ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

平日1本だけの半蔵門行き

2018年05月11日 09時00分20秒 | 写真

 今年3月30日に行われた田園都市線のダイヤ改正でも、平日1本だけ(土曜日および休日には1本もなし)の各駅停車半蔵門行きが残りました。中央林間駅6時15分発、半蔵門駅7時38分着、列車番号032062です。途中の高津駅では7時5分発、二子玉川駅では7時8分発で、桜新町駅で急行の通過待ちをします。

 改正前には東京メトロ車が充てられていましたが、改正後は東急車で運行されています。5月10日、田園都市線に3編成しかない2000系の2001Fが充当されていました。

 1992年、田園都市線の輸送増強用として登場したのがこの2000系です。同年に2編成(2001Fおよび2002F)が製造され、田園都市線と半蔵門線(当時は渋谷〜水天宮前)の直通運転に投入されました。1993年にはもう1編成(2003F)が製造されましたが、当初は8両編成で東横線に登場しました。同線で運用されたのは僅かな期間で、10両編成化されて田園都市線に移りました。それ以来、3編成とも田園都市線・半蔵門線で活躍していますが、東武線に乗り入れることはありません(そのことを示すⓀマークが、正面の貫通扉に付けられています)。

 長らく東横線で活躍し、現在は大井町線の主力となっている9000系のデザインを基調にしているだけに、正面から見ると9000系と区別が付きませんが、屋根のクーラーキセの形状で2000系とわかります。また、音が全く違います。インテリアも異なります。かつては、窓のカーテンに渋谷109などがデザインされたものが使用されていました。

 今年は半蔵門線開業40周年にあたります。1978年に、まずは渋谷〜青山一丁目が開業しました。翌年には永田町まで延長しますが、帝都高速度交通営団(当時)の路線であるにもかかわらず、東急8500系のみが運用されていました。営業区間が短い上に、まだ車庫が完成していなかったためです。営団8000系が登場したのは1981年のことです。

 1982年に半蔵門まで、1989年に三越前まで、1990年に水天宮前まで延伸開業します。長らく渋谷〜水天宮前という時代が続きました。1989年から私は半蔵門線をよく利用するようになり(神保町へ行くことが多かったためです)、1992年4月からは通学路線としていました。当時は朝のラッシュ時によく半蔵門止まりが到着していたので、九段下駅で乗り換える私は時刻表を注視しながら電車に乗っていました。

 2002年に東急5000系が登場し、2003年には水天宮前〜押上が開業し、東武伊勢崎線・日光線との直通運転を開始しました。ちなみに、この水天宮前〜押上が営団最後の新規開業区間です(2004年に営団が民営化されて東京地下鉄株式会社となったため)。

 朝ラッシュ時の半蔵門止まりは少なくなっていき、いつの間にか平日の1本だけとなりました。但し、日中に渋谷止まりが何本かあり、渋谷〜半蔵門で回送運転します。沿線住民としては、この渋谷止まりを半蔵門駅か清澄白河駅まで延長して欲しいと願っています(かつては日中に清澄白河行きがありました)。


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2 コメント

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どこのドイツ (ガーゴイル)
2021-12-17 17:54:25
半蔵門線は半蔵門駅と永田町駅の間を麹町駅経由に変更すべきである。
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無理です (川崎高津公法研究室長)
2021-12-18 01:12:31
半蔵門線の線形からして、麹町駅経由は無理です。永田町駅と麹町駅、永田町駅と半蔵門駅の間の距離もそれほど長くありません。私自身、地方自治総合研究所へ行く際に半蔵門駅から歩いていくことがありますが、同駅から麹町駅もそれほど離れていません。
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