ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

小出しの第3回緊急事態宣言は再延長/五輪グッズの広告

2021年05月29日 11時20分00秒 | 国際・政治

 大方の見通しの通り、第3回緊急事態宣言は再延長となりました。6月20日までということで、いかにも東京オリンピックが念頭に置かれたことが見え見えな設定です。しかし、パンデミックが1年かそこらで終焉するという大甘な見通しがそもそもの狂いの発端で、そこに電撃戦論なのか短期決戦論なのか、小出しの緊急事態宣言では、COVID-19に対応できる訳がない、とも言えるでしょう。

 思い起こすと、2020年4月の第1回緊急事態宣言も一度延長されました。2021年1月の第2回緊急事態宣言は二度延長されています。そして第3回も二度の延長です。とくに第3回は期間が短く、発症者数を減少させて病床数を確保することなどできないだろうと思っていたら、案の定の再延長にして再々延長です。宝島社の意見広告ではないですが、B29を竹槍で落とそうという第二次世界大戦中の日本のプロパガンダと同じような状況になっています。同じようなことを指摘される方も多いですね。

 しかも、延長するにしても具体的な目標が何なのかは、よくわかりません。最近の政治では、肝心なことが隠される、隠されるという表現が悪ければ表明されないという状況が多く、国民主権も民主主義もあったものではないと思わされます。多くの国民が五輪中止を表明しても何処吹く風で、IOCに至っては感染は自己責任などと口にしたそうです。主催者は一切責任を負わないという訳でしょう。どこまで人を馬鹿にしているのか? 貴族には庶民の生活などわからない、ということでしょうか? それとも、私がこのブログで記したように「一本の木には2,3枚の枯れ葉がある。だからと言って木を切り倒す訳にはいかない。大局を見ろ」という毛沢東の言葉のような精神がIOCなどには根付いているのでしょうか。「一人一人の命などたいしたことはない」。「命は鴻毛より軽し」。「大イベントこそが大事なのだ」。こうした考え方がなければ、パンデミックでオリンピックという思考(志向)にはならないでしょう。やはりこのブログにも書いた志鳥栄八郎氏とピエール・ブーレーズ氏の話ではないですが、日本の政府や役所には国民の生命を守るという目的も使命感もないのでしょう。

 一方、マレーシアでは6月1日から2週間の全土封鎖に踏み切ると、共同通信グループのNNA ASIAが「《速報》全土で完全封鎖、来月1〜14日まで」として報じています(5月28日付。https://www.nna.jp/news/show/2194212)。随分と思い切ったことをすると思われる方もおられるでしょうが、変異株の猛威などを念頭に置けば、このような措置を採ることも十分に理解できます。

 このところ、疑問に思っていることがあります。

 私より上の世代であれば、毛沢東思想を知っている人が多いはずです(彼が亡くなったのは1976年9月で、私は小学校2年生でした。日本でも大きく報じられたことを覚えています。ちなみに、周恩来が亡くなったのは1976年1月です)。私でも『毛沢東語録』などを(日本語訳ですが)読んだことがありますし、エドガー・スノーの『革命、そして革命』なども読みました。だから、毛沢東の持久戦論を読んだことがある人は多いはずなのです。少なくとも、学生運動華やかりし頃に毛沢東思想に触れた(表現は悪いですが「かぶれた」)という方は多いはずです。持久戦論を思い起こした政治家や官僚、有識者はいなかったのかと疑問に思うのですが、いかがでしょうか。持久戦論を参考にすれば、短期決戦という甘い見通しの下に戦争に突進した大日本帝国と同じ轍を踏み、小出しの緊急事態宣言と(愚かしい)精神論で押し切ろうとすることはなかったと思うのです。

 最近、伊藤周平教授の『社会保障法 権利としての社会保障の再構築に向けて』(2021年、自治体研究社)を入手しました。伊藤教授の著書には納得できる内容が多いのでよく読ませていただいておりますが、『社会保障法』もそうです。その「はしがき」から、少し長くなりますが引用させていただきます(脚注は省略。4〜5頁)。

 「政府の新型コロナ対策は、感染症患者の治療にあたる医療機関に対する診療報酬の引き上げや慰労金・持続化給付金の支給などはあったものの、布マスクの配布など場当たり的な対応に終始し、事業者への『補償なき自粛要請』」、そして国民への『外出自粛・自助努力』などの要請に終始し、まさに無為無策といってよい。そもそも、欧米諸国で行われた外出禁止・都市封鎖(ロック・ダウン)と異なり、新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく営業制限や外出移動制限は『自粛要請』という言葉に象徴されるように、強制力のないものであり、それがもたらす損失を補填する国・自治体の法的責任もない。政府は、強制ではなく、あくまでも事業者や国民への自粛要請という形をとることで、感染を拡大させた失策の責任を国民の自己責任に転嫁しようとしている。そして、過剰なまでに自己責任論と同調圧力の強い日本社会では、自粛要請は事実上の強制と化し(マスコミも異常なまでに自粛を訴えた)、加えて、他の国に比べて異様に少ない検査体制が招いた感染拡大が、人々の感染への不安と恐怖、疑心暗鬼を加速、休業要請に応じない事業者へのバッシングが過熱した。感染者のみならず医療従事者など感染可能性のある人への差別も顕在化し、国民の間に、分断と差別がもたらされた。」

