私の専門は分子系統学です。カザリシロチョウという東洋からオーストラリア、ニューギニアに生息するチョウ類(昆虫)を対象として、近縁性を調べ系統樹を書きました。“系統”とは、生物間の血縁の遠近を表す言葉です。(犬と人)、(猿と人)ではどちらの血縁が近いかと問われれば(猿と人)の方が(犬と人)よりも近いと分かります。その通りです。誰もが直感的に分かります。では、(犬と人)、(牛と人)ではどちらの血縁がより近いかと問われれば、これは直感では分かりません。現代では、この生物間の関係を分子生物学を用い、DNAの塩基配列をデータとして推定できるようになり、かなり精密に系統樹を描くことができるようになりました。つまり生物学として、生命の進化の歴史を高い精度で復元できるようになりました。
この純然たる生物学研究から始まって、私の関心は生命の単位つまり“種”に広がりました。生物の種とは何か?長い論争の歴史があり、現代でも確定した答えは有りません。生物学(自然科学)だけでは答えることができない、哲学が必要だからだと私は考えています。この種とは何かといういわゆる“種問題”に私なりの答えを見出し、これが現代の人間社会における貧富の格差、私有と公共、税の論拠など人間の幸福につながる核であることを見出し、生物学、哲学、社会科学を統合した論考『種問題とパラダイムシフト』を書き上げました。私がこの世に生を受けたその目的を果たしたと考えています。この一つ前のブログに書いたアイン・ランド著『水源』も私のこの論考につながります。今回の『万引き家族』も同じです。
家族は、父と母とその両親、そして父と母から生まれた子ども、その子どもの子ども、つまり孫・・これらの人々から成り立っています。つまり生物学的には最も濃い血縁の集団です。部族、民族も血縁の集団です。人種・・・白色人種、黒色人種、黄色人種なども血縁集団です。戦争は多くの場合、この血縁集団間で起こります。動物のもつ桎梏、逃れることの出来ない桎梏、それが血縁です。人間も動物です。繰り返しになりますが、人間の家族は桎梏である血縁で成り立っています。
この映画、2018年第71回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した是枝監督作品『万引き家族』は、人間が動物であるがゆえに逃げることのできない桎梏への反逆を表現しているかに見えます。この家族6人に、普通の家庭のような血縁を持つ人は一人もいません。けれどもこの6人は皆好きあっています。それが映画の中の何気ない会話や日常から伝わってきます。腕に火傷の跡をつけた女児、その家庭から連れ出してこの家族に加えます。家族の年長者であるお婆さんが死にます。しかし、この家族はそれを役所に届けず、家の下に埋めてしまいます。葬儀の費用がないためか、年金をそのまま継続するためか・・・家族全員の合意です。
それがバレて、家族の母親が総ての罪を一人で被ります。警察内での尋問で彼女は「ここには家族の喜びがあった。苦労はしたけれど、おつりが来るほど幸せだった」・・。この家族は、動物性に由来する血縁の桎梏から離脱した有りえない虚構の家族のように見えます。しかし、そうではありません。“理性”による穏やかな喜びがあります。生々しい血縁に基づく喜びの他に人間は理性的な喜びをもっています。この人間としての理性的な喜びによって、濃い血縁の桎梏を緩和し希釈し、その一歩外側へと踏み出しているのです。動物的な桎梏の外側に踏み出すこと、これこそが人間の真の姿ではありませんか。江戸時代のいわゆる“長家”、ご隠居さんがいる。行き倒れの子どもを連れてくる。長屋の住人総てが一つの家族・・・直接の血縁だけではなく、見ず知らずの人も含めて血縁が外側へ広がったのです。
これは、ある意味では未来の人類の社会形態を先取りしています。人類の貧富の格差は、今後ますます広がるでしょう。食べていくことのできないさらに多くの貧困者、難民が世界中に生まれ移動するでしょう。人間の持つ私有の基本概念、つまり自分が稼いだ富は本源的に自分の所有物である。それを貧しい人に分け与えることは望ましい。しかし個人の意志の限度を超えそうしたくない人にまで、それを強制することは間違いである。この論理に対抗できる論拠を未だ人類は持たないからです。美しい理念やこうあって欲しいという願望は、それぞれの個人の思考であって個人に属するものであり、過半数の個人がそう考えなければ、絵に描いた餅、蜃気楼だからです。美しい理念を多くの人が美しいと認め強い意志を持って積極的に共有しない限り、貧富の格差の進行を止めることはできません。それぞれが心の中に持つ架空の観念を、他人に強制することはできないでしょう。無理にやれば建前と本音の著しく乖離した嘘の人間社会を生み出すでしょう。
人間はそれぞれが分離し、それぞれが独立した個人です。個人の意思は尊重されねばなりません。これはとても大事なことです。しかし、それと同時にまた人間は繋がった一つです。この事実、理念や願望などの個人の観念ではなく“事実”が人類を救うと私は考えます。それを記述した論考『種問題とパラダイムシフト』が、この第71回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した『万引き家族』に顕在的な明確な論拠を与えると私は思います。
このブログは春日井治さんの随筆『ベランダ植物界』No.121「異常なのに、まともな『家族』」(2018.6.27)を参考にさせていただきました。
http://www.geocities.jp/ocme6904/profile.html#121
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