜阿蘇は2016年4月の熊本地震による不通が続いています)、日田彦山線の添田〜夜明の不通が続きました。

 この区間を鉄道として復旧するのか、鉄道路線としては廃止し、BRT化などの道へ進むのか。

 議論が続けられてきましたが、この程、福岡県は、添田〜夜明の鉄道での復旧を断念したようです。西日本新聞が、2020年5月18日の15時付で「JR日田彦山線、鉄道復旧を福岡県が断念 東峰村がBRT専用道延伸案容認」として報じています(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/609190/)。

 より精確には、福岡県知事が東峰村を訪れ、村長、村議会議長に対して、不通区間の鉄道での復旧を断念するという考えを伝え、BRT専用道延伸案を提示したのに対し、東峰村が受け入れの意向を示した、ということです。

 添田〜夜明の沿線自治体は、東峰村の他、添田町(福岡県)と日田市(大分市)で、東峰村はこれまで鉄道での復旧を訴えてきたのですが、添田町および日田市はBRT化に反対していなかったのでした。東峰村が転換することにより、鉄道廃止とBRT化が進むこととなりそうです。

 なお、BRT化については、JR九州が彦山〜筑前岩屋のみをバスの専用道とする案を提示していますが、福岡県は宝珠山駅までの延伸案を提案するようです。この延伸案は自民党福岡県議団の独自案を踏まえたものであるとのことで、こちらのほうが採用される可能性が高いものと思われます。

 添田〜夜明の営業実績(勿論、不通となる前のものです)が記事などには書かれていないのでよくわからないのですが、営業係数はそれなりに高く、輸送密度や平均通過人員は低いものと思われます。「JR九州の『維持困難』な路線・区間」(2019年7月24日1時18分25秒付)においても記しましたが、JR九州のサイトに各路線の平均通過人員などのデータが掲載されています。それによると、日田彦山線の平均通過人員は次のとおりとなっています。

 ・城野〜夜明(全線。営業キロは68.7):1987年度は2057人、2018年度は2471人(但し、城野〜田川後藤寺のみがカウントされている)。

 ・城野〜田川後藤寺(営業キロは30.0):1987年度は3287人、2018年度は2471人。

 ・田川後藤寺〜夜明(営業キロは38.7):1987年度は1103人、2018年度はデータなし。

 あまり厳密ではないかもしれませんが、ここで平均通過人員と輸送密度(旅客についてのもの)が同じものであると考えると、2018年度における日田彦山線の輸送密度は1980年代の特定地方交通線並みであるということになります。そればかりでなく、1980年代の輸送密度も特定地方交通線に指定されるレヴェルであったのですが、除外条件に該当したために特定地方交通線に指定されなかったのでした。

 故宮脇俊三氏の『時刻表2万キロ』には小倉から筑豊本線、伊田線、そして日田彦山線を経由で由布院まで走る急行「はんだ」が登場しました。他に急行「あきよし」も走っていました。しかし、急行列車が走ったのは1980年代までのこと。その後も快速「日田」が走りましたが、全線を直通する列車はほとんどなくなりました。

 なお、私は、一度だけ、日田彦山線の田川後藤寺〜夜明を利用したことがあります。その時の様子は「2007年9月4日、日田市を歩く(1)」に記しました。但し、あくまでも日田市訪問が中心となっているので、日田彦山線についてはあまり詳しく書かれていません。


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