 この後に医療崩壊のことも書かれていますが、長くなりすぎますので省略します(是非、皆様に読んでいただきたいものです)。

 この1年ほどの情勢を見事にまとめられた表現です。付け加えるとするならば、国や地方公共団体が国民に対して法的責任を負わないようにするために、自粛要請という(少々おかしな)表現が用いられる訳です。行政法学でいう行政指導のようなものです(特定の人に向けられなければ行政指導とは言えませんが)。これでは従わない人も出てきますし、正直者が馬鹿を見るようなことが多発してもおかしくありません。「自粛疲れ」が募って週末に繁華街などでの人出が多くなるのも当然でしょう。ダラダラと、何処まで意味があるのかわからない緊急事態宣言と「マンボウ」(まん延防止等重点措置)が続くだけです。また、誰が感染してもおかしくないのに、感染者がいるといって村八分にする地域も少なくないと聞きます(これでは定住政策がうまくいくはずがありません)。所詮はこの程度の「民度」なのです(だから最近は「民度」が口にされなくなったのでしょう)。

 もう一つ、付け加えるとするならば、「過剰なまでに自己責任論と同調圧力の強い日本社会」という表現はその通りであると評価できますが、よく考えると「自己責任論」と「同調圧力」は矛盾しないだろうかという疑問が浮かびます。「自己責任論」は、いかなる事故などに遭おうとも自己の責任に帰するというものですし、「同調圧力」は個人の自己責任、さらに個人の自立性(自律性)を否定するものであるからです。しかし、両立するのが日本であるということでしょう。もっとも、「自己責任論」の内容も怪しいものであると言えるかもしれません。

 第3回緊急事態宣言は二度目の延長となりましたが、二度あることは三度ある、ということで三度目の延長はありうると考えるべきでしょう。東京五輪どころではない! 観戦であったか、都内の児童・生徒を動員しようという動きもあるようですが(大分県で国体の観戦に高校生が動員され、豊肥本線にそのための臨時列車が走っているのを敷戸駅付近で見たことを思い出しました)、これこそ第二次世界大戦下の日本と同じで、若い人の生命・健康をただ無駄にするだけです。

 仮に東京五輪が強行されるならば、もう、莫大な金がかかり、一部の人や企業が儲かるだけの馬鹿騒ぎ、饗宴ならぬ狂宴の開催場所に手を上げる都市はなくなるでしょう。それが健全な方向です。露呈した、命よりイベント、命よりお金の体質に、我々がお付き合いする必要はないからです。COVID-19より前に、住民投票で五輪開催地の立候補を断念した都市もいくつかあります。賢明な市民、高い「民度」と評価できます。

 

 ここで話題を変えます。但し、五輪つながりではあります。

 3月30日付で「東京五輪公式ショップ そもそも見たことがなかったのですが」という記事を掲載しました。その後、我が地元の文教堂書店溝ノ口本店に東京五輪グッズのコーナーがあるのを見つけました(売れているのでしょうか?)。また、最近、東京メトロの車両で五輪グッズの広告を見ました。よく見たらミニプレートでした。さらによく見ると、ミニプレートが売られているのではなく、五輪グッズを3000円以上購入するとミニプレートも付いてくるという内容です。御丁寧に「きっと、一生モノになる」というキャッチフレーズも書かれています。

 いつからこの広告が半蔵門線や南北線の車両(東京メトロ8000系、08系、9000系)に吊られているのかはわかりません。しかも、これらの路線に乗り入れている東京メトロ以外の車両(東急8500系、同5000系、同2020系、同3000系、同5080系、同3020系、東武30000系、同50050系、東京都交通局6300形、埼玉高速鉄道2000系)には、目で確認した限りでは五輪グッズの中吊り広告がないのです。JR東日本はどうでしょうか。山手線では見かけなかったのですが、ただの見落としかもしれません。

 今日(5月29日)の6時付で、日刊ゲンダイのサイトに「【東京五輪】東京五輪グッズは死屍累々…メーカーから漏れる”怨嗟の声”」という記事が掲載されており(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/289783)、それによると菓子メーカーの状況が苦しいようで、製造中止、生産または販売の再開未定が相次いでいるそうです。五輪組織委員会に入るロイヤルティーは商品価格の5%とのことで、メーカーは損をしても五輪組織委員会は損をしない仕組みになっています。まあ、そういうシステムであることはわかりますが、売上が伸びないのではどうしようもありません。

 報道は抜きにしても(何処の報道であれ、事実と違う、あるいは事実と違う訳ではないが不徹底であるということはありますから)、この状況で五輪グッズが売れているはずはないだろうと考えるのが自然です。電車に乗っていても、五輪のトートバッグぐらいは持っている人がいるだろうと思っていても、マスクぐらいは着用している人がいるだろうと思っていても、みかけたことがありません。キャラクターのぬいぐるみもありますが、可愛いとは正反対の、グロテスクにすら見えるデザインなので欲しいと思う子どもはいないのではないか、と疑いたくなります。

 この時期にミニプレートとは? あれこれと頭を動かし、勘ぐってみると面白いかもしれません。 


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